逢引き、或いは初めてのおつかい
「アリス、今日は少し街まで付き合って欲しいんだけど……」
それはごくごく自然で、何気ない口調だったのだけれど、気だるい雰囲気に包まれた朝の食卓を活気付かせるには十分な一言だった。
「騎士団長としての権限を濫用して同伴を命じるとは……コキュもいよいよ形振り構わなくなったな……」
カミナが相変わらずの皮肉な響きでしみじみと論評する。
「別にここでいちゃついてくれても、あたしたちは気にしないのに。でも、そんなにあたしたちが邪魔なら、二人きりになれるイケナイ場所、教えてあげよっか」
リシェもいじわるに笑いながら囃し立てる。
「そんなはしたない……。でも、お二人でしたら、きっとコキュの方が主導権を握るのでしょうね……」
どこまで想像しているのか、トリチェの顔は既に真っ赤だ。
「……街へ行くなら……ガレットが食べたい……」
色気より食い気の人間が一人。
「はぁ……」
もはや言い返す気力もなく、コキュは深い溜息を吐く。
「で、結局二人で何をしに行くのかな?」
口々に勝手な妄想を披露するのに疲れたらしく(コキュが無言で流したから尚更だ)、カミナが話を本題に戻した。
「もちろん、みんなの想像通り、逢引だよ。あ・い・び・き。アリスに首輪をつけて、跪かせてくるの。別荘にわたしの嗜虐性とアリスの被虐性を満足させてくれるような凄い設備を入れたから、試してみたくて」
「!!!」
コキュの意外な答えに、全員が(カミナさえも)目を見張る。こうもきっぱりと言い切られては、冷やかす言葉もでないようだ。
「え、え、え……」
勿論、一番驚いたのはぼくで、陸に上がった魚のように口をぱくぱくさせただけで、何も喋ることができない。
「気になるなら、付いて来てもかまわないよ? 幸い、アリスは見られる方が燃えるらしいし」
勝ち誇ったかのように、コキュがカミナとリシェに微笑を投げかける。二人は顔を見合わせると、降参、とばかりに両手を上に挙げた。
***
「ね、ねぇ、ほんとにコキュの別荘に行くの?」
離宮の正門を出た所で、ぼくは恐る恐るコキュに聞いてみた。
「ば、ばかっ、そんなわけないでしょ」
真っ赤になってコキュが必死に否定する。当たり前と言えば当たり前なんだけど、少しがっかりだ。でも、さっきのクールに勝ち誇った姿とのギャップが可愛いから許す。
「アリスの鎧が完成したから取りに行くのと、後は剣の見立てだよ」
数日前、とある女性(これがまた垂れ目がちで泣きぼくろのある、艶な女性なのだ)がぼくの体の寸法を測りに来たのだけれど、あれがそうだったのだろう。
その日はみんなばたばたしていて、ろくに説明も聞けなかった。採寸の際、ぼくは、男であることがばれないかと気が気でなかったのだけれど……彼女曰く、「リシェよりは胸があるね」、とのこと。勿論、蹴られないようにリシェには言わなかった。
ぼくたちは、クリエム王女の離宮(美しい庭園を持つ、数部屋だけの可愛らしい小さなお城だ)の敷地内に建てられた宿舎に、普段寝泊りしている。
クリエム王女が王宮にいる間は、近衛兵たちが王女の警護に当たるのだけれど、王女の外出時と離宮を利用している間(大体週に二日ほどで、泊まっていくことも多い)だけは、騎士団のメンバーで護衛することになっているのだ。
ぼくも一応騎士見習いとして、王女が離宮に泊まるときには寝ずの番をしたりもするのだけれど、王女の外出に付いていったことはない。コキュやトリチェのように、宿舎の他に帰る場所もないから、離宮の敷地から外に出るのは、実は今日がはじめてなのだ。
今日のコキュは、お出かけ用に、ふわっとした可憐なドレス姿だ。こういう格好のコキュを見るのは初めてなのだけれど……。
