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言ノ葉へ  作者: 鈴鹿まもり
4/6

毒牙ノ夜へ

 暗闇の中、結った黒髪の尾をなびかせ木々の隙間を駆ける。

 凛は意識を集中させ、視線を彷徨わせた。後方から一つ、気配を感じ取る。

「一匹!」

 凛は腰に差した短刀を右手で抜き出し、足を止めた。後ろを振り返り、闇の中を静かに見回す。右手に持った短刀を逆手に持つと、凛はそれを前に構えた。

 ついにこの日がやってきた。

 誠十郎が死んでからもう数日が経っていた。夜を駆けまわり誠十郎を殺したモノノ怪を何日も探した。今凛に気付いたモノノ怪が凛の探すモノノ怪とは限らないが、数日待ってやっとかかった獲物だ。

 凛はモノノ怪の姿が見えるのを待ち、闇に目を凝らせた。すると、丁度前方からカガチ色の目をしたモノノ怪が凛の方へと飛び出してくる。

「っ」

 凛は足を踏み込み前へと出た。体勢を低くし、飛び出してきたモノノ怪の下に入り込む。そして短刀を振り、モノノ怪の腹を斬った。

 モノノ怪の悲鳴がこだまする。

 凛は瞬時に体勢を立て直しモノノ怪の方を向く。モノノ怪もまた、凛と同じように地に足をつけて次の行動へと移っていた。

 モノノ怪の体は小さく、あばらが浮き出るほどに痩せ細っていた。犬の胴体に、脚が六本と、奇妙な姿だ。モノノ怪は黒い毛を逆立たせ、凛に襲いかかる。

違う。

 凛は舌打ちをした。

 探していたモノノ怪とは違う。誠十郎を殺したモノノ怪は、もっと大きく、圧倒的な威圧感を持っていた。

 凛は短刀を握り直し、駆けた。

 絶えず足を回し、相手の急所をつこうと狙いを定める。しかし放たれた刀身を避けて、モノノ怪は凛の腕に噛みつこうと口を開けた。

「!」

 凛は右方向に向かった腕の力を足の踏ん張りで止める。次に体を捻り、今刀身が辿った軌道を逆戻りする形で短刀を振った。

 短刀はモノノ怪の顎に突き刺さる。

 凛は勢いを殺さず、そのままモノノケを地面に叩きつけた。

 弱々しいモノノ怪の声が響く。

 短刀で顎を地面と縫いつけられた状態のモノノ怪は、しばらく脚をバタつかせてからゆっくりと静かになった。動きがなくなったことを確認すると、凛は短刀をモノノ怪から抜き取った。

