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ぷらいべーとれっすん(2)

《キルシュとの特訓》


「……」

「……えっと、あの……」

「……」


 キルシュが手空きだから特訓してもらいなさい、とコキュに呼ばれ、中庭でキルシュと向かいあってから既にかなりの時間が経っている。その間キルシュは一言も口を開かず、いつもの無表情で見るともなくぼくの方を見ている。


 重い沈黙に耐え切れず、ぼくは何度かキルシュに話しかけようとしたのだけれど、その都度完璧に無視されていた。これはにらめっこの訓練なのだろうか……。


「ああ、キルシュめ、またこんな所で寝て……」

 振り向くと、見回り途中なのだろうか、カミナの姿がそこにあった。


「え、寝てるって?」

「キルシュは少しでも気を許すとどこででも寝てしまう困った奴ゆえ」


「立ったまま、しかも目をあけたままで?」

「然様」

 なんて器用な……。


「話しかけても起きないんだけど……」

「それくらいで起きれば苦労はせぬよ」

 明るく笑うカミナ。


「じゃあ、どうすれば」

「起こすのはさして難しくないのだが……。キルシュに殴りかかってみるとよい。本気で、当てるつもりでな」


 半信半疑で、ぼくは軽く構えをとって、ぎこちない動作でキルシュに打ちかかる。その次の瞬間……。

「ぐふっ……」


 ぼくはもんどり打って倒れていた。それまで微動だにしなかったキルシュが、目にも留まらぬ早業でぼくを打ちのめしたのだ。防具の上から殴られたにも関らず、防具なんてないかのように衝撃が突き抜けて……しばらくは息もできない。


「……なんだ……アリスか……」

 目が覚めたらしく、面白くもなさそうに、言う。


「起こすのは簡単なのだが、命がけになるのが苦労の種なのだ」

 苦痛に呻くぼくをからかうように、笑いながらカミナが言う。

「そ、それを早く言ってよ……死んだら、どうするの……」


 息も絶え絶え、恨みがましく言うと、

「まぁ、キルシュも相手の実力の程度や殺気の有無で、ちゃんと加減はするようだから、アリス殿なら死ぬことはあるまいよ」

 と、悪びれた様子もない。ぼく程度の実力では、殺すまでもないということだろう。少し悲しい……殺されたいわけでは、決してないのだけれど。


「さて、キルシュも寝ていないで、ちゃんとアリス殿を鍛えてやるのだぞ」

 キルシュはこくり、と無表情のまま頷く。


「でも、カミナはどうして、キルシュが寝ているか起きているのかが解るの?」

 不思議に思ったので聞いてみた。ぼくには、まったく区別がつかない。

「おや、アリス殿には見えぬか。寝ている時のキルシュの身体には、これまで殺めてきた数多の者達の悪霊が寄ってくるのだが……。キルシュが立ったまま寝ていられるのは、そうした悪霊たちが身体を支えてくれるからなのだよ」

 カミナが真顔で言う。


「じょ、冗談、だよね?」

 おそるおそるキルシュを見る。

「……わたしには、見えない。……寝てるんだから」

 キルシュは無表情のまま呟いた。仮に冗談としても気味の悪い話なのに、怖がる様子も見せない。


「悪霊は怖くないの?」

「……もし悪霊が怖いものなら、わたしはもう生きていない」

 それほど沢山の人間を悪霊にしてきた、ということなのだろう。無表情で語るキルシュに物悲しさを感じてしまう。


 そんな暗い雰囲気を吹き飛ばすように、カミナが明るい声で言った。

「ほらほら、折角キルシュが起きたのだから、一手ご教授頂いたらどうかな、アリス殿。キルシュほどの達人に教えてもらえる機会など、そうあるものではないぞ」

 キルシュとぼくが同時に頷く。


「……構えて……」

 キルシュの言葉に、ぼくはコキュに教えられた通りに構える。

「どうかな、アリス殿の素養は」

 カミナの問いに、

「……なってない。……全然」

 辛辣すぎるお言葉。凹むなぁ……。


 そんなぼくにはお構いなしに、キルシュはどこから出したのやら、ナイフの柄を使って地面に半径1.5mほどの円を描いた。そして無言で円の中に立つ。相撲でもとろうと言うのかと思いきや……


