ぷらいべーとれっすん(1)
《コキュとの特訓》
「騎士の武器として、もっとも相応しいものはなんだと思う?」
コキュは、ぼくに剣を渡し、自分も剣を持った上で聞いてきた。一瞬、槍、と答えてやろうかとも思ったのだけれど、これからの特訓を少しでも軽くすべく、模範解答に逃げることにした。
「やっぱり、剣かなぁ。剣を捧げる、って言うし」
ぼくが言うと、コキュは初めて、ぼくににっこりと笑いかけてくれた。か、可愛い……。綺麗な顔立ちとは思っていたけれど、笑顔がこれほど可愛いとは……。微笑み一つでぼくは完全に打ちのめされてしまった。まだ動いてもいないのに鼓動が早くなっている。
「そうだよね。やはり騎士たる者、剣を捧げるべき者を見つけ、その者のために剣折れるまで戦い続けることこそ、本懐だよね」
笑顔で頷きながら熱く語るコキュ。ここで言う「剣」は象徴で、騎士の命そのものを指しているのだということはぼくにも解ったから、「剣が折れたら戦うのを止めるの?」という意地悪な質問はしないでおいた……。折角のコキュの笑顔をまた不機嫌な顔に戻すのは得策じゃないし、ぼくはいつまででもこの笑顔を見ていたい。
「剣、と一口に言っても種類も形状も様々だけど……そのうち自分に最も相応しい剣が見つかると思うよ。アリスは初心者だから、暫くはこの標準的な長剣を使うといいと思う」
コキュから渡された剣は、剣道で使う竹刀よりも少し短く幅広な、片手で扱う剣で、練習用に刃を潰してあった。でもぼくは、初めて握る剣よりも、「あなた」ではなく「アリス」と呼ばれたことの方にどきどきしていた。
「わたしはシンクレア・スティルの剣技を学んだんだけど、剣の基本なんて、どこも大差ないから」
「シンクレア・スティル?」
「剣聖ダグラス・シンクレアが創始した剣の流派で、この国ではシェリダン・スティルと並んで剣の二大流派なの。剛毅で鋭角的な太刀筋を特徴とするシェリダン・スティルに対して、優美で曲線的な太刀筋を特徴とするのがシンクレア・スティル、と一般には言われているんだけど……。まぁ、要は敵を倒せればいいんだから、流派なんてあまり関係ないとわたしは思う」
コキュは何故か言葉を濁して苦笑した。
「とりあえず、剣で相手を攻撃する方法はたった二つしかないの……打つか、突くか」
言ってコキュは剣を振り下ろし、その後、突いて見せた。ひゅっ、ひゅっ、と剣が空を裂く。
「え、打つの? 斬るんじゃなくて」
意外な答えに思わず問い返す。
「うん。確かに、剣には刃が付いているから斬れないことも無いんだけど、甲冑を纏った相手を斬るなんて、まず無理だから。甲冑に覆われていない部分なら切ることもできるし、実際、実力に差があれば敵の首を斬り落とすことも可能なんだけど……。寧ろ剣は、重量と遠心力とで相手を打ちのめすための武器と考えた方がいいと思う。甲冑の上から打つだけでも衝撃で相手の体力を奪うことができるし、頭部を強打すればそれだけで殺すこともできるから」
「そうなんだ。ぼくの国では、剣は敵を斬るためのものだったから」
「確かに西方の砂漠地帯や東方には、敵を斬り裂くことに主眼を置いた剣もあるけど……」
「カタナとか?」
「さぁ、名前とかは知らないけど、東方の剣なら、この国でも手に入れることができるよ。やや値は張るけど。」
「まあ、でもこれでいいよ。カタナの使い方を知っているわけでもないしね」
「そか。じゃあ、とりあえず、攻撃の練習だね。基本は打つことと突くこと。後は、狙う部位によって角度が変わるだけだから」
暫く、コキュのお手本に倣って、打ちと突きの練習をした後、防御の練習に入ることになった。
「防御は3通り……受け止めるか、受け流すか、躱すか。これはどの武器を用いる場合でも、また楯を用いる場合でも変わらないよ」
