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王女の私室での戦い

~ アユム's eye ~


 剣撃の音が止んだ。ぼくたち3人は、物音を探ろうと息を潜めているんだけど、微かに話し声が聞こえるものの、外の状況はわからない。固唾を飲んで扉を見つめることしばし、


 ガチャ、ギギギ……


 開いたドアから姿を現したのは、シリウスだった。


「トリチェはっ!?」

 ぼくは思わず、声を荒げてしまった。

「怪我はしていない。外でエランが相手をしているよ」

 素直に答えてくれた。怪我がないならよかった。コキュもジェイドもほっとしたようだ。


「僕は誰も傷つけたくないんだ……。だから、王女を渡して欲しい」

「それは、できないよ」

 言いきるコキュには何の迷いも見えない。射抜くような真っ直ぐな瞳でシリウスを見据え、話し合う余地がないことを示すように剣を抜いた。


「行くよ……『剣聖』シリウス!」

 コキュの剣気が充実していく……。しかし、急いでいるはずなのに、シリウスは、剣を抜きもせずコキュに語りかけた。


「『剣聖』か……本当は僕なんかがそう呼ばれるのはおこがましいんだけどね……」

 シリウスは苦笑した。その苦笑の意味がわかるらしく、コキュも構えを解かないまでも、それに応じた。


「確かに、ね……。でも、今の君がお祖父様の境地にまで達することができないのは、仕方ないよ。それでも、わたしに比べれば、君はずっとお祖父様に近いんだし」

 ぼくには何のことやらさっぱりだけど、二人には共通の認識らしい。


「そうかな……君は祖父のお気に入りだったんだよ。君が稽古を終えて帰った後は、しきりに若い頃の自分にそっくりだと嬉しそうに語っていたものさ」


「お祖父様には可愛がって貰ったから……。父が死んで、一人ぼっちのわたしを本当の孫と同じように可愛がってくれたよね……。君のお祖父様がわたしの本当のお祖父ちゃんならよかったのに、ってずっと思ってた」

「本当の孫以上に、さ。でも、それなら、僕の求婚を受けてくれたら良かったのに」

「そうだね、そしたら、間に合ったね」

 二人は微笑み合った。とても、苦い微笑み。


「『剣は瞑想の道具に過ぎない……己を磨くことはできても、それ以上のことはできない』そう言って、己にのみ剣を捧げる祖父に反発して、僕は騎士になった。自分の剣は、何かを護るためにある、そう信じていたから……」

 ゆっくりと、シリウスは剣を抜き放つ。


「その挙句が、自分の好きな女の子に剣を向けることになるなんて、ね……。好きな子も護れないのに、なんで騎士になんてなったんだろう」

 自嘲的な問いに、コキュは黙したまま答えない。


「王女を渡して、くれないかな。今ならまだ間に合う。僕には、君が正しいとは思えない……。考え直して欲しい」

 縋るような悲痛な訴えに、だけどコキュは首を振った。


「父のことはあまりよく覚えていないんだけど……とても暖かかったのを覚えてる。きっと、たくさん愛情を注いでもらったんだと思う」

 今度はシリウスが黙する番だった……。ぼくと、隣の司祭はずっと黙っているんだけど。


「そんな父の、最期の言葉……『コキュアス、王女に忠誠を誓い、護ってあげなさい』って。あの頃のわたしは、それがどういうことなのか、完全にはわかっていなかったのかも知れないけど、ちゃんと『誓います』って答えられたから……。父はとびきりの笑顔で頭を撫でてくれた……。その後すぐ、父が死んで、わたしは一人ぼっちになった。あの日から、小さくて可愛い王女を護ること、それだけが、わたしの生きる目的になった……」


「でも、王女は……」

 もうすぐ、『魔』王になる……シリウスはそう言いかけたんだろうけど、コキュはそれを遮った。


「でも、じゃなくて、だから、だよ……。今から思えば、父はこのことを知っていたんだと思う。だから父はわたしに、王国や王ではなく、王女個人への忠誠を誓わせた」

「『魔』王が王女を乗っ取っても?」

 コキュは静かに頷いた。


「もちろん、人を傷つけないように、臣下としての進言はするつもり。でも王女に向ける剣を、わたしは持っていない」

 再び、コキュは構えた。コキュの決意を表すように、剣が雷火に包まれる。


「そして、王女を傷つけようとするものは……誰であろうと、倒すよ」

 コキュが剣を構えなおす。まっすぐにシリウスを見据えるその瞳にはもう感傷の色はなかった。そんなコキュを見て、シリウスも剣を構えた。苦しげに、顔をしかめながら。


 キン、と鋭い金属音が響く。シリウスが構えるのを待ちわびていたかのように、コキュの剣がシリウスに襲いかかる。シリウスは半歩引いてその鋭い横殴りの一撃を流す。


 そこから先は、一つ一つの動きを追えないほど、コキュの剣は迅く、鋭かった。剣を振るうごとに剣気が充実して、コキュの剣が、雷火を纏う。美しい雷火を撒き散らせながら絶え間なく斬撃を浴びせ続けるコキュは、激しく、情熱的に舞う踊り子を思わせる。しかしそれは、美しくも、相手のことを考えない自分勝手な踊りだった。


