3.急な訪問には気をつけよう
「⋯⋯えーと、話を元に戻すと」
「戻すなよ!!⋯⋯というか、何勝手に他人の能力をバラそうとしてんの!?」
真木はそこまで叫んで、ふと違和感に気づく。
───そもそも俺、夜玖君に自分の能力を話したことあったっけ?⋯⋯あれ?
真木は信用の置ける者にしか能力を教えない。組織内でも知っている者はごく僅か。しかも厳重に口止めまでしている。当然、出会ってまだ数日の夜玖がそれを知っている筈がないのだ。
首を傾げる真木。全く思い当たる節がない。
───⋯もしかして、組織名簿か?いやでも、あれは厳重に管理されているからなぁ⋯⋯新人が見れる筈がないし⋯。
うーん、と唸り黙り込む真木に、これ幸いと夜玖は続ける。
「⋯えー、改めて言うと。その能力は、対象を『見る』だけでそれに関係する情報が全てわかるらしいよ?⋯⋯ただ、心が閉じられていたり、相当格上の能力者は見えにくかったり、稀に見えない事もあるみたい。ま、一種の精神感応系能力かな」
夜玖の長い説明が終わると、夜宵が感心したようにばちぱちと手を叩いた。その音を聞いて、考え事をしていた真木が現実に戻される。
「なるほど⋯真木さんって凄いんですね!」
「え?⋯⋯いやいやぁ、それほどでも⋯⋯あるのかなぁ、あはは」
真木の満更でもなさそうな得意気な笑顔。それに向けて夜玖は冷たい一言を放った。
「でもさ、こんな小さな子供二人の個人情報でさえ、わからないんでしょ?そんな能力、大したことないよ」
「⋯いやそれは格の違いというものが⋯⋯たまたま⋯ほら稀に見えないというものが⋯⋯」
「大したことないよ」
「いやでも⋯」
「大したことないでしょ?」
「⋯ハイ、オッシャルトオリデゴザイマス」
⋯⋯序列の差を見せつけられた瞬間だった。
何か言いたそうな真木を、夜玖は威圧感のある笑みで黙らせる。それを見た夜宵は不思議そうに声をかけた。
「本当に私たちの情報はわからないんですか?」
「⋯⋯うん⋯情けない話、夜玖君の言っている通り。全体的にモザイクのような物がかかっているみたいで、詳しい情報はおろか名前すらわからないよ」
こんな事は初めてだ、と肩を竦める真木。聞くと組織の長ですら、本名程度はわかったらしい。『掘り出し物だ』と言ったのも、滅多にお目にかかれない程の格上を見つけたからだ⋯⋯あわよくば組織に引き込もうという下心もあったとか⋯結局、それは別の形で叶うこととなったが。
「そうだ。夜宵ちゃんの事、報告しとかなきゃいけないね。それに」
「その必要はないっすよ、真木センパイ」
ボスにも、と真木が言いかけたところで第3者の声が割り込む。見ると、何処からともなく真木の横に巨大なチャックが宙にできていた。
───ジジジ⋯⋯ジ
よっこらしょ、という声と共にチャックが開いた。ストン、と軽々着地したのは狐目の青年。大学生くらいだろう。
クセのある金髪にピアス、ラフな格好をした彼は、人懐っこそうな笑みで言う。
「ちわーっす、お初にお目にかかるっす!武器開発担当、玖珂和人。ボスからの伝言を預かってきたっす!!」
彼が目に入った瞬間、眉をひそめる真木。苦虫をかみ潰したような顔で、深々とため息をつきながら言う。
「⋯近所迷惑になるから、ボリュームを下げろ玖珂。よりによって、お前が来るのか⋯⋯」
こっそりと夜宵が小声で真木に聞く。自然と真木を中心として3人が集まった。
「真木さんのお知り合いですか?」
「俺の後輩だよ⋯⋯残念なことにね。夜玖君も玖珂とは初対面かな?」
「実際に会うのは初めてだけど、紙面上での個人情報は知ってる」
「⋯⋯⋯え?」
夜玖の言葉に真木が思わず絶句した所で、玖珂がニコニコとお辞儀をしながら、真木に挨拶をする。
