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ヴィルキアとの邂逅、そして、『魔』王との決着

 雷火に灼かれ、薄れゆく意識の中でぼくの頭にあったのは、当然だけど、コキュのことだった。


 コキュの、あの腰まで伸びた艶やかな黒髪、生気に満ちた白皙の肌、真っ直ぐ見返すことすら躊躇われるほど神々しく輝く、黄金色の瞳……あの瞳で見つめられるだけで、ぼくはわけもなく赤面してしまうのだ。笑って、怒って、泣いて、どんな表情でもぼくを惹きつけずにはおかないコキュ。剣を振るう姿からは想像もできないほど華奢で、柔らかい身体。コキュお気に入りの甘い香油は、コキュ自身の香りを一層引き立て、ぼくを恍惚とさせる。そして、一度だけ、ぼくの頬に触れた唇の柔らかさ……。


 そんな風に、自分の目に、耳に、鼻に、そして、全身に焼きついた彼女の痕跡を一つ一つなぞっていくうちに……いつの間にか、ぼくの目の前にコキュが現れていた。そう、いつか見た姫宮ありすと同じように、美しい黒い翼を持ったコキュが。


「お久しぶりですね、歩。わたしを、覚えていますか?」

 見た目は全然異なるけれど、ぼくには彼女が、黒い翼の姫宮ありすと同一人物(?)であることがわかった。


「多分、覚えていると思う」

「あの時は、歩は死を迎えたばかりだったから、わたしと喋ることはほとんどできませんでしたが、今なら大丈夫のようですね」


「ぼくは……また死んでしまったの?」

 確かに、まともにコキュの剣を身に受けたのだ、死んでしまったとしても無理はないんだけど……もうコキュに、みんなに会えないと思うと、ぼくの身体は自分でもわかるほど震え始めた。


「いえ、そうではありません。歩は死んだのではなく……死んでいるのです」

「それってどういう……」

 意味がわからない。


「紹介が遅れましたね。わたしの名は、ヴィルキア。死者の英霊を率いて『魔』と戦う者。つまり、あなたは、わたしに選ばれた死者なのです」


「そか、やっぱり、ぼくは死んでいるんだね……」

 想像していたとは言え、衝撃は大きかった。でも、今のぼくには、もっと大事なことがある。


「じゃあ、今のぼくは、一体何なの? とても死んでいるようには思えないんだけど」

「今のあなたは、異界に移った霊魂がある目的のために受肉した存在です」


「ある目的、って……」

「あなたの目的は、『魔』王と呼ばれる存在を滅ぼすことです」


「じゃあ、『魔』王を倒したら……」

「もちろん、元の霊魂に戻ることになります」


「霊魂に戻ったらどうなるの?」

「普通は、徐々に自らの有する『意味』が希釈化して、世界を構成する霊的要素に同化しますね」


「つまり、それが……」

「はい、それが、存在の前提となる『意味』の消失……すなわち、死です」

 わかるような、わからないような……。


「じゃあ、車に轢かれた時、ぼくの『意味』はどうして消失しなかったの?」

「それは、わたしがあなたの『意味』を、授肉という手段で固定化したからです」


「そんなことがよくあるの?」

 少なくとも、ぼくはそんな話を聞いたことがない。

「よく、はありませんね。でも全くないわけでもないんです……世界が、増えすぎたから」


「増えすぎた?」

「はい。あなたが生前いた世界や、今あなたが受肉している世界の他にも、多くの世界が存在しています。そして、それらの世界には、わたしのように、異界から死者の霊を運ぶ者が存在することも多いのです」


「じゃあ、どうして、君はぼくを選んだの?ぼくには『魔』王と戦う力なんてないのに」

「それは……あなたの死にざまがとても美しかったから。純粋に、自分以外の誰かのことを考えながら死ねる人なんてほとんどいません。だから、そんなあなたになら、特別な力がなくたって、その心だけで世界を救うことができると思ったんです」