「ほら、アリス殿、呆けておらず、キルシュを捕まえてみるがよい」

「え、捕まえるって?」


 こんなに小さな円の中で、鬼ごっこをしようと言うのか。馬鹿にするにもほどがある、と、やや憮然として、円の中に入り、キルシュに触れようと手を伸ばす。捕まえた、と思った瞬間、ぼくの手がキルシュの身体をすり抜けたような錯覚とともに、キルシュの身体は既にその場からいなくなっていた。


「え??」

 一瞬、何が起こったかわからずに唖然とするぼく。ぼくの目は、この狭い範囲にいるはずのキルシュの姿を完全に見失っていた。恐る恐る振り向くと、キルシュはまるでずっとそこにいたかのように、さっきまでとまったく変わらぬ様子で立っている。再び手を伸ばしてみる……が、結果は同じだった。


「ふふっ、どれくらいで捕まえられるか見ものだな」

 カミナは何時の間にやら、酒瓶とお猪口を取り出し、酒を呑みながらの観戦モードに入っている。ぼくは次第にむきになって、手を使い、足を使い、身体ごとぶつかりにいったりして、なんとか触れようと足掻くものの、キルシュの衣服に触れることすらできない。


 どれほど時間が経ったか、ぼくは触れることができないままに疲労で動けなくなった。

「不甲斐にゃいにょぉ……しょんな、小しゃな円のにゃかの相手をちゅかまえられないとは……ひっく」

 カミナが呂律の回らない口調で言う。頬には赤みが差し、目はとろんとしている。意外にも、あまり酒には強くないようだ。


「きるしゅの、しゅがたらけを追っているから見失うのら。きるしゅを含む空間じぇんたいに、意識を配るのら」

 ……なるほど。酔ってはいても、さすがは武芸の達人。もっともらしいアドバイスだ。


 ぼくはなんとか立ち上がり、言われた通りに、できるだけ広い範囲を意識に置いてみた。そして、ゆっくりとキルシュに向かって手を伸ばす……。すると、さっきまで見えなかったキルシュの動きを意識することができた。


 さっきまでのぼくは、キルシュの姿を捉えようとするあまり、却って自ら死角を作ってしまっていたのだろう。キルシュはそれほど素早い動きで動いているわけではなく、上手くぼくの死角にもぐりこんでいただけだったようだ。死角を少なくすれば、キルシュを捕まえられる気がした。


 できる限り広い範囲に手が届くよう、両手を伸ばし、地引網で範囲内の魚を全て捕まえるイメージでゆっくりと間合いを詰めていく。これなら、キルシュは逃れられないはず!

 そして、ようやくキルシュに手が届きそうになった瞬間……。


 どすっ


 胸部に拳が突き刺さる鈍い音と共に、ぼくは派手に吹き飛んだ。今度のは、ダメージを与えることより突き飛ばすことに重点を置いていたからだろう、殴られた痛みはほとんどなかったのだけれど、倒れる際に背中を強か打ってしまい、呼吸が止まる。咳き込みながら起き上がると、既にキルシュの姿はなかった。


 うぅ、やっと捕まえられると思ったのに、捕まるのが嫌だからって殴り飛ばすなんて、ずるい……。感情がないように見えて、案外キルシュは負けず嫌いなのかも知れない。でも、そう、ぼくは勝ったのだ! こんな狭い範囲での鬼ごっこでは何の自慢にもならないけれど、勝てないよりはずっといい。


 それもこれも、助言してくれたカミナのお陰……と思い、お礼を言おうと彼女を見ると、彼女は酔い潰れて眠りこけてしまっていた。助言の代償と言うべきか、ぼくは、疲れきった身体に鞭打って、カミナを彼女の部屋まで必死に引きずっていかなくてはならなかった。



《トリチェとの特訓》


 今まで、ぼくと訓練する時には、ど素人のぼく相手に必要ないと思ったのだろう、誰も防具など身に着けていなかったのだけれど、トリチェは、ぼくと同じように皮製の胸当てと額当てを身につけて現れた。


