初めてのおつかい、或いは、初めての失恋?
店が近づいてくると、さすがに沈黙に耐えられなくなって、ぼくはコキュに尋ねた。
「今からいくお店って、どんなお店なの?」
「マダム・サーキュラのお店だよ。寸法を測りにきたときに会ったでしょ。女性ながらに名工の誉れ高い鍛冶師で、高性能なだけでなく、美しい意匠の剣や鎧を鍛えるの」
「ああ、あの色っぽい雰囲気の」
ぼくがそういう目で彼女を見ていたのが気に入らなかったのか、コキュは少しふくれ面でぼくの向うずねを軽く蹴った。
「助手とかじゃなくて彼女が鍛冶師なんだね。女の人の鍛冶師って、なんか想像つかないや。鍛冶師というと筋骨逞しい男性っていう印象しかないし」
すねをさすりながら話題変更。勿論、これは女性蔑視ではなく、鍛冶師と言って真っ先に思い浮かぶのは、上半身裸で、真っ赤に焼けた鉄を打つ逞しい男だということなのだけれど。
「アリスの言いたいことはわかるよ。見たことはないけど、彼女は、西方の『錬金』を応用して剣や鎧を鍛えるらしいから、女性でも大丈夫なのかもね」
そのお店は、華やかな街の中心部からは少し離れた、奥まった通りにあった。店よりも民家の多いその通りの中にあって、そのお店は民家と何ら変わらない外観だ。そうと言われない限り、そこが店であると気付くことはできないと思う。
扉を開けると、こじんまりとした部屋に幾つかの剣や鎧が並んでおり、ようやくここが武器と防具の店であることを実感できた。
「こんにちは。サーキュラ」
コキュが親しげに声をかける。前に会ったときはじっくりと見る暇もなかったのだけれど、サーキュラは青い瞳に青みがかった銀髪を複雑に結った不思議な雰囲気の漂う美女だった。年の頃は20代後半といったところか。
「いらっしゃい、コキュ。そっちは、確かアリスだったよね」
ぼくのこともしっかり覚えていてくれたらしい。
「鎧はできてるよね。あと、アリスの剣も見せて欲しいんだけど」
頷いて、サーキュラは隣室……工房になっているようだ……から鎧を持ってきてくれた。
それは、白銀に輝く、うっとりするほど美しい鎧だった。額当て、胸当て、手甲、スカート、脚甲、軍靴が組み合わさっており、額当てと手甲、脚甲には羽があしらってある。縁取りは艶を落とした金で、全体的に丸みを帯びてはいるものの、女性的というよりは中性的なデザインだ。
「綺麗でしょ。着てごらんよ」
思わず見惚れてしまったぼくを見て、コキュもすごく嬉しそうだ。頷いてはみたものの、着方がわからずにおろおろするぼくに、コキュは説明しながら鎧を着せてくれた。コキュの身体がぼくに触れる度に、ぼくはどぎまぎしてしまう。
着終わると、サーキュラが姿鏡を持ってきてくれた。鏡に映るぼくの姿……美しい鎧を身に纏った姫宮ありす……は、ハイクオリティなゲームのCGのように、リアルでありながらどこか幻想的で、見栄えのするものだった。
「ねぇ、きつくない? ねぇってば!」
夢見心地で鏡の前で色んなポーズを取って遊んでいたぼくは、コキュの声で現実に引き戻された。
「あ、ごめん」
「いいよ、呼びかけに気付かないくらい、気に入ったみたいだし」
コキュは優しく微笑んだ。無視するな、と怒ったりしないのは、コキュもきっと初めて鎧を身に纏った時の興奮が理解できるからなんだと思う。
「あつらえたようにぴったりだよ」
「あつらえたんだって」
ぼくの軽いボケにサーキュラが呆れ顔で突っ込む。
「まぁ、男でもそんなに違和感はないだろ?」
「うわ、ばれてたんですね」
「そりゃ、採寸して気付かないほど節穴じゃないさ。コキュに口止めされてなきゃ、騒ぎたててたよ」
「でも、じゃあ、リシェより胸が大きいって言うのは……」
「ああ、あれはほんの冗談さ。実際には同じくらいかな」
聞かなきゃよかった。
「さて、後は剣だね」
「どんな剣がいいんだい?」
サーキュラが剣を数本の剣を立てた台を持ってきた。剣を選んだ経験なんてないぼくは、おろおろとコキュの顔を伺ってしまう。
「ここに置いてある剣は、どれもかなり品質のいいものだから、アリスが直感的に気に入ったものを選べばいいと思うよ」
サーキュラが運んできた台は3つ、一つにつき5本の剣が立てかけてある。
「標準的な形状の剣は網羅してあるけど、同系統の他の剣が見たいならもって来るよ」
「サーキュラのお奨めは?」
気に入ったのを、と言われても、自分の目利きに何の自身もないぼくは、不安になって聞いてしまった。
