第三話 ‐壊死した感情‐
「雅絋!」
息子のお帰りの様だ。玄関に駆け寄り、二日ぶりに見る雅絋を叶子は頭から怒鳴りつける。反対に俺は少し離れた場所から何も言わず、雅絋を見つめていた。
「雅絋!何してたの!?」
ヒステリック。叶子は多分そういう気質があるんだろう。
雅絋はそんな母親を、ウザったそうな眼で見た。
「きちんと答えなさい」
「うるせぇ…」
雅絋の小さな呟きは、叶子のヒステリックに火を点ける。「何ですか、その汚い言葉遣いは!?」
うんざりする。きっと雅絋も同じ心情なんだろう。表情がそう言っているし、俺の方を見て
「終わらせろ」
とでも言いたげな眼を向けてきた。
どうしてこうも女という生き物には、天と地ほどの差があるのだろうか?
また、雪乃を想っている。まさに恋してる状態。いい歳して、家庭もあるのに恋愛しているなんて、笑えるな。
「叶子、僕から雅絋に話をしておくから。君は雅絋に朝ご飯を作ってやってくれ」
叶子は渋々キッチンに向かった。
二人になって、玄関は嵐が過ぎた後の静けさに戻った。先に口を開いたのは雅絋だ。
「アンタも悪趣味だよな」
その言葉を理解出来ずにいると、雅絋は笑った。笑い方は、歪んだ笑い方だが。
「何であんな女と結婚したんだ?全く嫌になるぜ」
あんな女。叶子の事だろう。俺だって、好きで結婚した訳じゃねぇ……危ない危ない。思わず口にしてしまう所だった。
「親父は金の為に結婚したんだろ?」
嗚呼、図星。何も言わずに黙っていると、息子は続ける。
「金をいくら積まれたって、俺は絶対嫌だな」
金がない時はない時で考えが変わるんだよ。確かに俺は金に困っていたし、叶子の事が好きで結婚した訳ではない。金で愛は買えない。形だけの愛なら売れるのだが。本当の愛情は、金では取引できない。そして叶子にも雅絋にも、俺の本当の愛は捧げていない。叶子も、雅絋も幸せ者だと思う。愛は金で買える、俺が、金と引き換えに愛を売ったと、勘違いしているのだから。
「とにかく、叶子に反抗するな。彼女はお前を愛してるんだよ」
言った後に思った。これじゃあまるで自分は雅絋を愛していないという感じではないか。
俺の深読みは余り意味が無かったようだ。雅絋は俺の横を通り抜け、部屋へと向かっていった。
「愛、か…」
この家で、俺だけ愛が欠落している。何だかんだ言って叶子も、雅絋も親子愛っていう感情を持ち合わせている。
叶子は俺の容姿に惹かれただけなのだ。気に入った犬や猫を買うような感覚なんだろう。タテマエだけの夫役。そんな役者には、愛なんて要らないと俺は思う。
時々叶子は俺に言う。
「愛してくれてるの?」
と。何を愛せというのか。俺には分からなかったが、言われた時は首を縦に振っている。抱いてくれ、と言われたら抱いてやる。金で雇われた役者だから。
そう考えると、自分はなんだか寂しい人生を送っているな、と現在進行形で思う。哀れと表現してもいいかも。
思えば雪乃の部屋に来ていた。
綺麗な花を買ってやった。倉庫にあった花瓶に、買ったばかりの花をいけた。 花はカーネーション。真っ白な部屋に、白い姫君。傍らに、白いカーネーション。
花言葉は″私の愛情は生きている″。自己主張かもしれない。壊死した感情の再生を願って。