言って、コキュはぼくに好きなように攻めてみるよう指示した。ぼくはさっきの練習どおり、さまざまな角度からコキュを狙って打ち、突いてみる。コキュは造作もなく、3通りの方法でぼくの攻めを捌いた。そして、3つの方法を詳しく説明してくれた。
「……シンクレア・スティルでは、一番の理想は敵の攻撃を躱すことだとされるの。力任せに打ち合うなんて体力の無駄だし、野暮だ、ってわけ。特に、紙一重で躱すことを見切り、といってこれを一番重視するの。見切りの後、相手の空振りの隙を突いて攻めることができれば勝利は近いから。ただ、自分の体勢を崩してしまうような下手な躱し方をしてしまうと、続く攻撃を捌くことができずに逆に危険なんだけどね……」
コキュの説明は丁寧で解りやすく、コキュがどれだけ真剣に剣に取り組んでいるかがひしひしと伝わってくる。ぼくも思わず必死になってコキュの言葉と動きを自分の目と耳に刻みつけた。
「以上が基本的な動作だよ。後は自分で反復して練習を続ければ上達も早いと思う。基礎はアリスの自主訓練に任せて、次からは実戦的な打ち合いを中心にするね。あ、そうそう、ちょっと構えてみて」
コキュに指示されて、ぼくは攻撃の練習の際に習った構えをとった。
構えたぼくに、コキュは密着するほど近づいて構えを細かくチェックする。コキュのほのかに甘い香り……おそらくは、軽く香か何かを焚き染めているのだろうと思う……が鼻腔をくすぐる。コキュは無言でぼくの手足に触れ、正しい構えに直そうとする。ぼくは緊張のあまり自ら動くこともできずに、コキュの手が導くままに手足を従わせる。お互いの息遣いだけが聞こえる長い沈黙の後……。
「真昼間からお熱いことだな。これほどおおっぴらに情事に耽られては目のやり場に困るのだが……」
不意の一言に、心臓が飛び出すほど驚くと同時に、二人とも弾けるように身を離す。声の主は、勿論カミナだ。
「だ、だ、誰が情事に耽っているのよっ」
「後ろ暗い所でもなければ、二人ともそれほどみっともなくうろたえたりはしまい?」
うっ、とコキュが言葉に詰まる。どうやらコキュの口ではカミナには勝てないようだ。でも、確かにこの意地の悪い断定に反論するのは難しく、実際に密着している最中にコキュを異性として強く意識してしまっていたぼくには言い訳もできないのだけれど、ひょっとして、コキュも同じようにぼくのことを意識してくれていたんだろうか……なんて、まさかね。
「大体、カミナこそ何をこそこそと覗き見してるのよ」
「我はコキュに用があって、隠れもせず堂々とここまで来たのだぞ。おぬし等が二人の世界に浸りきって気付かなかっただけの話だ」
「くっ、じゃあ、一体何の用なのよ」
「愛し合う二人の逢瀬を邪魔するは、我とて心苦しいが、これも主のためとあらば致し方あるまい……王女殿下がおぬしを探しておられたぞ」
「な、王女が!? どうしてそれを早く言わないのっ」
「二人の間に漂う濃密な気配に当てられて、なかなか言い出せなんだだけのこと……」
カミナの揶揄を、しかしコキュは既に聞いていなかった。この場から忽然と消え……おそらくは王女の下へ走り去ってしまっている。
「やれやれ、人の話も最後まで聞けぬとは……王女という言葉にああまで過敏に反応していたのでは、却って王女を護ることも儘なるまいに」
「王女はコキュに一体何の用があったの?」
「特に何もあるまいよ。先刻王宮からお部屋まで護衛した折に、きょろきょろと詰め所の辺りを見回して、ここ2、3日、コキュを見ていないけどどうしているのかな、と気にしておられたというだけのことだ。嘘は言っておらぬだろ」
「でも、そんなことでぼくたちの邪魔をしたんだ」
少し恨みがましく言ってみた。
