謁見の間の戦い?
~ ジェイド's eye ~
「ここ、弱いよね?」
「え、やだ、だめ……そんなとこ攻めちゃ……」
「もう、遅いよ」
「そんな……やだぁ」
何やら怪しげな声が聞こえるが……。
「入って、大丈夫かな?」
「大丈夫、チェスをしているだけですわ……多分」
俺の問いに、トリチェが自信なさげに答える。
「みんなが必死で戦っているのに? 能天気だな」
「わたくしが勧めたんですわ。ここまで来たら、なるようにしかなりませんし、いつ来るかも知れぬ敵に、神経を削ることもないですから。わたくしが戦い始めたらお二人にもわかるでしょうし、その時までは気を抜いていただく方がよいと思いまして」
「……なるほど」
笑顔でそう言ったトリチェは、さぞ神経をすり減らしているだろうに、そんな素振りは全く見せなかった。
「さあ、ジェイド様も入ってくださいませ。いつまでも、二人きりの甘い時間を過ごさせてやる必要はありませんわ」
ちょっと意地悪に笑いながら、トリチェが言う。
「二人の邪魔をして恨まれるのもなぁ。それに、一人で大丈夫? 罠にかかったのは生意気なガキ一人だったから、何人来るかわからないぞ」
「ご心配なさらず。何人辿り着こうとも、ここを通す気はございませんわ」
目に宿る強い意志……。シリウス達がここを通ろうと思ったら、トリチェを殺すしかないのではないかと思えてくる。
「ですから……中に入ったら、わたくしが戦いを始めても、決して扉を開けないと約束してくださいませ。勿論、中の二人にも開けさせてはダメです。王女の中の『魔』王も、何時目覚めるかわからないのですから、そちらに集中していてくださいね」
「この十字架にかけて」
強く断言するトリチェは戦いの女神のように神々しくて、俺は思わず方膝をついて、誓いを立ててしまった。
~ アユム's eye ~
「く、苦しい……死ぬ……誰か……助け……て……」
首を絞められてもがき苦しんでいたぼくを救ってくれたのは、いつか見たあの司祭様、ジェイドだった。
「えっとコキュさん? 離してあげないと、死んでしまうよ」
呆れ顔で諭されて、コキュは渋々ぼくを離してくれた。
「だって、アリスがわたしのこと、散々弄んだのよ」
勿論、チェスでだ。確かに、今回はぼくの大勝で、ジェイドは盤面を見て笑いだした。
「ありがとうございました。助かりました」
「いえいえ、可愛い子を助けるのは俺の使命だよ」
言ってウィンクする。こんな非常時にここまで軽くなれるとは……呑気にチェスをしていたぼくたちに言えたことではないけど。
「何しに来たの?」
軽く笑うジェイドに、真面目な表情でコキュが尋ねる。返答次第では斬り伏せそうな雰囲気だ。
「ご想像の通り、さ。『魔』王が復活したら、退ける」
「王女を傷つけずに、できるの?」
「努力はするよ。王女も可愛い女の子だから、できれば助けたい」
ジェイドが笑う。コキュの顔にも笑みが浮かんだ。
「どうやって退けるんですか?」
「『魔』が存在できないよう、結界を張る」
「そんなことができるんですね」
「『魔』王相手に通じるかは、わからないけどね」
ジェイドは肩をすくめた。
「その本に、結界を張るための呪文が書いてあるんですか?」
ジェイドの持つ分厚い本が気になっていたので、聞いてみた。
「呪文って……せめて祝詞と言って欲しいな。祝詞は諳んじているから、この聖典は単なる護身用だよ」
「護身用?」
「撲殺用とも言う。表紙は金属で補強してあるし、人を殺せそうな厚さだろ?」
言って、聖典を使って素振りをした。どこまで本気かわからないけれど、素振りはなかなか様になっている。
「静かに」
しばらく笑顔でぼくたちのやりとりを見ていたコキュが、急に真剣な顔になる。黙って耳を凝らすと、微かな金属音が聞こえた。
「始まったみたいだな」
冷静なジェイドの指摘に、コキュが扉へと駆け寄ろうとする。
「ダメだよ。コキュは、ここで王女を護らないと」
ジェイドは扉の前に立塞がった。
「でもっ……」
「決して扉を開けるなと、トリチェに言われている。彼女の想いを無駄にすべきではないよ」
コキュは渋々頷いた。
「みんな、大丈夫かな……」
トリチェのところまで敵が辿り着いたんだから、誰か怪我をしているかもしれない。最悪の事態は……起きていないと信じたい。
「大丈夫だよ、きっと」
ジェイドが笑顔で言う。何の根拠もないかも知れないけれど、彼の落ち着いた態度に、ぼくもコキュも救われた気がした。
~ トリチェ's eye ~
「ここまで辿りついてしまったのですね、シリウス様」
ジェイド様が王女の寝室に入られてから暫くして、わたくしの前に現れたのは、みんなが頑張ってくれたのでしょう、シリウス様お一人だけ。
「やはり、最後に君が立ちはだかるんだね」
『やはり』、はこちらの台詞……この方はやはり、コキュ以外が邪魔者にしか見えていない。
「最後に立ちはだかるのはコキュですわ。仮にわたくしを倒せたとしても、コキュを説得するのは不可能ですわよ?」
心の裡を見透かされたことを恥じるように、シリウス様の表情が険しくなる。
「もしそうだとしても、今の僕には君を倒すしかないよ」
言って、携えた剣を引き抜く。その動作が、鳥が空を舞うようにとても自然で、思わず見とれてしまう。
