雪の国にて
If Snow White is the most beautiful woman in the world .
———Overwrite your memories.
#7年前
あらんばかりの声を出し、私は自らの絶叫で目を覚ました。額には大粒の汗が浮かび、眠る前に変えたばかりの下着も汗でぐっしょりと濡れている。
嗚呼、とても嫌な夢を見た。
とある少女が、この国を乗っ取る夢だ。
少女は知略と強運、そしてその悪魔的なまでの美貌でこの国を蝕んでいく。真紅の頰と、夢魔の如き笑みを携えて。
凡そ単なる夢とは思えない。まるで本当にこの国の未来を暗示しているかのような、不気味で繊細な夢。
もしも______________そう、もしもの話だ。もし万が一あのようなことが起こるのであれば、私は身命を賭してその策略を阻止しなければならない。
私はこの家に___いや、この国そのものに嫁いだ身だ。嘗て一国民に過ぎなかった私は、政治的な理由で国王と婚約させられ、今此処___雪に覆われた城塔に住んでいる。
いわば王家の一人だ。
だが私は、厳密にはこの国の王族の血統を引くものではない。その上私は、権力に興味も無ければ、ましてや政治などには全く関心がないのだ。そういった細かい事や駆け引きといった厄介事は第一皇后に任せておけば良い、と内心思って居る。
私が願うは、平穏な国。
それが脅かされるのなら。
私が嫁いだこの国が危機に晒されるのであれば、それを防ぐのが私の役目。決して歴史の表舞台に立つことのない、二人目の王妃_____第二皇后の役目である。代々この国の王は、呪術師の血をひく家から娘を娶る事で、呪術的な面から国を安定させてきた。
私もその一人。その日の吉兆を占い、世の安寧を願う陰の皇后。
たった今見た不気味な夢。単なる妄想では無く、間違いなく何かが起こる前兆だと、呪の血をひく私は直感する。
用心しなければならない。第二皇后として嫁いだ身として、私には自らの責務を全うする天命があるからだ。
ふと、窓の外を見やる。
例年より冷え込みの激しい今日このごろ。降りしきる雪は世界から音を消し、ただ静かに、夜の王国を白く化粧する。
私は汗で濡れた下着を変えるため、ベッドを降り、鏡の前に立つ。第一皇后は貴族出身だからか着替えから何から全て召使いにさせているらしいが、こちらは元は市民の出。着替えくらい独りで出来る。
袖を通した清潔な白い下着が、女性的な体のラインに合わせてぴったりと張り付いて行く。自慢じゃないが、これでも私は巷で噂の美少女だったのだ。その美貌は22歳になった今でも衰える事なく保ち続けている自信はある。
ふと鏡を見上げる。あいも変わらず、燻んで何も映さない鏡面がこちらを見返す。
この鏡も、この櫛も、この帯も、この椅子も、あれも、これも、どれもこれも全て。
この部屋にある全てが、魔術の品。世界中から集められた、呪具の類い。禁忌の品。
___願わくば、これらを使わないことを祈って。
私は心の中でそう呟き、またベッドに身を横たえる。人を、国を、神を呪ってこの国を守る第二皇后など暇で良いのだ。
……そういえば先日、第一皇后が子を産んだと聞く。雪のように白い肌、木炭のように黒い髪。そして血のように赤い頰を持った可愛らしい女子らしい。男系のこの国では王位を継ぐ事はないだろうが、まあ王族が増える事は望ましい。居ないよりはマシだ。
夜はまだ長い。私は夢の中で見た黒い髪の少女を心の隅に追いやりながら、また深い眠りに落ちた。
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#6年前
第一皇后が亡くなった。あまりに突然で、私でさえ動揺を隠せなかった。
彼女に死の兆候はなかった。それは医者たちも口を揃えて言っている。
同じ皇后という立場にいながら、彼女とは殆ど会話をしなかったのが悔やまれる。
日向の存在である彼女には、私の存在など鬱陶しいだろうと思っていたのだが、朗らかな性格の彼女はそうは思っていなかったらしい。些細なすれ違いだが、そのことが心残りだ。
国王も気を落としているし、ここから先、踏ん張らなければならないだろう。それを支えるのも、私の務め。
そう言えば、あの赤子は誰が育てるのだろうか。真逆私ではあるまい。
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—-Restart my life.
To catch my dream.
