回廊の戦い
すみませんが、戦闘シーンの都合で、まだしばらく視点変更が続きます。
~ キルシュ's eye ~
わたしはひとり、待っていた。
敵が、現れるのを。気配を消し、天井に張り付いて。
司祭は通した……敵ではないことがわかったから。
そして今……また足音が。
足音と気配からわかる……敵の数は十二人。
カミナは、無理をしなかったのだろう。
何故かはわかった……先頭の二人が、かなり強い。
倒すなら……3人目から。
~ カロン's eye ~
「てっきり、ここに兵を伏せていると思ったんだがな……」
明かりの消された薄暗い回廊。ヤツが潜むには格好の場所なわけで。
「同感だけど、いなくてほっとしてるよ」
シリウスが言う。本音だろう。
そのまま何事もなく歩を進める。俺たちが異変に気付いたのは、そろそろ回廊も終わりに近づき、広間の明かりが見えたときだった。
「おい待て、誰もついて来てないぞ」
「まさか……いたのか?」
「いたんだろうな……ヤツが」
ついて来ていた者の大半は俺とシリウスの部下だ。可愛い、とは気持ち悪くてとても言えないが、それでも2年程同じ釜の飯を食った仲だ。できることなら助けてやりたいが……。
「戻ろう」
俺より責任感の強いシリウスは尚のことだろう。しかし、俺はそれを止めた。
「いや、戻るのは俺だけでいい。お前さんは先に行け。コキュアスの嬢ちゃんと話をしたいんだろ」
部下を助けてやりたいという気持ちと、既に手遅れかもしれないという諦め、そして、前に進みたいという焦りが混ざり合って、シリウスは苦い顔をしている。それでも、自分にとって何が一番大事かをしっかりと考えたようだ。
「気をつけろよ。彼女は、強いぞ」
「俺が一番よく知っているさ」
この言葉はシリウスの意表を突いたに違いないが、すぐに身を翻した俺にはそれを確認することはできなかった。
少し戻っただけで、俺はヤツがいるのを確信した。さっきまでは感じられなかったほんのわずかな違和感だ。
数年来追い求めてきたヤツの纏う空気……何の気配もないはずなのに、濃厚に死を感じさせる、異様な雰囲気。瘴気とでもいうべきそれは、幾度もの修羅場をくぐり抜けて来たはずの俺にさえ……いや、だからこそか、腹の底からの恐怖を与える。
俺が、『死の運び手』キルシュに出会ったのは、今から5年前だ。今の奴の年齢は17,8といったところだろうから、奴はまだ年端もいかないガキだったはずだ。
なのに、当時腕利きの傭兵として各地を渡り歩き、自分の腕に絶対の自信を持っていた俺は、そのガキ相手に何もできなかったのだ。
それは、簡単な任務の筈だった。某国のとある悪名高き侯爵が、自分の領地を出て王城に入るまでの護衛の任務だ。俺の他に、何人もの腕利きが雇われていたし、侯爵の私兵も多くいた。あの警備では、仮に、自分が侯爵を暗殺しようとしても到底不可能だっただろう。それを奴は簡単にやってのけたのだ……この俺の目の前で。
黒衣を身に纏った小さな人影(その時は女だとはわからなかった)は、何の工夫もなく、真正面から侯爵一行に近付いてきた。俺たちには当然その姿が見えていたのだが……言いようのない恐怖が全身を貫き、俺は剣を抜くことすらできなかった。
抜いたら殺られる……本能的にそう悟ったのだ。実際、何も考えずに切りかかった者も幾人かいたが、いずれもすれ違いざまの一撃(見えたわけではないが)で絶命させられた。
護衛などいないが如く、いとも容易に依頼主を殺したヤツは、動けない俺に目を向けることもなく、悠然と去って行った。
7つで初めて剣を手にとって以来積み上げてきた自信も自負も、音もなく崩れ去り、結局、俺に残ったのは無様な屈辱感だけだった。
その一件で『死の運び手』の名は轟き渡り、幸いにも、『死の運び手』に出し抜かれた間抜けな護衛達が話題に上ることはなかったのだが……。
その後、俺は『死の運び手』のことを調べ回った。その素性はほとんどわからなかったが、まだ年若い少女であることと、その業について多少なりとも知ることができた。
