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言ノ葉へ  作者: 鈴鹿まもり
3/6

毒牙ノ夜へ

 凛は木の幹にもたれかかり座っていた。

 空には太陽が昇り、凛を嘲笑うかのように眩しいほどの光を地に注いでいた。

 黒く塗りつぶされた凛の瞳は盛り上る一点の土を見、瞬きひとつしない。凛が見つめるその先には、誠十郎の亡骸が埋まっている。

 昨夜の出来事から、凛は一睡もできなかった。頭の中で昨日の光景や言葉が巡ってそれどころではなかったのだ。

 息を吸うと朝の冷たい空気が肺を満たす。

 凛は木に手をついて立ち上がり、空を見上げた。憎らしいほど青々とした空だった。

 誠十郎の短刀を右手にしっかりと握り、凛は墓に背を向けた。凛の真っ暗な目の奥には、どろりと燃え上がる感情がたぎっている。

「……」

 凛は山の奥まった方に目を向け、ゆっくりとその方向に歩き出す。

「待て」

凛 が足を一歩前に進めると、後ろから右手を掴まれる。行く手を阻む存在に、凛は振り返り怒鳴りつけた。

「離して! なんでいつまでも私の側にいる!」

 昨日からずっと、姿は見せないが男の気配が近くにあった。そして今、凛の目の前に不気味なボロボロの小袖をまとう男が立っている。

「何をする気だ、お前」

 男は凛の言葉に答えなど返さず、聞く。彼の髪は目を覆い隠しその片鱗すら覗かせない。けれど強く刺さる視線から男が凛の目をじっと見ているのがわかった。

「私が何をしようが勝手でしょ! 離して!」

 凛は左手で男の手首を掴み、自分の右手から男の手を引き離そうとするがびくともしなかった。苛ついた凛が右手に持った短刀の鞘を左手で抜き、脅すつもりで男に刃を突き付けようとすると、彼は凛の右腕を捻り上げた。

「っ!」

 手に力が入らず、凛は短刀を落とす。

 凛が男を睨みつけると、彼はそのままの体勢で口を開いた。

「馬鹿なことをしようとするな。このままでは誠十郎が浮かばれぬぞ」

 男の口から出た名前に、凛は敏感に反応する。

「……なぜ、誠十郎の名前を知っているの?」

 凛は警戒の色を見せながらも男の方を見た。

 凛がこの男を見たのは、昨日で初めてだ。村のものでもないし、誠十郎の知り合いにもこんな怪しげな男はいなかった。

「なぜ? 私はいつも誠十郎の側にいた」

 男の発言に凛は眉根を寄せる。男の言葉は不可解で奇妙だった。

「何を言っているの?」

 凛が一歩下がると、男は凛の腕を離した。

「そのままの意味だ」

 風が吹くと男の蓬髪がなびく。得体のしれぬ恐れが、凛の体を通り抜けた。

「私、あなたの事なんて知らない。あなたが誠十郎の側にいたのなら、私が知らないはずない」

 凛は自分に言い聞かせるように、並べた言葉を発した。男は凛の言葉を聞きながら、静かにたたずむ。

『陽の言葉を言えば陽が、陰の言葉を言えば陰が、お前の所に返ってくる』

「!」

 凛の心臓が跳ねる。男が口にしたのは誠十郎の言葉だ。

「どうして」

 男の知るはずもない言葉だ。あの夜あの場には凛と誠十郎しかいなかった。なぜ知っているのか。凛は聞くことが怖くなった。

「お前が幼き頃から私は誠十郎の側にいた。ずっと」

 男の言葉は荒唐無稽で信じられないことばかりだ。

 凛はゆっくりと長い息を吐き、一度目を閉じる。それから瞼を押し上げると、真っ直ぐに男を見据えた。

 もし男の言うことが本当だとするのならば、腑に落ちないことがひとつある。

「側にいたならあなたは誠十郎を救えたはず」

 やはり救えた命を見捨てたことに変わりはない。凛のこの男に対しての怒りが収まることもない。

 男の表情は髪に隠れて読み取れなかった。しかし、髪を分けて顔を見ても、男の感情がわかるかどうかは怪しかった。それほどに表情が乏しく見える。

「……それは自分自身に言っているのか?」

 男の唐突な言葉に凛は耳を疑う。

 側にいたなら救えたはずと、自分自身をも責めるように聞こえる言葉に、凛は震えが走った。意図せずに、自分の言葉が自分の元に返ってくる。

 凛はすぐに頭を振り、男を睨みつけた。

「違う!」

 言葉の怖さを感じてしまえば途端に口を開くことが恐ろしくなる。凛には自分すらも気づかない思いを、言葉が全て語ってしまうように思えた。

「……」

 凛を見ていた男が、蝶を追うように視線をゆったりと回し始めた。凛も眉間にしわを寄せ、空を見つめる。あるのは木々と差し込む太陽の光のみで、男が何を見ているのかがわからなかった。

「お前の言葉に言喰が反応している」

「え?」

 独白めいた男の呟きに、凛は疑問を持つ。男の口にした言葉に、聞きなれないものがあった。

 男は凛の方に向き直り、口を開いた。

「お前は言霊を信じるか?」

 脈絡のない質問に、凛はペースを乱される。返事をせずに訝しんでいると、男が言葉を続けた。

「人が言霊と呼ぶそれは、存在する。それは言葉を食べる虫。人の言葉を食べ、陽と陰を運ぶのだ」

 凛は誠十郎の言葉を思い出す。良いことを言えば良いことが、悪いことを言えば悪いことが自分の元に返ってくると。男が言うのはそのことだろうか。

「その虫が言喰だ。今お前の周りを飛んでいる」

 男が凛を指差した。

 凛は反射で辺りを見回すが、やはり先ほどのように何もいない。言い訳がましい男の芝居が妙に腹立たしくなった。

「そんな嘘やめて。私は子どもじゃないんだからそんな虚言に騙されない」

 強く男の方を睨むと、男は首を横に倒した。そして「嘘ではないのだが」と呟くと、凛を指していた手を下ろして空を仰いだ。

「ああ、そうか。人には言喰が見えぬのか」

 ふぅと吹いたタンポポの綿毛を見送るようにして男は空を見上げる。その男の一挙一動が凛には嘘くさく感じてしまってならない。

「信じようが信じまいが、言喰は人の言葉を食べ幸福や不幸を運びこむ」

 男が言葉を紡ぐと、舞い上がる風が凛の髪をさらった。強い風に目を閉じ吹き上げる風に誘われるように空を見上げると、光が凛の黒い瞳を照らした。

 青空に目をはせてから視線を下へと戻すと、男の姿がなかった。

 残されたのは地に転がり落ちてこちらを向く、鈍く光る短刀だけだった。


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