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言ノ葉へ  作者: 鈴鹿まもり
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毒牙ノ夜へ

 鳥のさえずりが朝を知らせる。瞼の裏で赤く光る日差しが、凛を起こした。

 瞳を開けると、見慣れた囲炉裏と木板の壁が見えた。窓から差し込む光が、きらきらと温かな光景を生み出す。

 まどろみの中、凛は窓辺に立ち光を見上げる男を見つけた。男のすっと通った鼻筋と横顔をなぞるように、朝日がこちらに向かって輝いていた。

「……」

 凛はそれを不思議そうに見つめた。目覚めた時、誰かが側にいることは久しぶりだった。それだけの事なのに、心に温かさがじんわりと滲んだ。

「……起きたか」

 男が凛の様子に気付き、こちらを向いてそう言った。

 手入れの行き届いていないぼさぼさの黒髪。その髪に隠れて見えない瞳が今はとても見たいと思う。あんなに不気味だと感じていた男のことを、今は安心する存在とさえ思ってしまっている自分に、凛は戸惑う。けれどももう、その安心を自分から手放したくはない。

 凛がゆったりと起き上がると、脇腹や背中が痛んだ。昨日の戦闘で出来た傷が体に悲鳴を上げさせているのだ。凛は上半身を起こすが、振動で痛む体をこれ以上動かさないために座ったままの状態で起き上がるのを止める。

 凛は視線を動かし辺りを見回す。凛が今まで寝ていた筵の上には、刀身がむき出しのままの短刀があった。凛は自分の腰に鞘が刺さっているのを確認すると、その短刀を拾い上げ、しばらく見つめてから鞘に納めた。

「良く眠れたか」

 感情の読み取れない男の声音が心地よく響いた。

 凛は男の言葉に頷く。

 誠十郎が亡くなってから、凛はよく眠れなかった。でも今日の目覚めは、とてもすがすがしいものだった。体中痛むが、心に重くのしかかるヘドロのような黒い感情がもう居座ってはいない。

 凛はたたずむ男を眺める。

 紺青の小袖は、よく見ると足元に蔓のような細かな刺繍がしてある。裾元は酷いほつれが生じているせいで、もともとの刺繍の柄が何であったのかはよくわからない。男の肩にかかった紫紺の打掛も、小袖と同じように裾と袖元が裂けている。その着物に合わせたように、腰よりも長い男の濡羽色の髪はところどころ飛び跳ねてまとまりがない。男の瞳は髪で隠れているが、凛の目に見える男のすっきりとした輪郭と、高くつんと伸びた鼻が彼の整った顔の造形を想像させた。男の口元には一つの笑みも浮かばず冷淡に見えるが、それすらも美しく思える。

 まるで人ではないようだ。

 ふと凛は昨夜の男の行動や状況を思い出した。モノノ怪が男の体をすり抜けたことや、宙に浮いていたこと。この世の摂理ではありえないことだ。

「……あなたは、何?」

 凛の質問に、男の気配が揺らいだ。

 男は自らの袖を見つめてから外に目をやると、静かに口を開いた。

「さぁ、私は一体何なのだろう」

 男の言葉は自分自身の存在が何であるかわからないような物言いだった。

「私は誰の目にも映らない。言葉も交わせない」

 そう言った男の表情は、外を見ていたためわからなかった。

「でも私はあなたが見えるし声も聞こえる」

 凛は男をじっと見つめて言葉を返した。こうして男を見たり、言葉を交わしたりできるのに、男はそんな自分を否定していた。そのことに疑問を持たずにはいられない。

「お前は不思議だ。本来ならば私は人の目に映りはしないし、人の耳に自らの声も届かない。誠十郎も、私の声は聞こえていたが姿までは見えていなかった」

「……誠十郎」

 凛が祖父の名前を聞き取り呟くと、男がこちらに振り向いた。

「そう。誠十郎も私の声を聞いていた。私は誠十郎の側にいたと言っただろう」

 誠十郎がいない初めての朝、確かに男はそんなようなことを言っていた。あの時は男の言葉が信じられず相手にもしていなかったが、今なら少し男の話に耳を傾けることが出来る。