 対するシリウスの動きも、舞うように優雅だ。コキュの激しさを持て余すこともなく、寧ろ、パートナーのわがままな動きを楽しんでいるかのような余裕すら感じられる。


 二人の戦いは剣舞と呼ぶに相応しく、ぼくは思わず見惚れてしまう。特に、コキュの動きがすごい。ぼくとの練習程度では決して見ることのできない本気のコキュ。あの華奢な身体のどこにそんな力があるのか、長大な剣を視認することすら困難な速さで振るい続ける。


 しかも、その一撃一撃が、人の首など容易く刈り取ってしまう死神の鎌なのだ。少女の可憐な美しさと死の恐怖が同居するその姿は、畏怖すべき神秘的な魅力に満ちていた。


 それに比べると、シリウスの動きは平凡すぎる。決して無茶をすることなく、自然にコキュの動きに合わせている。しかし、ぼくは気付いてしまった……その平凡さこそが非凡なのだと。コキュの猛攻を無難に捌いて綻びを見せないその技量……。


 しかし、それだけなら、シリウスは雷火に焼かれ、倒れていてもおかしくはないのだけれど、どういうわけか、雷火は尽く、シリウスに届く前に霧散してしまう。


 コキュの顔が険しくなる。トリチェにも劣らない鉄壁の防御に、焦りを覚えているのだと思う。月が満ちるまで後少し……焦る必要はないはずのコキュは、しかし、守る戦いが悲しいほど不得手に見えた。


 つまり、守勢に回ってはシリウスの攻めを凌ぎ切れない。かと言って、この激しさで攻め続ければ遠からず力尽きてしまう……どんなに強くなろうと、人は無限に動き続けることはできないのだ。


 だから、限界を迎える前に、コキュは仕掛けた。それは、捨て身とも思える激しい一撃だった。さすがのシリウスもそれを軽くいなす、というわけにはいかず、後ろに飛んで衝撃を逃がす。


 コキュは、それを追撃したりはせず、剣をシリウスの剣に叩きつけた反動で後ろへ飛ぶ。二人の間合いが離れた。ほっと息を吐く暇もなく、コキュが次の手に移る。


雷火イデ・ナスタージよ……舞え!」

 互いの剣が届かない距離で、コキュは八双の位から剣を振り下ろす。刹那、剣気が荒れ狂う竜の如く乱舞する。沸き立つ陽炎、迸る稲妻。人一人なら容易く消し炭にしてしまうほどの熱量が、唸りを上げてシリウスに襲いかかる。


 ぼくはシリウスの顔が陰るのを見た。剣気を操ることができない者は、この一撃を防げないし、躱せない。文字通り必殺技だ。だけど、シリウスにはこれを防ぐ手段があるはずで……。


 だから、シリウスはこの技の威力に顔をしかめたのではないと思う。この一撃で、シリウスは悟ってしまったのだ……。コキュが、自分を殺すことも辞さないのだということを。


大地ラファよ、轟け!」

 下段から切り上げられたシリウスの剣を中心に、空気が密度を増す。重厚で濃密な大地を思わせる気が満ち、雷火の竜を迎え撃つ。


 竜は大地の壁に阻まれ、竜を取り巻く雷も尽く霧散する。そう、地の剣気はまさに、雷に対してアースとしての役割を果たしていたのだ。やせ細った炎の竜は、大地の壁を焼き尽くしはしたが、そこでほぼ力尽き、シリウスまで届いた炎はほんのわずかだった。


 地の剣気の遣い手……コキュの雷火には相性最悪の相手だ。というより、リシェが以前言っていたように、シリウスが地水火風4つの剣気を自在に操るなら、奴相手に相性のよい者などほとんどいないだろう。


 渾身の一撃を防がれても、コキュの瞳から闘志は失われてはいない……だけど、体力の方はそうもいかないのだろう、既にコキュは肩で息をしている。対するシリウスは、軽い火傷を負ったようだけど、まだ十分な余力を残している。


「そろそろ時間もない。終りにしよう」

 立っているのもやっとだろうに、コキュは首を振り、シリウスの前に立塞がる。


「退け!」

 そんなコキュの側頭部を、シリウスは剣の柄で殴りつけた。防ぐこともできずに、コキュが吹き飛ぶ。気を失って崩れ落ちるコキュを見て、ぼくの中で何かが弾けた。



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