第二皇后としての責務
What are you thinking now?
_______I’m still alive.
ひとりで森に入って、もう長いあいだ歩いています。
さっきまではわたし以外の人がいたから、あんまりはやく歩けなかったけども。
今はひとりなので、足どりがかるいです。どんどんどんどんおくに進んでいきます。
時おり動物を見かけます。しかやうさぎやおおかみさん達。みんなわたしを見ると、もっと奥のほうまで逃げていくので少しさびしいです。
とちゅうから、少しづつさか道になってきました。
背のたかい木はなくなって、ごつごつした岩が周りにたくさんあります。遠くのほうにお山のてっぺんが見えるので、そこをめざして歩こうと思います。あそこまでたどり着けば、お母さんも追いかけて来ないかな、と思います。
さか道は少し大変だったけど、すぐにお山のてっぺんに着きました。とっても見晴らしがよくて、とおくの方におしろが見えます。わたしがさっきまでいたおしろです。わたしはとっても悲しくなりました。あそこに戻れたら、どんなにすばらしいでしょうか!!
わたしは、もっと遠くへ行こうと思いました。むかし、お父さんに聞いたことがあります。おとなりに、おおきな国があるそうです。そこなら、わたしをかくまってくれるかな、と思います。
今日のうちに、となりの山まで行けるかな。
私は、遠くの方に見える、背の高い山をほう、と見つめました。
**
Eating me,
_________What do you feel??
狩人が帰ってきた。神妙な面持ちで、もう冷え切った赤色の臓器を差し出す。
「……御苦労であった」
私が労いの言葉をかけ、受け取ると、彼はすまなそうな顔をして、こう呟いた。
「陛下に、申し上げなければならないことがあります」
「どうした?」
私は少し身構えながら、問う。
「もしこの先、陛下が私を呼び出し、『仕事』を依頼しようとすることがありましたら」
『仕事』とは、暗殺の暗喩だろう。
「ああ、判っている。お前には十分働いてもらった。幼子を殺めるなど気分の良いものではあるまい。今後は別の者に頼もうと……」
「違うのです。今後どうしても成し遂げなければならない『仕事』がありましたら、その時は、陛下ご自身で為さるべきだ、と申し上げたいのです」
「……それはどういう意味だ? 汚れ仕事は自分ですべきだ、と?」
狩人は、静かに首を横に振る。
「いえ、違います。謀反者や間者の処分は、これまで通り私や、代理の者が担当しましょう。そのようなことを、陛下。貴女が為さるべきでは無い」
「では……」
「いえ、違うのです。陛下がどうしても殺めなければならないと感じた者が現れた時。しくじったら、この国の存亡に関わる危機だと陛下が判断なさる脅威が現れた時。その時は、陛下ご自身が為さるべきです。他の者であってはならない」
「……それは、どうしてだ?」
私は、静かに口を開く。これまで文句ひとつ言わず任務を遂行してきた『狩人』が、はじめて私に忠言を進言しているのだ。只事ではあるまい。
「詳しくは……申せません」
私は、捉えようも無い恐怖感に襲われていた。この者が何を言わんとしているかはわからないままだが、少なくとも良い知らせが隠れている訳ではあるまい。
私は彼に退出するよう命じ、受け取った臓器を容器に移した。
却説、この臓器をどうするか。
以前読んだ文献によると、人の魂は五臓六腑に貯まり、死に、朽ち果てることで自然に還ると言う。この輪廻を止めるには、誰かの体内に留め、魂を喰らわなければならない。
獣に食わせたほうが良いのだろう。義理とはいえ、娘だった少女の。いや、人間だったモノの残滓だ。人を喰らうは私の倫理観に沿わない。
だが、この事態にうまく収拾をつけられなかったのは私の落ち度だ。その責任は何かしらの形で取らなければならないだろう。
_______自分が食べる。
その発想が脳裏をよぎった時、思わず私は嘔吐感を覚えた。昨日からストレスで何も食べておらず、胃の中が空だった事が幸いした。苦い胃液が逆流する。
文献の中では幾度か見た事がある。ここでは無い、遠い国でごく稀に見られる風習。
出来ない訳では無い。したく無いのだ。
娘だったモノ_____その一部とはいえ、自ら口をつけ、食べるとなると。
白雪姫の笑顔が記憶の底から蘇り、私は息ができないほどの罪悪感を覚えた。
彼女はもう居ない。
確かに、彼女の存在はこの国にとって完全な悪だったかもしれない。だが、彼女自身が何かした訳では無い。
それを、
それを、私は、
キリキリと痛みの出てきた頭を押さえ、私は容器を見つめる。
今更何をしようと、彼女は蘇らない。
「これは、まるで呪いだな」
平穏に、ただそれだけを願っただけなのに。他は何も望んでいない。人として当たり前の幸福を、当たり前のように享受しようとしただけだ。それなのに。
「肺と肝臓か……」
目を背ける。あの頃には戻れない。私が嫁いですぐ。第一皇后も元気で、だれの顔にも笑みがあったあの頃には、もう。
自分でも、自分は精神に異常があるなのでは無いかと思う。正気の沙汰では無いだろう。大義名分を振りかざし、理由はなんであれ幼子に手をかけた私は地獄に堕ちるのみだろう。
今の自分の顔は、げっそりとやつれているのだろうな。私は自嘲し、鏡の前に向かう。
そうだ。このような時には、このお世辞言いの鏡に癒してもらおう。
「鏡や鏡。壁にかかりし魔性の鏡よ___________」
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By the way, I do want to live,