「満足か?」

 凛の頭上から、冷静な声が降ってきた。

 夜空を見上げると、木の枝に座る男の姿を見つけた。

「まだいたの」

 凛は男から視線を外し冷たく言い放つ。男は凛の言葉を聞いてから、紫紺の打掛をひるがえらせてゆっくりと地に降り立った。

「お前に少し、興味がある」

 闇夜の中に立つ男は、とても不気味だった。顔を覆う長い蓬髪と、切れたぼろぼろの小袖のせいで幽霊のように見える。

「私はあなたに用なんてないの。干渉しないで」

 凛は右手に持つ短刀を腰に差した鞘へと収めた。そして足早にその場を後にしようとする。

 しかし、唸り声が聞こえ、足を止めた。新手の敵かと身構えるが、声は倒れているモノノ怪から聞こえた。

「!」

 月下に照らされたモノノ怪を見ると、凛がつけた傷口が塞がってきていた。その光景に、凛は放心した。モノノ怪の傷が治るなんて、そんなことはあり得るのか。

 凛は短刀を抜き、まだ倒れたままのモノノ怪に詰め寄った。モノノ怪が立ち上がる前に、とどめを刺さないといけない。

 けれど、遅かった。

 モノノ怪は立ち上がり、凛の攻撃を避ける。凛は逃げたモノノ怪の方に向き直り、男に背を向ける形になった。

「どうして傷が……」

 今はそんなことを考えている暇はなかった。

 動揺している凛に奇襲をかけてきたモノノ怪を避ける。しかし凛が避けた後のその場には、男が危機感なく立っていた。

「なっ!」

 モノノ怪は駆けた勢いのまま男に突っ込む。

 しまったと思い駆け出した時にはもう遅く、モノノ怪が男の方へとぶつかっていく。

「!」

 しかし、想像したものとは大きく異なり、モノノ怪は男の体をすり抜けた(、、、、、)。男の腹を通り抜け、モノノ怪は着地する。そして、モノノ怪は何事もなかったかのように凛にねらいを定めて襲ってきた。

「体を通り抜けた……」

 目の前で起きたことが信じられなかった。人の体が水のようにすり抜けることなどまずない。それに男は、どうやらモノノ怪に狙われてはいない。

「っ」

 凛は噛みつこうと飛び上がってきたモノノ怪を避け、前方に足を踏み出した。そして逆手に持った短刀をモノノ怪の横っ腹に突き立てる。

 モノノ怪が甲高い声を上げる。叫びではない超音波のような声が鼓膜を破ろうとする。凛は咄嗟に耳を塞ぎモノノ怪から距離をとった。

「まずはこいつを何とかしないと」

 いろいろと考えるのはその後だ。

 凛は体勢を立て直し、深呼吸をした。

「凛。仲間が来るぞ」

 男が木々の間を見つめて言った。

 それと同時に、凛は迫り来ていたモノノ怪の攻撃をかわし短刀を振った。

「何、言ってるの!」

 モノノ怪と対峙しながらも男の意味深な言葉に返事をする。すると男は凛の右側を指差して言った。

「今のモノノ怪の叫びは仲間を呼ぶためのものだ。すぐ他のモノノ怪が来る」

 凛はそれを聞き、焦りを覚えたが同時に期待もした。もしかしたら、誠十郎を手にかけたモノノ怪が来るかもしれないと。

 そんな考えを巡らせたのがあだとなったのか、モノノ怪の鋭い爪が凛の左腕を貫いた。

「っ!」

 凛の体がよろける。それを見逃さないモノノ怪は、次に牙をむき出しに凛に襲い掛かった。モノノ怪は後ろに倒れる凛の体に覆いかぶさるように飛びかかり、赤黒い口腔を見せつけた。

 凛は右手に持った短刀を前に突き出しモノノ怪の胸に刺す。するとモノノ怪は体をのけ反らせ、悲鳴を上げた。

 凛はその隙に体の上に乗るモノノ怪を押し、起き上がる。モノノ怪の胸に突き刺さったままの短刀をしっかりと回収し、痛みに暴れる化け物を見下した。

「凛。お前、もう逃げた方が良い。死ぬぞ」

 男の淡々とした言葉が凛の耳に入る。凛は勢いよく男を睨みつけ、罵倒した。

「私はあなたみたいに逃げたりしない! 誠十郎の仇は必ずとる!」

 そう言った瞬間、背後からおぞましい気配を感じた。

 ねっとりと肌を撫でる空気が、息を吸うのも緩慢にさせる。

「!」

 凛が振り向くと、そこには戦慄を感じさせるほどの化け物がいた。記憶と感情が蘇り、体が動かない。

 狼に似た体は今凛が戦っていたモノノ怪の比ではないほど大きく、そして恐ろしい。闇を引き連れてきたかのように真っ黒な体に、血に染まった赤い眼。そしてそのモノノ怪の左目は、傷で塞がっていた。