「もぉ、あんまりじろじろ見ないでよ」
だめだ、目を離せない。コキュの照れた仕草は却って逆効果だ。まるで絵画の中に出てくる妖精のような、掛け値なしの美少女なのだから。
どこから見ても、彼女が大貴族の深窓のお嬢様であることは疑いようがないだろう……ある一点を除いては。そう、それは、さり気なく(?)腰に差された長剣だ。美しい彫刻の施された銀製の鞘が、冷たい輝きを放っている。
「……その剣、なんとかならなかったの?」
「うーん、やっぱり変かな? でも、ないと落ち着かないんだよね」
コキュは困ったような顔でちょっと舌を出した。だ、だめだ、コキュの可愛さにどうにかなってしまいそうだ。
コキュの可愛さというのは、そう、とても自然な可愛さなのだと思う。見た目の美しさは、ちょっとありえないくらい際立っているのだけれど、性格が至って自然なのだ。
自分の美しさ、家柄、地位、そういった彼女の持って生まれたものを不必要に感じさせない、自然な態度、表情、口調……そんな彼女の自然さが、ぼくを惹きつけるのだ。
他の4人もそれぞれに美しいのだけれど、ぼくにとってはコキュのような気安さを感じられる存在ではないのかも知れない。
トリチェは、どちらかというと頼れるお姉さんみたいな感じだし、カミナに至っては精神的に成熟しすぎていて、そもそもぼくなんかおもちゃにしか見えていないだろう。
リシェは小悪魔過ぎてぼくの手に負えない。あのタイプは、真面目な男性をのめり込ませて破滅へと追いやるのだと思う。キルシュは、愛玩動物みたいな(抱きしめたくても逃げてしまう、猫のようだ)可愛さなんだけれど、やっぱり恋愛対象にはならない気がする。
それに比べるとコキュは、何かと気になる憧れのクラスメイトのような存在で、ぼくの心をときめかせるのだ。
コキュの隣を歩きながらそんなことをぼんやりと考えていると……ぼくは今更ながらに、自分がコキュのことを好きだということに気付かされるのだった。
***
今日は快晴。八の月半ばの陽気の中を、コキュと二人歩くのは楽しくて、ざっと10kmくらいの街への道のりでは物足りなさすら感じてしまう。
街(フィアーナ王国王都フィアというのが正式名称だ)に入ると、道行く人々が代わる代わるコキュに挨拶をした。
貴族、商人からごく普通の街の住人に至るまで、エルロンド侯爵にしてヴィルキア騎士団長を務める上位騎士コキュアス=エルロンドを一目でも見ようと、集まってくるのだ。コキュはそれに笑顔で応えていく。自然、二人の会話は途切れてしまった。
貴族達の中には、挨拶だけでは飽き足らず、コキュを口説きはじめようとする不届き者もいたのだけれど、コキュはすかさず「公務の途中ですので」とそれを拒絶した。短時間のうちに幾人ものライバルの存在を知って、ぼくは気が気じゃない。
それでも、コキュがことごとく拒絶していくのを見て、少し安心し始めた矢先……。
「これはコキュアス嬢、ご機嫌麗しく」
気取った口調で優雅に一礼した男は、それまでの十把一絡げの貴族連中とは段違いな、男のぼくから見てもかなりのいい男だった。
背丈は、ぼくより少し高い程度で、均整の取れたシャープな身体つきをしている。白皙の肌に燃えるような情熱的な赤毛が映え、暗褐色の瞳は、金縁の片眼鏡と相俟って知的な印象を与える。
白を基調としたゆったり目の上下は、一目でそれとわかる上質の絹布で、襟と袖口とに赤い布をあしらわれ、金糸で複雑な刺繍が施されていた。
見るからに聖職者風の出で立ちながら、その男はだらしなく上着を着崩しており、聖職者らしからぬ逞しい胸元を覗かせていた。
「久しぶりだね、ジェイド」
コキュは、ぼく達に見せるのと同じ気安さで、その男……ジェイドに返事をした。