「シリウス様と最後に剣を交じえてから2年ほどになりますわね……。まだダグラス様に剣を教えて頂いていた頃ですが……あの頃のわたくしとは、違いますわよ?」
わたくしも、楯から愛剣を引き抜く(楯に剣の鞘を固定できる誂えなのです)。
「尊敬できる好敵手になってくれたことを喜ぶべきなんだろうけれど、今は時間がない。全力で行くよ」
一気にシリウス様の気が充実するのがわかる。本当はもう少し、言葉を交わしたかったのですが……。
~ エラン's eye ~
二人の実力は、ボクが思っていた以上に伯仲していた。流れる水のように絶え間なく斬撃を浴びせるシリウスと、それを巧みな楯捌き受け流すトリチェ。まるで演舞のように美しい勝負だ。けど、この勝負、やはりシリウスには分が悪い。理由は3つ。
1.同門対決だが、相手の手の内がわかるという利点がシリウスには当てはまらない。シンクレア・スティルでは楯を使うのは邪道だし、シリウスは楯を使うトリチェと戦うのは初めてだ。それに対して、トリチェは文字通りシンクレア・スティルを知り尽くしている。
2.二人とも攻めよりも受け、もとい、守りを好み、後の先を主とした戦いを得意とするのに、トリチェは自分からは決して攻めない。結果、シリウスは、無理な攻めが多くなる。あたかも、大岩に当たって砕け散る波のようだ。
3.守り抜けばいいトリチェと違い、シリウスは相手を倒して先に進まなければならないのだから、焦らざるを得ない。時間制限さえなければ、長期戦に持ち込むことで、体力で勝るシリウスに勝ち目もあるんだけど。
……つまり、理論的考証下においてはシリウスが時間をかけずにコキュの元に辿り着くのは不可能なのだ。
でも、ボクはシリウスが時間内にコキュの元に辿り着けることを確信している。何故なら……ボクがいるから。
「ふっふっふ」
「だれだ!?」
この状況下でもお約束のこの反応、さすがはトリチェだ。
「問われて名乗るもおこがましいが、歌って踊れる天才軍師、エラン・ジークとはボクのことだ!」
折角あげた名乗りを待っていたのは、痛い沈黙……。すべったんではなくて、相手の注意をこちらに引き付けるという作戦なんだって、信じて。
「その天才軍師様とやらは、不覚にも敵のメイドの仕掛けた罠にはまってしまったと聞いたのですが、無事だったのですね」
「部下は無事ではなかったけどね。あのメイドさん、可愛い顔して凶悪な罠を仕掛けるから。窓から入ろうとしたらあわや全滅だよ」
思い出しただけでもぞっとする。つくづく、直撃を食らわなくてよかった。
「よくここまでたどり着けましたわね」
「罠にかかった後、あのメイドさんは僕たちを窓から放り出してご丁寧に罠を掛けなおしてくれたんだ。まったく同じ罠をね。一度食らえば外し方くらいわかるさ。あのメイドさんもなかなかやるけど、僕の方が一枚上手だったようだね」
「メイドにも引けを取らない知略をお持ちなんて、さすが天才軍師様ですわね」
トリチェの反応が冷たい。あの頭脳、判断力、処理能力を持つメイドさん相手に互角に遣り合うのがどれだけすごいことか、多分トリチェも知っているはずなんだけど、シリウスとの一対一の対決を邪魔されて、機嫌が悪いようだ。
「まあ、それはさておき、いいのかい、トリチェ? 一番の強敵から、目を離して」
ボクの一言に、トリチェはハッとしたようだ。慌ててシリウスを見やる。そして気付いた。シリウスが、ボクとトリチェの会話が終わるのを律儀に待っていてくれたことに。
シリウスって、そういう奴なんだよね。こんな緊急事態でもさ。トリチェもそれを思い出したようだけど、もう遅い。
ばさっ
「きゃっ!?」
ボクの投げた手投げ網が易々とトリチェを絡め捕る。
「だから言ったのに。一番の強敵、ボクから目を離しちゃダメだって」
「ひ、卑怯者! 早くこれを解きなさい!」
トリチェが喚きながら自由になろうと足掻いているけど、しばらくは無視する。
「ほら、早く行きなよ。折角、卑怯者の汚名をかぶってやったんだから」
シリウスは、トリチェを見て、少し悩んだようだけど、すぐに僕の勧めに従った。
「すまない、トリチェ……」
そういって、シリウスはトリチェに背を向け、コキュの待つ(待ってはいないだろうけど)王女の私室へと入って行った。シリウスの後姿を見つめるトリチェの切な気な顔に少し心が痛む。
「叶わない恋は吹っ切って、そろそろ新しい恋でも探しなよ。あんな唐変木よりもいい男はたくさんいるよ」
きっ、とトリチェが僕を睨みつける。慰めたつもりが、逆効果だったようだ。
「エラン、覚えてらっしゃい。自由になったら、また泣いて謝るまでお尻叩きの刑ですわ」
「また、ってそんな覚えてもいないような昔のこと持ち出されても……」
ボクがまだ3歳くらいのころ、トリチェの大事にしていた人形を壊してしまって、トリチェにお仕置きをされたらしい。勿論、僕はそんなこと覚えておらず、母から事の顛末を何度も聞かされて知っているに過ぎない。
「では、二度と忘れられないようにして差し上げますわ」
やれやれ、トリチェにとって今でもボクは悪がきエランのままらしい。トリチェが目の前のいい男に気付くにはまだまだ時間がかかりそうだ。