「こいつ、だ」

 間違えるはずがない。この感覚、この威圧感は、間違いなく誠十郎を殺したモノノ怪だ。誠十郎が負わせた左目の傷も、その証拠だ。

 凛は短刀を構えようとするが、なかなか体が言うことをきかなかった。震えが収まらず、足が動かない。凛はそんな自分の体に悔しくなり、歯ぎしりをする。

 モノノ怪は目で凛を一度とらえるが、おもむろに凛の足元に倒れるモノノ怪を見てそちらに歩き出した。小さいモノノ怪はか細く鳴きながらなおも体をばたつかせている。

 大きいモノノ怪はそんな小さなモノノ怪に鼻を一度押し付けると、大きな口をあけて小さいモノノ怪を丸飲みにした。

「え」

 凛はその異様な光景に頭が真っ白になる。今目の前で何が起こったのか、理解が出来ない。

 仲間を飲み込んだモノノ怪は、さらに体が大きく成長していた。禍々しい黒も、より一層濃いものになっている。

「取り込んだのか」

 男の呟きが聞こえた。

 取り込んだ。モノノ怪は、仲間を取り込みさらに強くなったということだろうか。

 凛の肌には鳥肌がたち、冷や汗が止まらなかった。唾を飲み込むと、喉に痛みが走る。

 モノノ怪が大きく耳障りな声を上げた。体中に伝わる振動が、凛の体を強制的にたたきつける。震えが収まらぬ体を無理矢理動かし、凛はこのモノノ怪と対峙するために短刀を握った。

「誠十郎の仇!」

 凛はモノノ怪との間合いを詰め短刀を振り上げる。しかし右側からモノノ怪の爪が襲い掛かり、凛の体はいとも簡単に吹き飛ばされた。

「っ……!」

 投げ飛ばされ、その先にあった木に強く背中を打ち付ける。

 凛の口からは血が吐き出た。体がそこら中痛み、生理的な涙も浮かび上がる。息をするのも辛かった。

 そんな凛にはお構いなしにモノノ怪は咆哮を上げ、襲い掛かってくる。

 凛は痛む体を無理やり立たせ、かすむ視線の先にいるモノノ怪を確認した。

 モノノ怪が接触するぎりぎりで、凛は右方向に体を回避した。無様に地面に体を打ち付けながらも、必死になってモノノ怪からの攻撃を受けないで済む方法を考える。

 凛はよろよろと立ち上がり、モノノ怪に目を向ける。長くモノノ怪を視界に入れないでいるとすぐにやられてしまうと悟ったのだ。

 しっかりとモノノ怪を見据え、顔の前に短刀を構える。

 こちらから向かっていくと、モノノ怪は凛を上回る俊敏さで攻撃を行ってくる。しかしモノノ怪の方から行動を起こしてくれるのなら、わずかな希望はある。一点しか見ない猪突猛進さを利用して隙をつくのだ。

 凛はじっとモノノ怪がこちらに向かってくるのを待つ。

 案の定、モノノ怪は凛の方に顔を向けると、すぐさま凛にめがけて突進してきた。凛はひたすらに自分の短刀が届く範囲にモノノ怪が来るまで待った。自分よりも体の大きい化け物が向かってくるのは恐ろしかったが、それよりも今は憎しみが勝っている。