そして、彼女の後を追い、彼女の仕事と思われる殺しを嗅ぎ回ること数年、俺はようやく見つけたのだ、暗殺稼業から足を洗い、騎士となった『死の運び手』を。俺は逸る気を抑えながら、彼女と同じようにこの地で騎士となった。いつか、『死の運び手』と相まみえる日を夢見て。
回想に耽りながら道を戻ること暫し、薄暗い回廊に部下たちの死体が見えた。そして、死体に囲まれて、ヤツは無表情で立っていた。たった今倒し終わった最後の一人が崩れ落ちる。ヤツはこちらに目を向け、無表情のまま俺を見据える。
「……あなたも……やるの?」
問答無用で襲いかかってくるんじゃねぇのかよ。部下たちの死体を見て、俺の怒りは頂点に達して……はいなかった。寧ろ、耐えがたいほどの恐怖で感情が冷え切っている。
言いたいことは数年来溜め込んできたが、何を口にしようにも上手く言葉にならない。結局、俺は黙って剣を抜いた。
戦う意思があることだけは伝わったようで、ヤツも黙って自然体に戻った。これがヤツの戦闘態勢だ。達人の域に達した者は大層な構えを必要としない。隙だらけに見えて隙のないその立ち姿に圧倒される。
修羅場を生き残るために磨いた、戦況を読む目には自信があるが……こうまで勝ち目の少ない戦いも珍しいだろう。生き残ることを最優先で考えれば、採れるのは逃げの一手だけだ。
だが、それでは5年前と何も変わらない。敗北感と屈辱感を引きずったまま、生きるためだけに生きる日々から抜け出せない。考えれば考えるほど体が逃げようとしてしまう。俺は考えるのをやめて、仕掛けた。
ひゅんっ
俺の剣が空を裂く。殺気を消し、予備動作を限りなく無くした最速の突き……これまでこの技一つで数えきれないほど多くの命を奪ってきた、言わば、こっちの切り札だ。
一撃で決める心算で繰り出したその刺突を、ヤツは身体を低く沈めて、難なく躱しやがった。猫科の獣のようなしなやかな動きだ。しかも、身体を沈めたその体勢が、既に攻撃の予備動作になっている。
こちらが突き出した剣を引くよりも疾く、ヤツは間合いを詰めてくる。身を沈めることで一時的に増した自重を拳に乗せて突進し、爆発的に打突を繰り出す、それがヤツの得意手だ。俺は腹に力を込め、来るべき衝撃に備える。
しゅっ
短い息吹の後、繰り出された拳から俺に伝わった衝撃は、思った通り、大したことはなかった(傍点)が、ヤツにとっては予想外の事態で、且つ初めての経験だったろう。この一撃を当てて、倒せないなど。
ヤツに生じた刹那の逡巡、そのほんのわずかな隙を付いて、俺は剣を薙ぐ。が、浅い。この状況下でも、ヤツは冷静に後方に飛び退り間合いを離す。手に残る微かな感触から、ヤツに傷を負わせたのは確かだが、動きが鈍るほどではないだろう。まだまだ正攻法では勝てそうにない。
「悪いな。お前さんの業についてはちょっと調べさせてもらったんでな」
思わせぶりな発言で揺さぶりをかけるが、少なくとも表面上は、ヤツに動揺を見られなかった。
ヤツの業を調べて、わかったことは幾つかある。その一つが、ヤツの拳打は鎧の上からでも衝撃を透すことができる、ということだ。現に、奴は鎧を纏った騎士たちを苦もなく打ち倒している。
ヤツは鎧に限らず、壁越しでも威力を透すことができる。しかし、衝撃を透して敵を倒すためには、鉄であれ石であれ、透そうとする物の厚さが一定以下でなければならず、かつ、敵がその物質と密着していなければならない。
鎧の厚さを増せばその分重くなってしまうし、そもそもヤツがどれだけの厚さを透せるのかもわからない。そこで俺は、鎧師に頼み込んで、中が空洞の鎧を作ってもらったのだ。鎧師には、剣や槍で突かれたら一溜まりもないぞ、と言われたが、ヤツの一撃を防ぐことができれば、それでよかった。
そして今、狙い通りヤツの得意手を封じた。それにもかかわらず、二人の間の力関係は何一つ変わっていない。相変わらず、ヤツの姿からは恐怖しか感じられな……。
ふっ
消えた!? 俺が再度ヤツへの恐怖を自覚した一瞬、俺の目は完全にヤツの姿を見失っていた。剣を振るうこともできずにヤツの姿を探す。