「訓練とは言え、もしものことがあっては大変ですから」

 真剣な表情で、言う。なんだか、対等の訓練相手と見てもらっているようで、嬉しい。トリチェはぼくに片手剣と円形の楯を手渡した。


「アリスさま、わたくし達騎士にとって、一番大切なことは何だとお思いですか?」

 トリチェが表情を崩さぬまま、言う。茶化すことなんてとてもできそうにない、本気の問だ。


「えっと、やっぱり、大切なものを護ること、かな……」

 何よりも王女を優先するコキュの姿が浮かんで、ぼくはそう答えた。

「そうですわね」

 トリチェは満足気に頷いた。


「戦うことそれ自体を目的とする戦士と、大切なものを護るために戦うわたくしたち騎士とは違います。戦士は、敵を殺せばいい。でもわたくし達騎士は、どれだけ沢山の敵を殺しても、護るべきものを護りきれなければ負けなのです。では、大切なものを護るために、一番大切なことは何だと思いますか」


 なんだろう……。色んな答えが頭に浮かぶけれど、どれも正解とは思えない。

「ごめん、わからないや……何かを護ろうと思ったら、勇気も知恵も強さも必要だと思うけど、それだけでは十分じゃないだろうし……」


「ですわね。きっと、人それぞれ違う答えを持っているのでしょうけれど……。わたくしは、死なないこと、だと思っていますの」

 トリチェは優しく微笑んで、そう答えた。


「命を賭して護る、そんなことを簡単に言う人もいますが、死んでしまっては護りきれないではないですか。もちろんわたくしとて、自分の命と主の命、どちらか片方しか選べない最悪の状況では、自分の命を捨てるでしょう。しかし、そんな状況では、自分が死んだ後、主が助かるとも思えません。だからこそ、そんな最悪の事態にならないようにすることの方が大事なのです。危機に陥ったとき、死の誘惑は、それはそれは甘美なものです。でも、そんな安っぽい英雄思想に溺れたりせず、決して諦めないで、ご自分の命を大切にしてくださいね」


 訓戒はここまでで、後は実際の訓練に入った。以前コキュが教えてくれた通り、楯を使っても防御の方法は変わらなかったから、トリチェとの訓練でも困ることはなかった。でも、流石は『美しき楯』と呼ばれるだけあって、その楯の使い方はとても洗練されていた。


「楯がどうして平板ではなく、丸みを帯びているがご存知ですか」

「敵の攻撃を効率的に逸らすことができるように、だよね」


「はい。ですから、楯を用いれば敵の攻撃を弾き返すこともできるのですけれど、受け流す方が理に適っていると言えますわね。受け流すためには、手で楯の角度を変えるだけではなく、同時に体を捌いて、腕力だけでなく、体重のすべてを利用するのが理想的です……」


 みっちりと楯の扱いを練習すること一時間ほど。休憩しましょう、と言われてすぐに、ぼくは情けなくもその場に座り込んだ。本当は、息をするのも億劫なくらい疲労していたのだけれど、ぼく以上に動いているはずのトリチェが頬を軽く上気させている程度で息も乱していなかったのが悔しくて、無理に話題を探してトリチェに話しかけた。


「トリチェの剣の流派はどこなの?」

「わたくしですか? わたくしは、シンクレア・スティルですよ」

「じゃあ、コキュと同じなんだね」

 何気なく言ったんだけれど、トリチェは困ったような、曖昧な笑い方をした。


「え、違うの?」

「えっと、違わないんですけど……コキュは、ちょっと特殊で……コキュの前では流派の話はあまりしない方がよいかも知れませんね……」

 やっぱり、言葉を濁す。そういえば、この話をした時のコキュも歯切れが悪かったのを思い出す。


「どう特殊なの?」

「コキュは、シンクレア・スティルを学んでシェリダン・スティルを極めたって揶揄されるんです。ご存知かも知れませんが、シンクレア・スティルは優美で流麗な剣技を特徴とするのですけれど、気性なんでしょうね、コキュが剣を振るうとどうしても鋭利で苛烈になってしまって」