「コキュの言った通りだよ。剣との出会いっていうのは、あれこれ理屈を弄ぶより、素直に感じてしまった方が良縁になるものさ」
「信頼できないお店だと、そもそも剣の質から疑ってかからないといけないけど、ここなら品質は信頼できるから、ほんとにあとは好みだね」
そんなものなのかな……と、少し信じかけたところで、
「まあ、基本的に多くの人間が、見栄えの悪い無骨な剣よりも、宝石や彫刻をあしらった美しい剣を好むから、作る側も剣の質とは直接関係のない装飾を施して小銭を稼ぐんだけどね」
サーキュラがネタをばらした。お陰で、派手な剣は選びにくくなった。
「そういえば、サーキュラは『練金』で剣や鎧を鍛えるんだよね。それって、すごいの?」
「すごい、のかどうかはわからないけど……そこいらの人間よりは『錬金』に長けているのは確かだね」
「でも、『錬金』を用いるから、サーキュラみたいな細い女性でも鍛冶ができるんじゃないの」
「おいおい、コキュまで……『錬金』はそういうものじゃないよ。それに、コキュに『細い女性』なんて言われたら皮肉にしか聞こえない」
サーキュラが苦笑する。
「剣や鎧を鍛える技術じゃないの?」
思わず二人の「細さ」を見比べようとしてしまったぼくの目を両手で塞ぎながら、コキュが尋ねる。
「うーん、定義によるかな……。鍛冶師が剣や鎧を鍛える技……そういう意味の技術でないのは確かだね。『錬金』っていうのは知識の集積なんだ。文字通り、金を練る、ね。ここで言う『金』は黄金という意味ではなくて、金属という意味。鍛冶にも応用できる知識であるのは確かだから、その意味では、技術と言えなくもないんだけどさ」
「黄金を作り出す技術じゃないの?」
ぼくは両目を隠されたまま尋ねた。何も見えないけれど、コキュの手がぼくの顔に触れる暖かさは心地よく、抗う気にはなれない。
「まあ、そう考えてる連中もいるけどね。あたし個人としては金を作るなんて無理だと感じているし、寧ろ、そこを目指す過程で得られた膨大な卑金属に関する知識こそが『錬金』の真価だと思うよ」
「でも、無理だと感じるくらいまでは試したんだ?」
そろそろ目を開けたいと思って軽く動いてみたけど、コキュはまだ手を離してくれない。
「そりゃ、一応ね……金を作るよりも、武器を作って売った方が金になるって気付いただけの話だよ。それにしても……お前ら仲いいな」
サーキュラが呆れ顔で言った。
***
結局ぼくは、練習で使っているのと同じような、シンプルな長剣を選んだ。やっぱり使い慣れた形状が一番安心できるし、繊細な飾りが付いていても、すぐに壊してしまいそうだからだ。
剣は持って帰ることにしたのだけれど、鎧はそうもいかず、宿舎まで届けてもらうことにした。正式な鎧だけでなく、同じ重さと形の練習用の鎧も届けてくれるそうだ。
あの鎧を身に着けて戦う自分を想像すると、いやがうえにもテンションが上がってしまう。でも、少し気になることあって、ぼくはコキュに尋ねた。
「ねぇ、剣と鎧の支払いってどうなってるの? かなり高いよね、やっぱり……」
「ああ、それは大丈夫だよ。アリスの給金から天引きするから」
「え、ぼくに給金なんて出てたの!?」
「そ、そんなに驚かなくても……ちゃんと出てるよ。多くはないけど」
「そうなんだ……でも、給金くらいで足りるの?」
「うーん、今の給金だと、30年分くらいかな?」
「えぇっ!?」
「騎士になったら給金も上がるけど、それでも1年分くらいかな」
「騎士にならないと、一生ただ働きだね……騎士になっても1年分かぁ……」
「なんてね、ほんとは騎士団の予算から出してるから、アリスが払うわけじゃないよ。でも、騎士になれなかったら、騎士団から除名の上、請求するから、頑張ってね」
コキュがいたずらっぽく笑う。その笑みにぼくの鼓動は高まって……
ぼくは知らないうちに、とんでもないことを口走っていた。
「ねぇ、コキュ……。ぼく、君のことが、す、好きなんだ……。今はまだこんなだけど、騎士になったら……」
「ごめんなさい」
精一杯紡いだ言葉を待っていたのは、明白な拒絶だった。ぼくだって、自分とコキュが釣り合わないことは十分に知っていて、淡い期待を抱いていただけなんだけど、そんな期待は粉々に砕かれてしまった。
その後はさすがに気まずくて、お互い無言だった。絶望と後悔に打ちひしがれながらの帰路は、無限に続くかと思えるくらいに長かった。