「誠十郎が私の声を聞いた時も驚いたが、お前にはさらに驚かされた。今まで見も聞こえもしていなかったのに、お前はあの夜私を見、私の声を聞き、私に触れた」

 凛は襟を掴み、手をなぞらせ小袖の乱れを正す。それからじんわりと痛む傷口に手を当てると、誠十郎の言葉を頭に巡らせた。

「普通ならあなたに触れることもできないの?」

 自分自身が例外なのだと男から言われても、自分の身に起こっていることこそが全て真実なので、凛には空の上のような話だった。しかし男の一言が、凛の考えを揺らがせた。

「私の体をモノノ怪は通り抜けただろう」

 凛は何も言えなかった。確かに昨日の夜、男の体をモノノ怪はただの空気のようにすり抜けた。それこそが男の言葉を真実だと物語っている。

「私の体は物をもすり抜ける。地を踏みしめ歩いているように見えるこの足も、実際には何にも触れていないのだ」

 現実離れした男の言葉が次々と凛の頭の中に流れ込んでくる。しかしそれを嘘だとは糾弾出来ない。なぜならば、凛の目の前で起きたことが夢ではなく現だからだ。それに男の持つ不思議な雰囲気が、追い打ちをかけるように凛を無理やりにでも納得させようとする。どこか人離れした言動が男の言葉を真実に変えていくのだ。

 凛は斜めに流した足を組みなおし、正座をする。痛みで声が出そうになるのを抑え、しかれた筵の上に両手をつく。そしてそのまま男に向かって頭を下げた。

「……ごめんなさい」

 凛は小さく謝罪した。

 男を強く責めたててしまったことを今さら後悔する。

「あなたは誠十郎を助けなかったんじゃない。助けられなかったんだ」

 男の体を、モノノ怪がすり抜けていく光景が思い起こされる。あれは男が誠十郎を助けられなかった証拠だ。触れられないのにどうやって誠十郎を救うことが出来たのだろうか。凛は自分の事ばかり考え、男を責めたて恨んだ己が恥ずかしく滑稽に感じた。とても浅はかで傲慢な思い込みであった。

「無神経でごめんなさい。側にいたのに助けられなかったあなたが一番悔しかっただろうに、私は理由も聞かずにあなたをけなしてしまった」

 凛は自分が村人と同じようなことをしてしまっていたことに初めて気づく。相手の行動や心を決めつけ、耳も貸さずに悪者にした。身勝手で救いようもない人々に絶望したのは自分自身なのに、同じことを繰り返した。

「救わなかったのではなく救えなかった……そうなのだろうか」

 男が思案するように呟いた。

 凛は顔を上げ、男の方を見る。先ほどと別段変わらない体勢のまま男はたたずんでいたが、彼の言葉の間が、見えない男の感情を垣間見せた。凛の言葉にそうだと言わない男の戸惑いと、誠十郎を救いたかったのだという思いが凛には見えたような気がしたのだ。

 初めて感じ得ることのできた男の感情。その不器用な思いからは、きっと彼さえもわかり得ていないだろう事を想像することが出来た。

「誠十郎のこと、大好きだったんだね」

 凛がこぼした言葉に、男は反応する。両腕を組み、窓の外を見て息を零した。

「まさか。いけ好かぬ男だった」

 そう言った男だったが、その言葉の中には悪意はみじんも混じっていなかった。冷たく聞こえるが、慈しみを持った声音だ。けれど男は、自分の中の感情をわかっていないようで、再び考え込む。一番自分の近くにあるもののはずなのにわからないのは、凛と一緒だ。誠十郎がいつもそばにいるということにかこつけて大事なことをわかろうとしなかった。近すぎて見えないものもあることを、凛は知った。