「おぬしをコキュに取られたくない一心で、思わず二人の仲を裂こうとしてしまったのだ……。恋焦がれて嫉妬に狂う乙女の愚かさと笑ってくれ」
言って、しおらしく科を作って見せる。からかわれているのは明らかだけれど、それでもその色香に思わずどぎまぎしてしまう。
「さて、では我はそろそろ行くとしよう。ようやく護衛の任務から開放されたし、一杯呑んで一息つきたいのでな」
ぼくの表情から、自分の媚態の効果を十分に確認できたからか、カミナは恋焦がれて嫉妬に狂う乙女とは思えないそっけなさでぼくの前から姿を消した。
そしてぼくは……。怒り狂って戻ってきたコキュに、元の不機嫌さで日が暮れるまで容赦なくしごかれたのだった。
《カミナとの特訓》
「時にアリス殿、騎士の武器としてもっとも相応しいものはなんだと思われる」
カミナはぼくに槍を渡し、自らも槍を持った上で聞いてきた。悪戯っぽい笑みを浮べている辺り、ぼくとコキュとのやり取りを知った上で、ぼくを困らせようとしているに違いない。
ここで剣と答えようものなら、槍で剣を持ったぼくを叩きのめし、「これでも槍より剣が勝ると言われるか!?」等とぼくをいじめるに違いない。槍、と答えたら、無論、コキュへの告げ口コースだ。どちらを選ぶか少し悩んだものの、ぼくは素直に答えることにした。
「確か、騎士が馬上試合で用いる武器は槍だよね。槍が騎士の武器として相応しくないということは決してないと思う。でも、やっぱり、騎士が主に捧げるなら槍ではなく剣じゃないかな」
やっぱり、カミナにしごかれるよりも、コキュに告げ口される方が怖い。不機嫌な時のコキュの冷たさと言ったら……。今は機嫌のいい時のコキュを知っているだけに更に身に染みることだろう。わかっていて聞いているカミナは、ぼくが剣を選んでも、それをネタにぼくをからかいながらしごいても、気を悪くしたりはしないだろうし。
「ふむ、一理ありますな」
カミナが優しく微笑む。てっきり、「ほほぉ、なら証明してみるがよい」と邪悪な笑みを浮べられると予想していただけに、ちょっと意外だった。
「まぁ、実は我の操る槍はこの辺りの騎士が用いるそれとは異なり、東方の大槍ゆえ、我から槍を学んでも馬上試合には余り役に立たぬのだがな」
悪戯っぽく笑った後、カミナはお手本を示しながら、基本的な攻撃・防御の仕方を、剣の場合と比較しながら教えてくれた。
「腕を突き出すだけの剣での刺突と異なり、槍での刺突は槍を扱いて繰り出すもの。それゆえ、敵方は、自在に伸縮して襲い掛かってくる槍の動きに戸惑い、間合いを掴み損ねてしまう。逆に言えば、敵方に最後まで自分の間合いを掴ませないことにこそ、槍術の妙味があると言える」
カミナの説明もコキュのそれに劣らずわかりやすく、また、コキュとの特訓でぼくが武芸というものに慣れ始めていたこともあってか、割とすんなりと初歩の初歩までは身に付けることができた。
ただ、カミナの目で追えないほど速い槍捌きを見た後では、カミナの、
「なかなか筋がよろしい」
という言葉も単なる社交辞令としか思えない。自分が彼女と互角の腕を身に付けるのははっきり言って不可能だろう。
「我とて、伊達に『神槍』などと呼ばれてはおらぬゆえ」
そう言って笑うカミナには、ごく僅かに自嘲にも似た響きがあった。
そういえば、ぼくはカミナの生い立ちを全く知らない。彼女は、他人のことはよく喋るけれど、自分のことはほとんど語らないのだ。皆もあまり詳しくは知らないようだし。
いつか話してもらえる日が来るのかな……なんて感慨に耽ける間もなく、続く立会い稽古で、ぼくはカミナに死ぬほど打ち据えられてしまった。防具がなければ、死んでいたんじゃないだろうか。ひょっとしたら、カミナは、ぼくが最初に「剣」と答えたことを根に持っていたのかも知れない……。