ヤツは、俺の側面にいた。感情のない瞳にぞっとした瞬間、俺は尻もちをついていた。足を払われたのだ。ヤツは拳を俺のこめかみの辺りに軽く当てた。腹を殴って効かなければ、他を殴ればいい……簡単なことだ。この程度で、ヤツを封じられるはずがなかったのだ。今、拳から勁を発されれば、死ぬか、廃人になるかだろう。
結局、5年前から変わったことは、勝ち目もない戦いに身を投じられるくらいに、無謀になれたことだけだった。ただ、抱えてきた鬱屈とした屈辱感は消え去っている。
(殺してくれ)
そう言おうとしたはずなのだが、口から出たのは全く別の言葉だった。
「結婚してくれ」
……そうか、俺は年甲斐もなく、コイツに恋していたのか……今更ながらに自分の気持ちに気付く。口にした俺自身も驚いたのだが、ヤツに走った動揺はそれ以上だった。俺はヤツの顔に感情が籠るのを初めて見た。
「……考え……させて」
心もち、頬が上気しているようにも見える。照れているのか?……悪くない。
「えーと、隊長。お取り込み中のところ申し訳ないのですが」
ぎょっとして見やると、俺の部隊で副長を務めるアズマが恨めしそうにこちらを見ている。
「お、お前、生きていたのか」
「勝手に殺さないで下さい。一撃で悶絶させられましたけどね」
「手加減したのか?」
信じられない思いで尋ねると、キルシュは頷いた。
「……殺すなって……言われたから……」
確かに、あちこちで喚き声が聞こえる。さっきまではそれどころではなく、全く気付いていなかったが。
「まぁ、誰かさんは部下の生死よりも、部下を叩きのめした女の子を口説くことの方が大事だったみたいですしね」
相当、根に持っているようだ。それにしても、とんでもない弱みを握られたもんだ。長きに亘って冷やかされることだろう。これでキルシュに振られたら目も当てられない。俺は切なさに天を仰いだ。
~ シリウス's eye ~
結局、一人か……。生贄として殺されることになるとわかっていて、幼い王女を奪還、もとい誘拐するという任務を、自らの手で行わなければならないのは気が重い。誘拐するだけで済めばまだよいが……。
「奪還することが叶わねば、その場で殺せ」
別れ際に『三賢』のベイラードは僕にそう命じた。一人の方がかえって良かったかもしれない。コキュの前に立った時、自分が平静でいられる自信はないから。
先刻、カミナ殿に交渉を持ちかけられた時、もしあれが、コキュを含めたヴィルキア騎士団の総意であったのなら、僕は交渉に応じずにいられただろうか。
コキュの楯となり、『魔』王と戦う。それなら、例え斃れたとしても、騎士として、悔いることなく死ねるだろう。その誘惑に抗うことは難しかったのではないか。
だが……現実には、『魔』王と、それを護るコキュを相手にするか、コキュのみを相手にするかしか、僕に選択の余地はない。自分の大切な者が禍をもたらすものであったとしても、コキュはその者を裏切ったりはしない。僕には確信がある。何人を敵に回そうとも、躊躇いなく剣を振るうだろう。
考えなし、といえばそれまでだけれど、それがどこまでも真っ直ぐな彼女の騎士道なのだろう。その心の強さが僕にもあれば、僕もすべてを捨ててコキュの傍にいられるのだけれど。
結局僕は、剣を捧げた国王とその国民のために、大切な女性を傷つけようとしている。一番大切なものに剣を捧げなかった、或いは、一番大切でないものに剣を捧げてしまった、これは報いなのだろう。
自虐に耽っても事態は好転しない。今の僕は、とにかく前に進むしかないのだ。前に進んで、コキュを説得する。その時、折よく『魔』王が復活して、かつそれが、コキュの目から見てもどうにもならないほど邪悪なものであれば、コキュを傷つけずに済むかもしれない。そう都合よくことが進むとも思えないが、実現の可能性がないわけではない。
ただ、それには一つ障害があった。そう、この先待ち受けているであろう、『美しき楯』だ。彼女に負けるとは思えない……彼女が弱いからではなく、彼女の攻めが、優しすぎるから……が、この限られた時間の中で、彼女の堅い守りを崩して勝利することができるか、僕には甚だ自信がなかった。