 射程範囲に獲物を捕らえ、凛は動き出した。

 姿勢を低くし体の大きいモノノ怪の下に入り込むと、心臓部分をめがけて短刀を突き刺した。そしてすかさず短刀に力をこめ、右に刃を流す。モノノ怪の唸りが響く。

 一太刀あびせた。だがこれだけでは致命傷にはならない。

 凛はすぐさま短刀を引き抜き、モノノ怪の背中をとらえた。そしてモノノ怪が振り返る前に、切りつけようとすぐに短刀を振り上げる。

 しかし、そう上手くはいかない。

 毛の抜け落ちたモノノ怪の長く太い尾が、凛の脇腹をたたきつけそのまま吹き飛ばす。勢いよく地面にたたきつけられた凛は、一瞬意識が遠のいた。

「うっ」

 凛は腹をかかえ小さくうずくまる。短刀はくるくると回り、凛の少し先に転げ落ちていた。

 地鳴りと共に、モノノ怪の黒い影が凛の体に重なる。

 死への恐怖が凛の中に巣食い、心臓の音がうるさく鳴った。

「!」

 モノノ怪の脚が、凛の黒い髪を踏みつける。髪が引っ張られ顔が上がり、モノノ怪の姿が見えた。鋭い牙と赤黒い唾液が凛を嗤うかのように揺れ動いた。

 凛は咄嗟に短刀へと手を伸ばし、それを掴むと自分の結い上げた髪を躊躇なく切り落とした。そして起き上がると同時にモノノ怪の右目を突き刺した。

 モノノ怪が吠える。

 凛はすぐにモノノ怪から距離をとり悶える目の前の化け物を呆然と見つめた。

 凛がモノノ怪の胸につけた刺し傷が、なくなっている。

 息を荒く肩で呼吸をしながら、凛はこの戦いの不可能を悟る。この分では、目の傷もすぐに癒えるだろう。そうなれば次は確実にモノノ怪に殺されてしまう。

 凛は短刀を持つ手に力を込めた。どんな絶望的な状況でも、ここであきらめるわけにはいかない。これが最後のチャンスかもしれないのだ。モノノ怪の目が完全に修復する前に。終わらせなくては。

 凛は短くなった髪を揺らめかせモノノ怪の方へと駆け出そうとする。その瞬間、後ろから手が伸びてきて凛の口元を覆い、体を後ろへと引きつけた。

「もう終わりだ」

 そう耳元で男の声が聞こえたかと思うと、妙な浮遊感が凛を襲う。

 地面が遠く離れていき、木々が密集する山の中からも抜け出た。月の光を遮る枝はすでにどこにも見当たらず、星と月が浮かぶ夜空と土と木が生きる世界が二つに分かれていた。

 飛躍。いや、そんなのはあり得ない。

 人はこんなに高く飛ぶことは出来ない。それに、どうやら男と凛は今上空で止まり、落下する気配が無い。浮いているのだ。

 しかし、今の凛にはそんなことはどうでもよかった。

 仇討ちを邪魔されたことに怒りが向かい、今の状況など考えられなかった。

 凛は口に覆いかぶさった男の手をどけようとするがびくともしない。それでも必死に男の手を引きはがそうと爪を立てたり噛みついたりするが、一向に手が離れる気配が無い。

「お前は一体何のためにこんなことをしているのだ」

 男の言葉に凛は眉を寄せる。そんなのは、仇討ちのためだと決まっている。

 凛が投げつけた瞳から答えを読み取ったのか、男は短く息を落とすと凛に言った。

「あのモノノ怪を殺したその後は? 救いの手を差し伸べなかった村人たちを同じような目に合わせるのか? そして俺も、殺すのか?」

 男の言葉に息が詰まる。凛は震える唇を噛みしめ、下を向いた。

「一生何かを憎み、妬み、殺し続けるか。そんな生き方を、お前は選ぶのか」

 男の言葉は耳が痛くなる。けれど痛いのは、耳だけではなかった。

 凛は自分の胸に左手を置き握りしめた。溢れる感情は、決して凛が認めたくなかったものだった。今も必死にその感情から目を背けようとするのに、男はそれを許してくれない。

「例え仇を打とうとも、誠十郎は戻ってこない」

 思いが、とめどなく溢れ出る。

 喉が焼けるように熱かった。その熱さが体中を巡り、凛の瞳からも熱く流れる雫が落ちた。

 男は凛の体を支え、口を塞いでいた手を離し思いが溜まる凛の涙の雫に触れた。

「そんなの……知ってるよ!」

 肩を揺らし、凛は涙を零す。頬に伝う感情の欠片は、熱くて熱くてしょうがなかった。

「知ってるけど……私、一人でどうすればいいの! 何も……何もないんだよ!」

 凛は大声を上げて泣いた。

 たった一人の家族を失い、凛を凛として認めてくれるものはいなくなった。全てを失い、生きる理由も見失った。恨みでも妬みでも、持っておかないとそこにいる理由を見つけられなかった。

 声を上げる。

 もう誰もいない。誠十郎はいないのだ。どんなに望んでも祈っても、もう会えない。

 無くなった空っぽの心。どうか繋ぎとめてほしい。

 生きていることを忘れないように――――――――ここに存在(いる)ための理由がほしい。


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