 そんな風に言われると、なんだか照れくさいけれど、自分の死が無様なものではなかったと言ってもらえるのは、とても嬉しい。


「だから、決して、たまたま通りかかっただけだとか、他に相応しい人を探すのが面倒くさかったとか、そんな理由じゃないんですよ?」

 なるほど、そっちが本音か。なんてわかりやすい。でも、偶然でも何でもいい。こうして、コキュ達に会えただけでも、ヴィルキアには感謝してもしきれない。


「それで、今のぼくはどうなっているの?」

「今は、肉体の損傷が激しくて気を失っているだけです。でも、もうすぐ蘇生するはずです。戦う力を持っていないあなたには、『魔』王を滅ぼすまで滅びない身体を与えましたから」


「でも、身体が滅びないだけじゃ、『魔』王になんて勝てないよ?」

「大丈夫です。ちゃんと勝つ方法を教えますから。勝ってもらわないと、困りますし」


「どうして、困るの?」

「それは、世界の決まりに関わることなので、あまり詳しくは言えないのですが……。要するに、あの世界はまだ滅びる予定ではない、ということです」

 つまり、最初から勝ち負けが決まっているということなのだろうか。だとしたら、『魔』王に少し同情してしまう。


「さて、時間もあまりありませんし、ちゃんと覚えてくださいね。あの『魔』王は、あなたが元いた世界で言うところの、いわゆる、『悪魔』です。そして、彼の名前は、『ヘレル・ベン・サハル』。原義は、『暁の輝ける子』です。これだけわかれば、十分ですよね?」

「えっ、えぇっ?」

 何が十分なのか、まったくわからない。


「では、頑張ってくださいね」

 能天気に手をふりながら、ヴィルキアの姿は溶けるようにぼくの視界から消えていった。


***


「ちょっと待ってよ……待ってったら!」

 消えていくヴィルキアを、大声で引き留めようとしたところで目が覚めた。


「よかった、目が覚めて……」

 目の前には、泣きじゃくるコキュの顔……。


「ごめんね……ごめんね……」

 泣きながらぼくに抱きついて一生懸命謝るコキュ。自然と、優しく抱きしめて、頭を撫でてあげることができた。


「大丈夫だよ」

 ずっとこうしていたいのはやまやまだけど、戦いは、まだ続いている。


 そろそろ終わらせる、気を失う前に『魔』王がそう言ったのは、はったりではなかったようだ。王女の身体を用いるのに慣れてきたのかも知れない。今まで、攻撃を行うと、しばらくは炎の鎧が消滅していたのに、今は常に炎を纏った状態だ。そのせいで、みんなは防戦一方で攻めあぐんでいる。


「ちっ、なんとかならんのか、魔族の女!」

 苛立ちを隠しもせず、ディーンがカミナに当たる。

「生憎と、同じ『魔』でも、我は戦闘力よりも見た目重視なのでな」

 よかった、まだ軽口を叩けるくらいには余裕がありそうだ。しばらくは考えることができそうだ。


 『これだけわかれば十分ですよね』……確かにヴィルキアはそう言った。何が十分なのかはわからないけれど。教えてもらったのは、『魔』王の名前が、『ヘレル・ベン・サハル』だということと、その意味が『暁の輝ける子』であること。あと、『魔』王が、元いた世界の『悪魔』だということも言っていたか。


 でも、そんな名前の悪魔なんて、聞いたことがないし、ヴィルキアのアドバイスが、名前から弱点を想像しろ、というものだったら、はっきり言ってお手上げだ。悪魔の名前、悪魔の名前……。


