夜
静謐で暗い、山の奥。降り積もった雪が夜の寒さに凍えた。
今夜は黒く厚い雲が夜空を覆い、月の光も届かない。
そんな冷気と暗闇が孕む山の中に、ぽつりと目立たぬ小屋が一つある。扉という扉は全て閉ざされているが、家の隙間から微かに橙色の明かりが漏れ出ていた。
「お前はいったい何者だ?」
小屋の中の男が呟いた。
中にいるのは囲炉裏を前に胡坐をかく男と、その横で眠りについている幼子だけ。しかし不思議なことに、男の奇妙な問いかけはこの場にいる幼子に向けられたものではない。
男は纏った着物に飛び火が散らぬように垂れた小口の袖をまくり、火箸で囲炉裏の中をつついた。
「……闇だ」
男の頭上から、声が聞こえた。男性の声だ。
この小屋の中にいるのは男と幼子の二人だけ、あとはどこを見回しても人などは見当たらない。けれども声は、はっきりと男の近くで響いた。男は驚くことなく緩慢な動きで囲炉裏の火を整えてから火箸を手放すと、ゆっくりと上を向いた。
「おもしろい。自らを闇というのか。ならばお前はなぜ闇になった?」
男が笑うと姿なき者が戸惑いの息を吸う。その瞬間を見逃さなかった男は、優しげだが少し意地の悪そうな瞳を宙に定めた。
「言葉には魂がある。言霊さ。言葉にして外に出してしまえばそれは真となる。それと同じように意思にも魂が宿る。言えば言うほどそう思い、思えば思うほど、内からその存在になるのさ」
男は再び目を細め、微笑した。
「では、今のお前は何者だ?」
木々が寒さに震えると、かぶさっていた雪が落ちていく。
月の光も届かぬ夜の静寂に響いた音が、曇天の空を駆けていった。