第二話 ‐君と僕・死者と生者‐
何時間見つめていたのだろう?いや、きっと時間にすれば何分間、なのだろう。時間が止まる、というファンタジーな感覚。
俺の中の時間を止めたのは、目の前の彼女──触れると溶けてしまいそうな雪の様な肌。閉じた眼には真っ黒で長いまつげ。桜色の儚げな口唇。
彼女は息をしていない。胸板は生きている者とは違って、微動だにしない。
──死者。
しかしその名称は彼女には似ても似つかない。
「……眠り、姫」 毒林檎をかじって、眠りについたお姫様。彼女にはそんなおとぎ話が似合う。
俺はその日、彼女に触れることすら出来なかった。ただ見つめるだけでも尊い。
「誰だ!?」
突然、後ろから声がして振り返ると井上先生だった。ネクタイもキチンと締めていつもの先生だ。
「鴻神くんか…」
「せ、先生あの、この方は…」
「彼女かね」
先生は叱ることもせず、親しく義萬に説明した。
「彼女はうちの看護師でね。見寄りがないんだ」
説明は続く。
「死体保存という先端技術の実験台にさせて貰ったのだよ」
「死体…保存?」
先生はあぁ、と短い返事だけをした。余り多くは語れないらしい。先生の様子から伺えた。
彼女の名前は井上 雪乃。
「先生と同じ名字ですね」
「…彼女は私の養子なんだ」
思ってもいなかった、彼女との共通点。何だか嬉しい気持ちでもあり、悲しくもなった。事情は知らないが、大抵察しがつく。辛い思いや寂しさを、生前の彼女が少なからず体験していたかと思うと……余計に愛しく思える。
「雪乃、か…」
帰りの車の中で名前をそっと、口にした。
雪乃。おそらく産まれた時からあの儚げな雪の肌だったのだろう。そして24という若さで溶けていった。
また、逢いたい。
その日から、気づけば雪乃の事を考える様になっていた。煩わしい叶子や雅絋の事もうわの空で、雪乃の事を想う自分がいた。俺は恋をした。眠りの姫君に。俺と君は違う世界にいるけれど、愛しさはその壁もを越えていけそうな、そんな気がした。