「それは悪いことなの?」

「いいえ、全然」

 トリチェが強く断言する。


「ただ、貴族には、シェリダン・スティルを野暮で下品と考える方が多くて……。それで貴族の子弟はシンクレア・スティルを学ばされることが多いんです。わたくしや、コキュがシンクレア・スティルを学んだのもそういう理由からです。それなのに、鋭すぎるコキュの剣は、シンクレア・スティルよりも、寧ろシェリダン・スティルのように見えて、揶揄されてしまうんです」

 他人事なのに、トリチェはすごく悔しそうに言う。


「コキュもそれをすごく気にしていて……。流派の話になると、恥ずかしそうな顔をするんです。でも、シェリダン・スティルは本当に優れた流派なんですよ。荒々しく、無骨で、洗練されていないように見えて、その実、一切の無駄がなく、合理的な太刀筋は美しくすらあります。シェリダン・スティルを野暮とか下品などと言うのは、剣というものを理解できない方だけです。……でも、この平和な世の中、貴族の大半は剣なんて理解できないんですよね」

 トリチェは苦笑した。


「じゃあ、コキュは、シンクレア・スティルを学んでいる人達の中では落ち零れだったの?」

「まさか。誰よりも強かったですわ。だから、コキュに勝てない人達が妬みから揶揄するんです。お前の剣はシンクレア・スティルじゃない、って。でもコキュはちゃんとシンクレア・スティルの免状を貰っていますし、コキュの腕はシンクレア・スティルの現当主、『剣聖』シリウス・シンクレア様にも伍するだろう、というのが剣を知る人たちの客観的な評価なんですよ」

「すごいんだね……」


「でも、コキュ自身もよく言うように、流派がどこかなんて大した問題ではないですし、コキュは、誰にも真似できない、独自のスティルを産み出したんだと思いますわ」

 どこか自分のことのように誇らしげに語るトリチェの話を聞きながら、ぼくは頭の片隅で別のことを考えていた。シリウス・シンクレアという名前だ。確か、カミナの話の中に出てきた、コキュに告白して振られた人だったんじゃないかな。


「ねぇ、トリチェ、シリウス・シンクレアってどんな人なの」

「シリウスさまですか? とても素敵な殿方ですわよ。当年22歳、金髪碧眼の絵に描いたような美男子で、上位騎士の称号を持ち、『剣聖』の誉れも高い、ラディム騎士団の筆頭騎士ですわ」


 なるほど……出てきた単語の大半は理解できなかったけれど、とても友達になれそうにない奴であることだけはよくわかった。


「でも、コキュは振ったんだよね? どうしてだろ……やっぱり気障で性格が悪いのかな」

 思わず偏見丸出しで毒づいてしまう。


「わたくしはコキュではありませんから、コキュが何故、シリウスさまの求愛を断ったのかは存じませんけれど……少なくとも、シリウスさまは性格も申し分ありませんわ。誰にでもお優しいですし、甘い微笑みはまるで天使のようで……それでいて、剣を振るう時のあの凛々しさと言ったら……」


 奴のことを思い出しているのか、トリチェはうっとりとした様子で、頬を染めている。悔しいけれど、そんなトリチェはとても可愛い……。もともと、トリチェは可愛いのだけれど(加えて言うなら、胸も5人の中で一番大きくて、とても健康的な色香を匂わせている)、恋する乙女の、夢見るような表情は、その可愛さを最大限に引き立てると思う。


 女の子にこんな表情をさせる男がいるのかと思うと、なんだか自分がすごくみじめに思えた。ぼくが浮かない顔をしているのに気付いて、トリチェが、心配そうな顔をする。


「どうしましたか、アリスさま……あ、ひょっとして、妬いているのですか?」

 す、鋭い……。ぼくは思わず心の中で呻いたのだけれど……。


「アリスさまも、恋する乙女ですものね……わたくしも、コキュがシリウスさまに求愛されたと知ったときには、軽く胸の痛みを覚えましたもの……でも、シリウスさまには今は特定の相手はおられないようですし、もしかしたらアリスさまにも機会があるかも」


 いや、さすがに無理だから。というか、機会があっても嫌だから。そう言いたい気持ちをぐっと堪える。前言撤回、やっぱりトリチェは天然だった……。



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