_________ even if I do anything but that I melt my snow.
あれから、三つ山をこえました。お日さまがのぼるまで、あと少しあります。
夜はすきです。げん気になります。
このままもうひとつ山をこえようと思ったけど、やっぱりやめよう。
ちょうど小屋を見つけました。ここで少し休もうと、とびらに手をかけます。
私は、やったわ! と思いました。開いています。それに、中にはたくさんの家具がそろっています。きっとだれかがここを使っているんでしょう。七つもあるベッドは少し小さいですが、あしたの夜までねむろうかな。
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Let’s start killing each other.
_____________It’s your turn.
「____________この国で最も美しい人は誰か、教えておくれ」」
私の声に、鏡は応えた。最も憂うべき言葉を。
「女王さま。此処では、貴女が一番美しい。けれども、幾つも山を越した、7人の小人の住む家にいる白雪姫は、まだ千倍も美しい」
その瞬間、私は全てを理解した。狩人の先ほどの台詞の意味を。
この臓器が、彼女のものでは無いということを。
白雪姫が、まだ生きているということを。
「そうか……まだ生きているか」
私は、先ほどの罪悪感が少し晴れた気がした。だが、それは『また殺めなければならない』ことを意味する。
それに、白雪姫はこの短時間でいくつも山を越したと聞いた。もちろん徒歩のみでの移動であろう。霊峰と名高い山をいくつも越えたとなれば、やはり、天性の魔であったのは間違い無いだろう。
先ほどの、狩人の言葉を口の中で反芻する。
「______陛下がどうしても殺めなければならないと感じた者が現れた時。しくじったら、この国の存亡に関わる危機だと陛下が判断なさる脅威が現れた時。その時は、陛下ご自身が為さるべきです_____」
狩人は______彼は、しくじったのだろう。そのことを咎めるつもりは無い。彼ほどの鉄の意志をもってしても成し得なかったのだ。他の者ではなく、私自身がしなければ。
幸い、私は呪具をもっている。魅了除けの首飾りや、雑念を取り払う数珠などだ。本当に適任だったのは、私なのだろう。
「この『仕事』が終わったら、隠居でもしようか。第二皇后の立場など、他の、呪術に心得のある者に任せれば良い」
私は、クローゼットを開け、もう随分と長い間使っていないコートを手に取る。昔、まだ若かった頃、このコートを着て様々なところへ遊びに行ったものだ。
_____『姿変の衣』。着ている者を、その場で一番怪しまれない姿に変装させる魔法の品。
夜明けはもうすぐだ。夜は嫌いだ。暗くて心細くなる。
やはり朝や、昼が良い。
さて、7人の小人の住まう古屋_____には心当たりがある。確かに、ここから森を抜け、山を3つほど越えなければならない。皇后の座に就く前。鉱山で錬金に使う鉱石を探している時、彼らに出会った記憶がある。だが、彼らも、白雪姫の魔性の美に魅せられてしまっているのだろう。
さて、目的地は遥か彼方だ。魔法をかけた靴で急いでも半日かかる。夜になる前に着くには、もう出発しなければならないだろう。
私は、我が義理の子を殺める凶器として締め紐を選び、城を後にした。足取りは、言わずもがな重い。
次に私がここを訪れる時は、私は人殺しだ。
その重みは、私が一番わかっている。