 男はしばらく黙り込んでから凛の方に顔を向け、口を開く。

「……お前はこれからどうするのだ」

 考えを中断したのか、男がそう凛に声をかけてくる。凛は瞬きながら男を見つめ、それから自分の脚へと視線を下した。

「どうする……か」

 視線の端に紙が見えた。凛はその紙にゆっくりと焦点を合わせていき、静かに見つめた。

「……手紙」

 筵の上に置かれたのは筒状の手紙だった。

 凛が誠十郎に渡した手紙だ。あの夜のまま、手紙は無造作にそこに置かれたままだったようだ。今日までの凛は、家に帰るといっても寝に帰るくらいでほとんど家にはいなかった。だからこの手紙の存在のこともすっかり忘れてしまっていたのだ。

 凛は最後に誠十郎が目を通した手紙に手を伸ばす。筒になった手紙を手に取ると、茶の紐を解き、中身を読み始めた。

「……え」

 退治屋としての依頼の手紙。その内容は、目を疑うようなものだった。

冠那(かんな)でのモノノ怪退治の依頼……。しかも依頼人の名前が書いてある」

 普通、退治屋に依頼を出す時、依頼人は名前を書かない。人々はモノノ怪を殺めると災いが訪れると考えている。だから災いをわざわざ運んでくるような退治屋を嫌悪するのだ。そんな訳もあり人々は退治屋に手紙を出すことを憚る(はばか)し、名前など書こうものなら自分にも災いが降りかかってくると思っているのだ。それなのに、この手紙には差出人の名前がある。それになによりこの国〝(こう)()〟の中心部である帝都、〝冠那(かんな)〟での依頼だ。

 凛は何かこれには裏があるのではないかと勘ぐってしまう。

 凛が住むこの村は小さく、帝都からだいぶ離れている。それなのにわざわざ帝都からこの村まで来て依頼用の木箱に手紙を入れておくなんて、なにかあるとしか考えられない。少し離れた隣村からの依頼ならまだしも、それよりはるか遠くの帝都から依頼が来るなんて思いもしない。今まで帝都からの依頼なんてなかったはずだ。誠十郎が帝都に出ていくのを見たことがない。

 凛は手紙を握りしめたまま慮る。そして考えに時間を使うと、ゆっくりと手紙を丸め、再び紐で紙の周りをくくった。

 手紙を手に持ち凛は立ち上がる。鈍い痛みに耐えながら、壁に寄りかかった。

「何をしている。傷が癒えていないのだからまだ休んでおけ」

 男が凛の近くに寄ってきて顔を覗き込むように姿勢を低くした。

 凛は近くにある男の顔をじっと見てから小さく笑みを浮かべて口を開く。

「決めた」

 凛は持っていた手紙と共に自らの拳を男の胸に当てた。

「私、冠那に行く」

 凛は男に寄りかかり立つバランスを保つ。そして決意のこもった真っすぐな黒い瞳を見えない男の瞳と交わらせた。

「退治屋としてこの手紙の依頼を受ける。誠十郎が誇りに思った退治屋が、どんなものだったのか、私は知りたい」

 この依頼にどんな意図が含まれようが関係ない。今まで拒絶し嫌ってきた退治屋がどんな存在であるのか知ってみたくなった。誠十郎が誇ったものと大切にしたものを自ら見つけ出してみたいのだ。誠十郎の軌跡をたどろうではないか。

 凛は男から離れると、部屋の端に置いてある葉で編まれた箱の近くで腰を下ろす。それから褐色の葉の色が美しく光沢を放つ箱のふたを開け、その中から紐に幾重にも連なった甲のお金と豆を潰して平たくしたような形の銀のお金〝仁〟を取り出した。それを、同じように葉箱の中に入っていた小物入れ程度の麻の茶色袋に押し込む。