「真木センパイも相変わらずメガネっすね!あ、今日はスペア25番っすか?」
「相変わらずメガネってなんだよ!!しかもなんで全部同じデザインなのに、25番だって見分けられてるの、ねえ!?ある意味怖いよ!?」
「愛の力っすかね」
「ホモ!?」
「いやいや、友愛の方っすよ?」───玖珂はそう言うとはっ、と何かに気づいたようで、わざとらしく口に手を当てた。
「まさかセンパイにそんな趣味があったなんて⋯⋯オレは同性愛に偏見はないっすけど⋯生憎そんな趣味はないん」
「俺もないからそんな趣味!!⋯⋯そもそも俺とお前は友達じゃないから!!先輩後輩の関係だから!!」
変な勘違いをしていた玖珂の言葉を遮る真木。
「スペアって⋯⋯真木さん同じメガネを複数持っているんですか⋯⋯」
呆れたような感心したような夜宵の声は誰にも届かずに消えてゆく。うわあ、と夜宵は心の中で引いた。
───静寂。かなりの間が空いた後、夜玖が真顔で話し始める。
「⋯⋯で、このお人好しメガネ先輩は置いといて。本題に入るっすね」
「そのあだ名⋯お前絶対あの会話聞いてただろ⋯⋯」
恨みがましそうな真木の声を綺麗に無視し、玖珂は人差し指を一本立てた。
「ボスが言うには、夜宵ちゃんも組織に入れていいらしいっす。ただし、夜玖ぴょんと同じ学園に通うことが条件らしいっすね」
『夜玖ぴょん』と呼ばれた事に対して、夜玖は不機嫌そうな目を向ける。それを見て弁解するように、真木が説明した。
「あー玖珂は基本、男には名前の後に〝ぴょん〟っていう語をつけるんだよ。癖みたいなものだから、玖珂君気にしないで」
夜玖の表情は変わらない。だが不機嫌さと同時に興味も失ったようで、そっぽを向いた。
玖珂はそれを気にせず続ける。
「夜玖ぴょんも何だかんだで、まだ学園には編入してないっすからね、双子で一緒にって良くないっすか。イイっすよね!!⋯⋯で、偽の住民登録とか親戚の偽造とか学園の手続き諸々は、ウチの優秀な偽装担当の仕事っすから、二人とも身一つでOKっすよ!あ、転入日は明後日っすね。因みに明日は転入の為のクラス分けテストが朝からあるっす、お忘れなく!⋯⋯夜宵ちゃんにとっては急っすけど、了承して欲しいっす」
言いたいことをまくし立て、再びチャックの中に戻ろうとした玖珂がピタリと動きを止める。ふと思い出したように、振り返った。
「そういえば、夜玖ぴょんは隠れ家の下見は済んでるっすよね。暇な時でいいんで是非、双子で遊びに来て欲しいっす。色々紹介するっすよ!」
じゃあまた───玖珂は来た時同様にチャックの中へ入りチャックごと消え去る。
その空間を名残惜しそうに眺めながら、
「なんだか嵐みたいな人でしたね⋯⋯」
「玖珂は昔からあんな感じだからね⋯しょうがないよ」
「⋯⋯それに、学園の手続きってそんな一日とかでできましたっけ。他にも住民登録とか色々ありますけど⋯」
「玖珂も言っていた通り、組織の偽装担当は相当優秀でいらっしゃるからね。学園の手続きに関しては、ツテがあるらしいよ。それで早く済むんじゃないかな」
「⋯⋯偽装諸共全部バレた時は大変ですね」
「⋯⋯まあ、その時には全力で逃げよう」
あははは、と両者共に乾いた笑いを浮かべる。本当にバレたらと思うと洒落にならない。
そのやりとりを黙って見ていた夜玖が口元だけに笑みを浮かべながら、声をかけた。
「夜宵、せっかくだしシャワー浴びてきたら?着替えはその間に僕たちで買ってくるから、ね?」
「あ、うん。⋯それもそうだね、夜玖ありがとう」
夜宵は素直にバスルームへと向かう───見送った夜玖は真木と共に外へと出た。
「⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯」
それっきり黙り込んでしまう夜玖。真木は困惑の表情を浮かべる。
⋯⋯服を買いに行くのではないのか。どうして無言のまま動かないのだろう───そんな疑問がぐるぐると頭の中を巡る。
いい加減声をかけようと口を開いた時、
「夜宵に何かしたら、許さないから」
不意に無表情のまま夜玖が口を開く。
───空気は変わらないまでも、背筋がひやりと逆立つ程には殺気が滲み出ていた。
「ちょ、ちょっと待て。俺は何もしないって!!」
「⋯⋯どうだか」
「本当だって!少女趣味じゃないからね!?」
ああ、と夜玖は思い出したように呟く。
「同性愛者だったっけ」
「いやいやいや、夜玖君さっきの会話聞いてたよね!?俺否定してたよね!?」
「忘れた」
「えええー⋯⋯」
あっさりと答えた夜玖。相変わらずの無表情で真木を眺める。
わざとらしくため息をついた後、
「⋯⋯夜宵に食べ物をくれてありがとう」
小さく感謝の言葉を口にした。
「⋯⋯え?」
素直に感謝をするのが意外だったからか、真木の反応が若干遅れる。
「だから」と、夜玖が言葉を被せた。
「夜宵を助けてくれた事には感謝してる。それに僕たちを引き合わせてくれたことにも⋯⋯例えそれが偶然だとしても、ね」
真木は信じられないような目つきで夜玖を見る───数日間一緒に過ごしてきたが、こんな事は一度もなかった。
真木が思ったのはただ一つ。
───相当なシスコンなんだね⋯⋯夜玖君⋯。
真木の残念な物を見るような視線を感じとったのか、夜玖が怪訝そうに言葉を呟く。
「⋯⋯なに?」
「いやいや何も。ただ珍しいなあって」
「僕だって感謝ぐらいはできるよ。失礼だな」
「あまりにも意外だったからね⋯ごめんごめん」
苦笑した真木が夜玖を促す。
「ほら、夜宵ちゃんの服買いに行くんでしょ?」
「⋯⋯わかってるよ」
「ついでに生活用品と買わなきゃね」
「⋯⋯下着とかは僕が買うから」
はいはい、と苦笑を崩さずに真木が答える。ふと大通りへと向かおうとした足が止まった。
部屋には夜宵しかいないということを思い出したのだ。能力者とはいえ、子供が1人きりでは心配だろう。
「⋯⋯夜宵ちゃんを一人にして大丈夫なの?一応、鍵はかけたけど⋯」
真木が手に持った金属製の鍵を見せながら、心配そうに言う。それに対して夜玖は表情ひとつ変えずに答えた。
「それなら大丈夫。部屋の近くの影は、僕が〝認識〟してあるから」
「⋯〝認識〟?⋯どういうことだい?」
真木は影に目を落とすが、なんの変化もない。普段通りの見慣れたただの建物の影だ。
夜玖が影を見下ろす。
「遠くに離れていても〝認識〟してさえいれば、影を操ることは出来る。当然面積に比例して膨大な集中力も必要だし、限度とか使いづらい面はあるけど」
この程度ならそんなに集中しなくても操れるかな。
冷ややかに目を細める夜玖。
夜玖はなんてことの無いように言うが、遠距離で何かを操るというのは集中力もさる事ながら、技術、能力との相性、慣れetc⋯様々な要素が必要となる。
近距離とは勝手が違うのだ。
それを知っていたからこそ、真木は底知れぬ恐怖に囚われる。自身は能力的にも戦闘向けではないが、全体の序列では上位の方だ。
能力が非戦闘向けな分、それを活かすために肉体を鍛えた。結果、元々相性が良かった能力と相まって、組織でも上の方に位置している。
模擬戦などで様々な能力者と戦ったが、わざわざ自分が不利になる遠距離から能力を起こす者は少なかった。いても集中力続かないのか、短時間でやめてしまう。
しかし、この少年は。
