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異端の伝説  作者: 望月 桜
Ⅰ 忘却の森の章
9/25

9.聖地と覚醒

 気がつくと、ルイスの瞳には涙が溢れていた。


 数世紀にわたる、あまりに深くて悲しい、彼の孤独。


「――ごめん。知らなか……!」


 そう言うことしか出来ない。


 村の人間として。彼のことをすべて忘却していた村人として、ルイスはただひたすらに謝っていた。


 「魔の森」の伝説を鵜呑みにしていたわけではない。だが、森の中に何か恐ろしい存在がいる。その伝説から、森に近づかないようにしていたのは自分であった。


 教会で祈り、昔の信仰など知りもしなかったのは、自分であった。


 その事実が、ルイスにはひどく悲しい。



 忘れ去られるという悲しみが、自分のことのようにルイスには流れ込んでくる。


「…もう。忘れないから。俺が…知っているから!」


 彼が、神であったことを。こんなにも人を求め続けている悲しい神であることを。


『…誰カ。タッタヒトリデモイイ。――知ッテ。知ッテイテ欲シカッタダケナンダ。タダ僕ハ。忘レテ欲シク無カッタダケ――』


「うん…、うん……! 忘れない…!」


 ルイスは、必死にそう言い募る。


 全ての人から忘れ去られるという悲しみは、どのようなものだろう。たったひとりで、森に取り残された長い時間、彼は何を思っただろう。


『…アリガトウ。僕ハ、ソレダケデイイカラ。君ニ、返スヨ。全部――』


 ルイスは、表情などあるはずもないオリーブの老木が、少しだけ微笑んだ気がした。しかし、彼の言っていることが分からずに困惑する。


「『返す』…? 何を……」


『スグニ分カッタヨ、君ガ、本来ノ、コノ“力”ノ持チ主ダッテ――。君ガ覚エテイテクレルノナラ、僕ニハモウイラナイカラ…。今マデ、僕ニ“力”ヲクレテ…アリガトウ…』


 何を言っているのだろうと思う気持ちとは別に、ルイスの口から勝手に言葉が飛び出す。


「駄目だ……!! それを手放したら、君の寿命は……!!」


 本能が、「彼が力を手放せば、彼は時期に死んでしまう」と告げていた。長い時を生きてきた彼。だが、彼の寿命はすでに尽きていた。だが、彼が手にした「力」によって、彼は今日まで生きながらえてきたのだ。


 それを、彼は手放そうとしている。


『モウイインダ。――君ガ僕ヲ覚エテクレテイル…。僕ガ死ンデシマウコトヲ、悲シンデクレル人ガ…ヒトリデモイル…。ソレダケデ――』


「やめ…っ!」


 それでもなお制止しようとしたルイスは、流れ込んでくる圧倒的な力と、記憶に、目を見開いた。





 ――白刃がきらめく。自らの胸に突き刺さったそれ。


 衝撃に、地に倒れ伏した。自らの体を浸す、生暖かいそれが、自ら流した血だと分かっていた。


 だが、それに彼は無関心だった。


 もう、どうでもいい。その絶望の言葉が、彼の胸を締めていた。今際の際で、彼が感じたのは、ただ、絶望だった。果てのない、絶望だった。


 だが、ふいに。自分にはやり残したことがあることに気づく。せめて、それを確認するまでは死ねないと。そう、思った。


『――死……ね……ぬ……! ……は……まだ! まだ……!!』


 しかし、肉体は滅しようとしている。普通の傷で、死ぬことなどないほどに強大な力を有いている己でも、この身を貫くのが、破魔の力を有するこの聖剣であるのなら話は別だった。


 魔力を討ち滅ぼされる苦痛に、体が痙攣する。


 逃げなければ。この力から逃げなければ、この肉体は塵に還ってしまう。


 そして、最後の手段。彼の強大な力と記憶が、分裂して散ってゆく。そして、全ての力を手放して、彼はわずかな魔力と、魂だけで逃げ出したのだった。


 ――どれだけの時が経っただろう。記憶をなくした感覚だけの存在は、聖域でまどろんでいた。永遠の安らぎであると同時に、永遠の孤独の時。停滞と無変化の時。


 だが、そのまどろみを破る者がいる。魔の森の伝説をものともせずに、森へ侵入してきた怖いもの知らず。


 心だけの存在となっていた自分は、その「望み」に反応する。子供を失った母親の痛み。小さなぬくもりがほしいと、それを願うその望みに。


 気づくと、自分は彼女の意志で、肉体を得ていた。産声のような泣き声が、形成されたばかりの声帯から漏れる。


『赤ちゃん? どこにいるの? 赤ちゃん!?』


 必死に探すのは、若き日のポーラ。


 失った子供はもう帰ってこないのだと分かっている。それでも、寂しさに耐えられなかった、弱くて優しい女。


 優しい「母親」の腕に抱きしめられて。自分は、「ルイス・カルヴァート」になった。





「ああ…そうだ。俺は…人じゃ…人ではなかった…」


 ルイスは、そう呟いた。


 だが、その後、体を襲う異常な痛みに、ルイスは地面に座り込む。


「ぐ……ぅ……! い……たい……!」


 そう言うのと同時に、ルイスの肉体は急激に変化していた。


 めきめきと音がしそうなほどに急激に身長が伸びてゆく。肉体の成長に耐えられなくなった服が、びりびりと音を立てながら、破れていく。


 気づくと、ルイスは半裸に近い格好で、座り込んでいた。ルイスは、自分の手を見つめる。それは、本来のものよりも、大きい。自分が、本来の姿に戻ったのだと、ルイスは確信した。


