昏き森の中へ
Can you kill me?
______I can kill not only you, but also this country .
「白雪姫を、殺しなさい」
夕暮れの陽が差し込む部屋の中。私はなるべく冷静に、抑揚のない声でそう告げた。
私の前には、一人の男が跪いている。
寡黙な男だ。表の顔は害獣駆除の狩人。裏の顔は暗殺者。
田畑を荒らす猪から、政治を混乱させる貴族までをも狙う、第一皇后の命で歴史の裏に潜む暗殺者。
第一皇后が亡くなってからは私に仕えていたが、とりたてて暗殺すべき相手も居らず、しばらく暇を出していた。自然に囲まれた生活を満喫していた彼に無理を言い、こうして呼び寄せたのはもちろん、白雪姫の処置についてである。
「今……なんと仰いました?」
男は____いや、この場では暗喩として「狩人」と呼ぼう。狩人は、目を丸くしてそう尋ねた。
「白雪姫を殺しなさい、と言いました。森まで連れて行き、殺して、そして死体から肺と肝臓を切り取って持って来なさい」
なるべく、冷静に。感情と、震える声を押し殺して続ける。
男はしばらく、その鋭い目をさらに細めて、私の目を真っ直ぐ見つめていた。目を背けてはいけないような気がして、私はその目を睨み返す。
「…………陛下」
狩人は、溜息をつきながら口を開く。
「陛下は今、我慢なさっていますね。実の子のように育ててきた白雪姫を、間接的にとはいえ自らの手で殺める事に」
狩人は目を閉じ、続ける。
「陛下に仕えて、今年で6年目になります。この手を血で染め、もはや日の元では生きられないと諦めていた私に、普通の人生を用意してくれたのは陛下です。その陛下の頼みとあらば、身命を賭して応える所存です。ですが…………」
一息つき、続ける。
「陛下は今、泣いていますね?」
射すくめる視線。
ぞくり。
全てを、見透かしたような声。
否、間違いなく彼は私の心を見透かしていたのだ。胸の内を言い当てられた私は、動揺のまま理不尽な怒りを彼にぶつける。
「お前に……お前に、何がわかる!!」
口調が乱れ、声も裏返る。
何が。
何がわかるというのか。
「何かの間違いだ、と何度も思った。だから何度も何度も調べたさ」
全ての知識を持つ、叡智の鏡。
数千年前に滅んだ国で見つかった、破邪の指輪。
海底都市から引き揚げられた、死を告げるペンダント。
未来を記す日記帳。
その全てが、白雪姫の7歳の誕生日を皮切りに、この国の死を謳い、当の白雪姫の『不自然なまでの完璧さ』と『邪悪さ』を伝えていたのだ。
彼女を信じ、調べれば調べるほど、ますます深くなる疑惑の念。
「決定的だったのはこの林檎。『身近に邪悪な者が現れたとき、致死毒を持つ』特性がある……」
その先を言わずとも、狩人はその先を察したようだ。
「なるほど。では、間違いないのですね?」
確証はある。なければこんなことしない。肺と肝臓を取ってくるように命じたのも、人の悪性は五臓六腑に宿ると聞いたことがあるからだ。
念には念を、入れなければならない。
無言を肯定と受け取ったようだ。狩人は小さく頷き、立ち上がる。
「明朝、戻ります」
私は彼に声をかける。だが声は掠れてしまう。
「すまないな……」
「いえいえ、良いのです。それより、その涙を拭いて下さい。陛下の所為ではありません」
嗚呼、この胸の熱さは涙だったか。
私の頬を、一縷の雫が流れ落ちた。
**
Why don’t you betray this country and my mother?
わたしがお部屋であそんでいると、大きなおとこの人がやってきました。
おとこの人は、お母さんがたいへんだからついてきて、と言いました。
お母さんが、たいへん。それはいけないことだわ。
わたしはおとこの人について、部屋をでました。さむいのでコートをはおって行きました。
おそとは暗かったです。お星さまがきれいです。
でもおとこの人は、わたしの手を引いてだまって歩いていきます。話しかけても「もうすぐだから」としか返事しません。
歩かされていると、足がつかれます。足が棒きれみたいになって歩きにくいです。
あーあ、ひとりで歩けるのに。
しばらくすると、森が見えてきました。森には、こわい動物がいっぱいいるって、お母さんから聞いたことがあります。
わたしは、こわくて歩くのをやめようと思いました。でも、おとこの人はわたしの手をむりやり引っ張っていきます。
わたしは、もっとこわくなっていきました。
森はおくの方は暗くて、よく見えません。
おとこの人は、森のすぐ前で立ちどまりました。
そうすると、おとこの人は言います。
「もうしわけないけど、きみにはここで死んでもらうよ」
死ぬ。わたしはころされるのだわ。
おとこの人がにぎっているギラギラ光るナイフを見て、わたしはそう思いました。
「やめ……やめてください」
声がふるえます。痛いのはいやです。
むかし、針でゆびをさしてしまったことがあります。まっ赤な血がぽたぽたと雪の上に落ちて、とってもいたかったです。
「どうして、わたしをころすんですか?」
わたしはおとこの人にたずねます。
ふと、わたしのあたまの中にお母さんのかおがうかびます。
いつもやさしいお母さん。だけど、わたしのあたまの中でみえるお母さんは、なぜだかとてもこわいです。
「お母さんが、ころせと言ったのですか?」
わたしは、思いついたことを、そのまま言いました。
「きみは、関係のないことだ」
おとこの人は、少しおどろいてから、そう言いました。
ああ、やっぱりお母さんなんだ。
わたしはざんねんでした。
わたしは言います。
「ねえ、おねがいがあるの」
「どうしたんだい?」
「もうお家にはかえらないから、わたしをころさないで。森の、おくの方に入っていくから、おねがい」
すると、おとこの人は困ったようなかおをして言います。
「でも、森の中にはケモノがいるから、入ってもころされてしまうよ?」
「それでもいいです。ころさないでください」
わたしは、ナイフの先がギラギラ光るの方が、とてもこわいです。
おとこの人は、少しの間だまっていました。
「これが、魔性の美というものか。確かにあやかしの類いだ。抗いがたき言葉、とは正にこの事か」
おとこの人は、むずかしいことばでなにやら呟いたあと、言います。
「……わかりました。お行きなさいな」
わたしは、そのことばを聞くやいなや、すぐに森の中へとかけこみます。
大きな森の口が、わたしをのみこみました。
中は、とても暗いです。
暗い。光がない。暗い。暗い溟い黯い昏い______
____________昏いことは、いいことです。
後ろのほう。ちょうどおとこの人がいた所から、どうぶつの声が聞こえました。