#1日前
私は29歳になった。特にこれといって大きな仕事もなく、毎晩星を詠みその日の吉兆を占っては、昼間はだらだらと自室で本を読んで居た。近頃流行りの推理小説から、創作世界、恋愛小説、果ては実用書まで好き嫌いせずに読み、女中や衛兵たちと話に花を咲かせた。
正直に言って、私は今の生活に十分といって良いほど満足していた。呪術師として自らの術を磨く時間も確保されているし、この国自体も、活気あるもので住んで居て心地が良い。
明日で7歳になる白雪姫も、すくすくと愛らしく育っている。最初は育児というものに抵抗があったが、慣れてしまえばどうという事は無い。彼女の顔には第一皇后の面影が見え、その愛らしさはまるで白銀の天使のようだ。時たま絵本を読んでやれば、不満も言わずに黙って玩具で遊んでいる。実に聡い子だ。
まあ、遊び相手は専ら女中たちなのだが。
とはいえ、この母親という響きはなんとも楽しいものだ。
私は少し埃のかぶった呪具を指でなぞりながら微笑む。本来子を持つことの許されない第二皇后であるが、このような形で、こうも幸せな日を過ごすことができるとは。白雪姫にも感謝をしなければなるまい。
明日、何か好きなものでも買ってやろうか。
…………そういえば、最近隣国との関係が悪化しているらしい。例えそうだとしても、何故娘の誕生日に限って遠征に行くのだ。このところ、国王はどこか様子がおかしい。
気になって、少しばかり占ってみたところ、今後の行動に吉、と出た。今後の行動に自信を持て、とのことだ。これが「凶」なら「用心せよ」という意味。吉が出たということが何を意味するかまだわからないが、立ち込める暗雲を私は振り払えるか。
心配になってきた。
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#当日
今日は、娘の誕生日だ。
嗚呼、これは語弊があるな。正確には、『義理の娘の』誕生日だ。
7歳になった白雪姫は変わらず美しく_____________いや、『美しい』という言葉では表しきれないほど、どこまでも愛らしく成長している。
私は、クローゼットの奥に仕舞い込んでいた美しい着物を身につける。国王が不在の今日、この国で最も美しい姿で、白雪姫をお祝いしようでは無いか。
着替えを済ませた私は燻んだ鏡の前に立ち、そっと呼びかける。
「鏡や鏡、壁に掛かりし魔性の鏡よ。この国で最も美しい人は誰か、教えておくれ」
言葉を口に含みながら、私は自笑する。この鏡は嘘をつかないのだ。
この鏡はいつも「女王さまが一番美しいです」などと答えるが、それはお世辞。世渡りが上手い叡智の鏡は、本当は知っている。真なる美が___万人にとって共通する、普遍的な美人などというものが存在しないことなど。言い変えるなら国民一人一人、その人にとっての最も美しい女性は異なるのだ。
お世辞ばかりの鏡に話しかけるのは、いわば一種の自己暗示だ。私は一番美しい。そうでは無いと頭の片隅で判っていても、言われる事は気分が良いではないか。
だが、鏡から発せられた声は、予期せぬ答えを口にした。
「女王さま。此処では、貴女が一番美しい。 けれども、白雪姫は、貴女の千倍も美しい」
一瞬流れた刹那の空白。私は自分の耳を疑う。
「か……鏡よ、今日が娘の誕生日だからって気遣わなくても良い。さあ、一番美しいのは誰なりや?」
再三の質問に対し、だがそれでも鏡は頑なに言い張る。白雪姫こそ、至上の美だと。
戦慄が走った。否、そのような生温い言葉では無い。
至上の美など無いのだ。ある物を見たときAは美しいと思う反面、Bはそれを醜く思う。それはごく普通のことであり、価値観の相違は様々なものを生み出す。それは国家の原動力。ヒトの生活に欠かせぬ相違だ。そんなものは存在しないからこそ世界は廻っている、とも取れるのだ。
だが、この鏡は至上の美が『存在する』と言い張る。この鏡は叡智を映す。鏡がそう言うのなら、それは疑いようも無い事実なのだ。
なんとも、こんな矛盾があるものか。
間違っているのは、おそらく前者。普遍的な価値観と決して間違う事なき叡智を比べれば、どちらを信ずるべきかは自ずと明らかだろう。
確かに、我が愛娘は美しい。天使のような微笑み。雪のように白い肌を、ほのかに彩る紅い頰。
だが同時に、そんな白雪姫の容姿を快く思わない者も存在する筈なのである。否、存在しない筈がない。容姿が完璧であるならば、その性格、その仕草、果てはその生まれに嫉妬する者が必ずや存在するはずなのである。
それを覆すとあらば、それぞ正しく魔性の類い。最早ヒトでは無いだろう。
嫉妬ではない。もっと明確な感情、これは恐怖だ。
私は、7年前の夢を唐突に思い出す。
夢の中。不気味に微笑むあの少女は、もしや_______________否、間違いないだろう。
一度大きく息を吸い、吐き出す。
母である前に。私は、この国の第二皇后なのだ。心を鬼にし、務めを、果たさねばならない。
白雪姫に、
白雪姫に、死を。