───⋯⋯どの位時間がかかるかもしれないかわからない上に、どこにお店があるかも知らないはずなのに⋯⋯この自信は⋯。
だからこそ、圧倒的な能力差を見せつけられると〝畏れ〟が出てしまう。
───個人情報が見えない少年⋯⋯きっとこの少年は〝身体〟も強いのだろう。
「⋯⋯お人好しメガネ、どうしたの?」
いつの間にか、夜玖は自分の前にいた。怪訝そうにこちらを見つめている。
真木は羨望する気持ちを隠し、ありったけの声を張り上げた。
「お人好しメガネって言うなぁぁああああ!!!!」
温かな水滴を肌に受けながら、夜宵はこれからの事を考えていた。
「⋯⋯⋯はあ」
久しぶりの安らぎに、思わず声が漏れる。
シャワーを浴びることを許してもらえたのはいつだったか。
あの頃は辛かったわけではなかったが、どうも窮屈だった。毎日が規則正しく始まり、同じことの繰り返し。『最後の仕上げ』の思わぬ亀裂から繰り返しが途絶えたからいいものの、それからの事は完全に運だった。
───私は〝運良く〟夜玖に会えたからいいけど、他の皆はどうしたんだろう⋯⋯大丈夫かな。
無意識に首元を撫でていた手。⋯⋯数日間包帯を巻き続けていたから、どうしても違和感を感じてしまったのかもしれない。
石鹸独特の香りが鼻をくすぐり、ふんわりと泡立ったソープは滑らかに肌を滑る。
神経を研ぎ澄ませずにも、夜玖が周囲の影を〝認識〟したのがわかった。⋯⋯そして、二人の気配が遠ざかっていくのも。
「⋯⋯服なんて買いに行かなくっても、使い回せばいいのに」
───とはいえ、今までの服装では目立つことも事実。
まだ情報が行き渡っていなかったのだろう⋯⋯だから逃げることが出来たのだ。追われる身である以上、服装がそのままでは不利。きっと既に服装の特徴などは知られていることだろう。
「⋯さすがに、見た目とか能力の詳しい情報は〝アレ〟を除いて残っていない筈だから、知られていないと思うけど」
なんだか勿体ないなぁ、と夜宵は外に用意されてあったバスタオルを手繰り寄せた。
雫の滴る艶やかな黒髪を吹いていると、代わりの服が無いことに気がつく。夜玖たちもまだ帰ってきてはいない。夜玖の服を借りようにも、無断では気が引けた。
そもそも下着なしで着るのは抵抗がある。
───体力を無駄に消費し続けるから使いたくはないんだけどな⋯⋯。
思わぬ所で訓練が役に立ったものだ───ため息をつきながら、空気を含むようにして手を軽く握る。
白魚のように白くほっそりとした指を見つめた。
この中に影は、ある。
そう〝認識〟した自身の手の中から、音もなくカゲが触手のように伸びた。カゲはそのまま一糸まとわぬ華奢な身体へと絡みつく。
始めは太股から這い上がり、胸、肩まで達した所でカゲの形が変化した。
下は折りひだのあるスカート、上はそう、セーラー服である。ただし、リボンはない。
色は当然黒一色。見た目もさながら感触さえも布地のようなリアルな出来に、夜宵は満足そうに微笑んだ。
客観的に見ても違和感はどこにもない───手の中の影に繋がっていることを除いて。
それでもせいぜい、少し変わった制服だな、と思うくらいだ。ただ一つ不満があるとしたら、胸元に付けるはずの真っ赤なリボンがないことぐらいか。
夜宵はカゲの出ている握り拳を服につけ、カゲを隠す───人前ではこの手は服から離せない。離したが最後、能力がバレてしまう。手も開いてはいけない、影元が消えればカゲも消える。見つかってはいけない、また⋯⋯また全てが元に戻ってしまう。
───当分の代わりはこれで大丈夫。
例え急な訪問があったとしても平気だろう───そう、例えば⋯⋯こんなような。
「ごめんくださーい!犯罪抑制組織の者ですが、捜査にご協力願えますかー?」