「久しぶりなのは、コキュが礼拝に来ないからだろ。たまには顔出せよ。アンジュも寂しがっているぞ」
「ごめんね、こっちも色々忙しくて……」
コキュは照れ隠しするように、さっきと同じように軽く舌を出して見せる。ずきっ、と胸に感じる痛み……ぼくは、嫉妬しているようだ。
「姫様にべったりひっついているだけだろ。あんまり甘やかすと、姫様のためにもならないぞ」
「余計なお世話だよ……っと、悪いけど、今もあんまり時間ないんだ。逢引きの最中だし」
言って、コキュは悪戯っぽく笑いながら、ぼくにウィンクをした。ジェイドがつられるようにこちらを見る。
「おやおや、それは失礼をば。お許し下さい、美しいお嬢さん。私はジェイダイト・ストンウェル。アル・メギド教団のしがない司祭です。ジェイドとお呼び下さい。以後、お見知りおきを」
先ほどコキュにしたのと同じ、優雅な一礼。悔しいけど、何度見ても絵になる。コキュに肘でつつかれて、はっと我に帰る。不覚にも見惚れてしまった。
「え、えっと、アリス・ミナセ、騎士見習いです。こちらこそ、よろしくお願いします、司祭さま……」
しどろもどろ言うと、ジェイドは何かを噛み締めるように、拳を握り締めて天を仰いだ。
「くぅ、聞いたか、コキュ、『司祭さま』だぞ!? これこそが、年頃の可憐な少女の正常な反応というものだと思わないか!?」
感極まったかのように目を潤ませたジェイドの言葉にも、コキュの反応は冷淡だった。
「そうだね。若い女と見れば見境無しに口説いて回る軽薄司祭と知らなければ、正常な反応かもね」
「ちょ、ちょっと待て……初対面の美少女の前で、そんな誤解を招くようなことを……」
「なるほど、教会用語では、真実のことを、誤解を招くようなことって言うんだね。勉強になるわ……。さて、もう行くね。アンジュによろしく」
鋭い皮肉に絶句するジェイドを置いて、コキュはぼくの手を引いてその場を後にした。早足に歩きながら、コキュがぼくを茶化す。
「よかったね、アリス。可憐な美少女、だって。アリスもまんざらじゃなさそうだったし」
「冗談でもやめてよ……ぼくにそっちの気はないんだって」
「うーん、あいつは女好きだけど、そっちの方はどうなのかな……小さい頃に、女人禁制の修道院なんかで育てられてたら、両刀使いでもおかしくないよね……」
更にそっちの方向で会話を続けようとするコキュに、ぼくは話題の変更を試みた。
「この国では、男しか司祭になれないの?」
「そんなことないよ。女司祭も沢山いるし。さっき話に出てたアンジュ……ジェイドの妹なんだけど……もそうだよ。ただ、幼少期は、男女別の修道院に入れられることが多いみたいだね。ジェイドの女好きは、抑圧された幼少期が原因だって、自分で言ってた」
「仲いいんだね」
少し恨めしそうな口調になってしまう。
「そうだね。ジェイドに『適性』が見つかるまでは、ジェイドも私やトリチェと一緒に剣を学んでいたから」
「『適性』?」
「うん。稀に見る、退魔師としての適性……。ああ見えて、ジェイドはこの国でも最高の力を持つ退魔師なんだよ。その力だけで、若くして高司祭に抜擢されるくらい」
専門用語がよくはわからないけれど、どうやら凄い奴だったらしい。なのに、コキュの表情も口調も、どこか複雑だった。
「それって、すごいことなんだよね?」
「うん……でも、ほら、ジェイドって、見ての通り、敬虔な性格じゃないし、色々大変だったみたいだから、友達としては、ね」
色々あるのだろう。とやかく聞くのは、躊躇われた。なんとなく、空気が重くなって、お互い無口なまま道を急いだ。こんな時に限って、誰も話しかけてこないのがかえって恨めしかった。