第一話 ‐雲間からの光‐
「あなた!いい加減にして下さい!」
また、だ。
キーの高い声が、俺を怒鳴りつける。
「何とか仰って!」
俺の前に立ち塞がるのは、妻の叶子。骨まで響く声の主でもある。
「叶子」
「あ、な、た!」
俺は叶子をなだめる様に名前を口にするのだが、全く意味味がないようだ。叶子の肩に両手を置いて、顔を覗いてやると、叶子は少しの間静かになる。
「朝からそんな大声を出さないでおくれ、叶子」
「善萬さん!」
善萬。鴻神 善萬。俺の名前だ。珍しい名前とよく言われる。
「雅絋は今日も家に帰らずに街で遊び歩いてるんですよ!」
雅絋。鴻神家の一人息子だ。歳は17、遊びたい時期なんだろう。
「注意はしてるんだが…」
「あなた、しっかりして下さい…聞けば最近は学校にも登校してないんですよ、注意どころじゃありませんわ」
叶子は鳥の様に喋り続ける。
「雅絋は鴻神家の継承者なんです。婿養子のあなたとは違うんですよ!そこの所よくお考えになって、父親らしくしてくれないと困りますの」
叶子の言う通り、俺は婿養子。容姿が叶子の好みだったらしく、金のない俺は叶子と婚姻したのだ。
「分かったよ、叶子。雅絋には僕から話をしておくから」
叶子は、まだブツブツと不平を洩らしているが部屋に戻っていった。
「・・・はぁ。」
一人になった善萬は、大きな溜め息をついた。ストレスからか、肩から腰から痛む。そうだ、病院に行こう。
「珍しいお名前ですね」
「はぁ、よく言われます」
珍しい名前、というのは大変厄介である。悪事を働けばすぐに名前を覚えられるし、こっちは相手の名前を覚えてないのに、相手は自分の名前を覚えてる。そういう時、激しく焦る。
「鴻神…といえばあの有名な陶芸家の方いらっしゃいましたよね」
「えぇまぁ」
「もしかして親戚の方ですか?」
「や、僕は養子なんですよ」
「それはまた…」
医者はそこで会話を終わらせ、診察を終えた。
「骨に異常はないですね。ストレスからの肩凝り、腰痛なんでしょう」
「やっぱストレスですかねぇ…」
「……なんなら少しお話でもしますか?」
俺の溜め息に、医者はそう言った。小さな病院の医者だから、時間はいくらでもあるらしい。俺はその言葉に、甘える事にした。
「…経済的には裕福なんですけど、妻にも子供にも馬鹿にされてる様な気がして。妻には逆らえませんし」
井上先生は、いつも親切に話を聞いてくれる。こんな、家庭の愚痴に。
それから、井上先生と親しい間柄になるのにそう時間はかからなかった。
その日は、何がどうなってそうなったのか、それはよく分からないが──先生は随分若い女性と抱きあっていた。女性の甘い声と、先生の優しい声が聞こえてた。
俺は見てはいけないものを見てしまった様な……例えるなら小学生が、夜中に両親の寝室を見てしまった様な……そんな気分になった。
軽いパニック。俺は慌てて、でも音を潜めながら近くの部屋に隠れた。隠れた意味は、特にない。けれど、その部屋に多少問題はあった、と思う。
「・・・」
絶句といった所だろうか。清潔感と高級感の溢れる部屋に、女性がいた。
目を閉じた、純白の女性──。
動くことすらしないその女性に、俺は一瞬のうちに恋に落ちた。