「もう行くのか」

 旅に出る準備をする凛に、男が呟く。思い立ってからの凛の行動が速すぎやしないかと思っての言葉にも聞こえた。

「うん」

 お金を入れ終えた凛は、次に旅用の三度笠と、小袖の上から羽織るゆったりとした引廻し合羽を出すために動き回る。水筒になるひょうたんも忘れずに取った。

 凛はその途中、家の入り口に立てかけてある誠十郎の刀に目をとめた。誠十郎が愛用していた退治屋の道具だ。

 凛はその刀を手に取ると慎重に持ち運び、すぐ横にある棚の奥から群青の長い布を取り出した。その布を筵の上に広げると、布に刀を横たえ丁寧に包みだす。そうして柄から刀身部分までしっかりと包まれた刀を凛は見つめると、その太刀を神棚の下に立てかけた。

 自分の腰にぶら下がる短刀を撫で、凛は誠十郎の太刀を見つめる。

「ねぇ、どうして私が斬りつけたモノノ怪は、傷が全部治ったと思う?」

 凛が後ろにいる男に問いかける。その問いに、男はすぐには言葉を返さずに、返事をする。

「わからぬ。誠十郎の戦いを見ていた時は、そんなことは起きなかった」

 どうやら男も何故モノノ怪の傷が治ったのかは知るところではないらしい。凛自身も傷が治るモノノ怪などは見たことがなかった。考えられるのは、モノノ怪がこの世から淘汰されないように環境に適合し変化していっているという可能性だ。今凛の中ではその仮説が一番有力であった。

「どちらにせよ、戦わなくちゃいけない相手だ」

 今理由を考えても埒があかない。凛はモノノ怪のことを一度頭から離し、誠十郎の刀から視線を外すと再び旅の準備を始めた。

「凛。私も行こう」

 男が動く凛を目で追いながらそう言ってきた。

 凛は一度準備の手を止めて男の顔を見る。

「なぜ?」

 純粋な疑問だった。

 こうして今の今まで側にいること自体も不思議だったが、帝都にまでついてくるとなると流石に疑問が口をついて出てきてしまう。凛が男に向けて投げつけた理不尽な言葉を忘れたわけではないだろうに、それを気にする素振りを見せず側にいるというのだ。

 男は凛が神棚の下に置いた誠十郎の刀を見つめた。

「あの夜……誠十郎にお前の側にいてくれと頼まれた」

 祖父の名前を聞き、胸が締め付けられる。「あの子の側にいてくれ」誠十郎の声が聞こえた気がした。心のざわつきが、凛の感情を高ぶらせる。

「あの男が私に頼んだ、最初で最後の願いだ」

 誠十郎の顔が頭の中に浮かんだ。

 いつも柔らかな笑顔を向けて、どんな時でも凛を責めずに優しい言葉を向け続けてくれた誠十郎。自分のことなど一つも見てくれないと嘆いていた昔の自分が恨めしい。勝手に誠十郎に落胆し、勝手に自分の立場に悲観していた。最期の時まで凛を思い愛してくれていたというのに、失ってからそれに気付いた。

「そっか……」

 凛は涙が出そうになるのをこらえて笑った。

 崩れそうになる表情を見せないために、凛は男に背を向けると、ゆっくりと深呼吸をして宙を見上げた。

「あなた、名前はなんていうの?」

 凛が尋ねると、男は空白の時間のあとに静かに言った。

「コトノハ……。コトノハだ」

 凛は男の名前を小さく口の中で呟く。それから目をつぶり、自分の呼吸を音で感じてからコトノハの方に振り向き笑顔を浮かべた。

「コトノハ。私と一緒に――冠那へ行こう」

 降り注ぐ光の泡が、重い心を軽くするようにきらめく。

 今日ここから、太陽の下、凛は〝理由〟を探しに夜を抜け出す。

 始まりを告げるように、白い鳥が青空へと飛び立った。


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