「大丈夫? アユム……」

 コキュに自分の本当の名前を呼ばれて、ぼくは思わず我に返った。コキュにアリスではなくアユムと呼ばれるのは初めてではないだろうか。


 たったそれだけのことなのに、ぼくの鼓動は信じられないほど速くなっていた。コキュは、目が覚めたのに、じっと黙って考え込んでいたぼくを、心配そうな顔で見つめている。


「そうか、そういうことか」

 コキュに呼ばれたおかげで、自分が何をすべきかを、理解できた気がした。ぼくを優しく抱きしめてくれているコキュの腕を振りほどいて、立ち上がる……名残惜しいけど。


「ジェイド、ぼくが今から『魔』王を王女の身体から追い出す。だから、退魔結界を用意して」

 ぼくは、後方で防御の結界を張り続けるジェイドに耳打ちする。ジェイドは、黙って頷いた。


「一時、防御結界を解く。なんとか耐えてくれ」

 今まで、ジェイドの結界が防御の要であったことは間違いない。それなしで、今の『魔』王の攻撃を防ぐのは難しいかも知れない。でも、退魔結界が完成する前に追い出したら、人の身という制約がなくなって、手をつけられなくなる恐れもある。


「了解です。わたくしが、護りますわ」

 かなり無理をしているだろうに、トリチェが明るく言い切ってくれた。

「小賢しい……そのちっぽけな楯で予の炎を防ぎ切れるというなら、やってみるがよい」

 『魔』王から放たれた火球は、トリチェの全身を飲み込めるほど巨大なものだった。確かに、楯で防げる代物じゃない。危ない!


「氷嵐螺旋捶!」

 風と氷を纏ったカミナの槍が、巨大な火球を砕いたおかげで、トリチェは小さくなった火球を容易く楯で防ぐことができた。

「ありがとうございます」

「トリチェばかりにいい格好はさせられぬのでな」


「くぅっ……」

 『魔』王の顔に、初めて焦りが見えた。みんな、無理に攻めるのを止めて防御態勢にはいっている。今度は『魔』王が攻めあぐむ番だった。しばしの膠着……。そして、ジェイドの退魔結界が完成した。


「覚悟しな……今度こそ、裁いてやる!」

 再び、光の棺が現れ、『魔』王を貫く!


「効かぬと言っておろう!」

 言いながらも、身体が傷ついて力が漏れてきたからであろう、最初よりは苦しそうだ。しかし、これだけでは『魔』王を倒せないのも事実。やはり、ぼくがやるしかない。


「効かないのは、人の身体の中にいるから、だろ。でも、それももう終わりだよ。ヘレル・ベン・サハルよ……、汝の真名もて命じる。クリエムの身体から去れ!」

 名を呼ばれた瞬間、『魔』王の身体は雷に打たれたかのように跳ねた。王女の身体から少しずつ抜け出てくる、炎の塊のようなものが無数の光の槍に貫かれ、おぞましい叫び声をあげる。


 これなら倒せる……そう確信したとき、ぼくは『魔』王に憐みを感じていた。滅ぼされるために『魔』王として意味付けられた哀れな魂……。痛みに耐えるその表情が、『魔』王というよりは、王女そのものが苦しんでいるように見えたから……。


 そして、そう感じると同時に、ぼくは、恐ろしい事実に気づいてしまった。それは、王女の身体は、既に致命傷を負っている、ということだった。『魔』王がいなくなれば、王女はこの傷に耐えられない! 次の瞬間、ぼくは『魔』王に……つまりは、王女の身体に向かって駆け出していた。


 『魔』王は、真名による強制に必死で抗おうとしている。おかげで、ぼくは、難なく王女の身体に辿り着くことができた。『魔』王が耐えている間に、なんとか大きな傷だけでも塞がないと……。


 ぼくは、王女の身体を押し倒し、『魔』王の様子を気にする余裕もなく、ただ必死で王女の身体を舐めた。


 どれくらいの時間が経ったのか……。誰かが、ぼくを背後から抱き締めてくれていた。いつしか、『魔』王の叫び声も途絶えている。


「ありがとう、アユム……。王女を助けてくれて……」

 コキュの声がぼくの耳をくすぐる。気付くと、王女はぼろぼろになりながらも、微かな寝息を立てていた。


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