 オリーブの木を見上げると、満開の花が咲いていた。無数な小さな白い花びらが、霞のように、オリーブの老木を埋めていた。これは、先ほどまではなかったものだ。「彼」が。消滅する間際の「彼」が、最後の力で咲かせたものであった。


 狂い咲きの花は、息が止まりそうなほどの幻想的な美しさをもって、月明かりの下に浮かび上がっていた。


 もう、目の前のオリーブの老木に、「彼」の人格は宿っていないとルイスは確信していた。精霊を失った老木は、近いうちに朽ちて枯れるのが定めであろう。


 呆然と座り込むルイスの肩に、何かがかけられた。それは、裾の長い上着だった。


「ご帰還。お待ち申し上げておりました……。――ルドヴィクス様」


 それは、アルバートの声だった。


 アルバートは、地面に片膝をついて、胸に手を置いていた。それは、まるで宮廷での騎士の作法のようであった。上位の相手に忠誠を誓うような、そんな所作。


 アルバートの瞳は、金色だ。だがしかし、その瞳がもはやルイスには怖くはない。


 知ってしまったからだ。自分も彼と同じように、人ならざるものだと。異形の存在であることを。


 アルバートが口にした、古めかしい響きを持つ名前が、自らの真の名であると、ルイスは確信していた。


 ルイスは、いや、ルドヴィクスは、上着に袖を通すと立ち上がる。そして、アルバートを見つめた。


「未だに……思い出せない。俺は、何者なんだ……! そしてお前は……俺の、何なんだ……」


「……御身のことは、御自身で思い出されるがよいでしょう。――私は、貴方に仕える者でございます」


「――お前の真実の名前は。アルバート・ヘストンとは、偽名だろう?」


 ルドヴィクスのその問いに、アルバートは、ひどく切なそうに微笑んだ。その笑みに、一瞬ルドヴィクスの瞳は釘付けになる。


「――アルベルトゥスと申します」


「アルベルトゥス。――俺は、これからどうすればいい?」


 従者と名乗ったその青年に、ルドヴィクスは困惑を隠しきれない声音でそう言った。


 思い出せた記憶は、あまりに少ない。自らが人ならざる存在であることは思いだせても、それならば、自分は何であるのか、は未だに分からなかった。


 「貴方に仕える者」と自らを説明したアルベルトゥスのことも、ルドヴィクスはまだ思いだせない。彼が何ゆえ、このようにルドヴィクスに膝をつくのか。おそらく、ルドヴィクスの思い出せない記憶の中にその答えがあるのだろう。


 そして、思い出せない記憶の中に、ひとつだけ慕わしい面影があった。亜麻色の髪に、鮮やかな緑色の瞳を持った少年。彼が誰なのか、ルドヴィクスには分からなくなった。だが、彼のことを思い出すと、ルドヴィクスの胸は、針でつつかれたように痛む。そして、ひどく慕わしい気持ちが湧き上がってくる。


 しかし、そんな彼ですら、誰なのか分からなかった。大切な存在だったはずなのに、名前すら思い出せない。


 そして、今際に、何かを強く願ったはずなのに。何がゆえに、記憶を手放してまで死ぬことができないと思ったのか、ルドヴィクスはどうしても思い出せなかった。


 そんな断片的な記憶しかないのに、何をすればいいのか、ルドヴィクスは困惑する。


「ルドヴィクス様はどうされたいと望まれますか……?」


 しかし、質問に質問で返されて、ルイスは忌々しくなる。それを訪ねたいのは自分だというのに。ルドヴィクスは、「ルイス・カルヴァート」という存在として、間違いなく幸せだった。それをあのような、スタンレーへの詰問という形で、知らずともよかった真実をさらし、その上、自らが人ならざる存在であったという真実を見せたのはお前だろうと言いたくもなる。


「――分からない……。俺は……死の間際……確かに何かを望んだ……。それが……どうしても思い出せない……!! 思い出せないんだ!!」


 ルドヴィクスは、そう言って、手で黒髪を握りつぶす。


「違う……。それは『俺』じゃない……!! 俺は、母さんと、父さんに真実を聞かないと……。でも……」


 そう言って、ルドヴィクスは、自らの手を再び眺める。立ち上がったこの状態だと、よく分かる。地面までの距離が、先ほどまでよりもとても遠い。何歳ぐらいの外見になっているのか、今のルドヴィクスには分からなかった。だが、少なくとも今の自分は10歳には見えないだろうということはルドヴィクスには分かっていた。


「――忠言、お許しください。……ルドヴィクス様の御復活は、いずれ知れ魔界に渡りましょう。……そうなれば、御身に徒なそうと、刺客が徒党を組んで押し寄せるでしょう。ルドヴィクスの御ためとあらば、私も御身をお守りいたしますが、魔族が攻め入ってくれば、確実に……あの村は焦土となりましょう」


 ルドヴィクスは、アルベルトゥスの言い草に激昂した。


「お前は……!! それでは、俺の選択肢なんてあってないようなものだろう!! ――戻れるはずがない!」


「――いいえ。あります。あの村を焦土と変じさせても、留まることもできないわけではないのですから」


「ふざけるな……! そんな言葉遊びが……!!」


 アルベルトゥスを、ルドヴィクスの怒りの波動が襲う。ふと房程度の銀髪が宙に舞い、長い銀色の髪を結っていた紐が切れて、滝のように豊かな髪が、背に流れる。そして、切り裂かれた頬からは血が流れる。自分の激情に力が暴走したことを知り、ルドヴィクスは、必死で己を律した。


 だが、アルベルトゥスへの怒りは収まらなかった。


 それなのに、アルベルトゥスは淡々とした口調で言葉をつむぐのを止めはしない。


「言葉遊びとお思いですか。ですが、事実の正確な把握は必要なことかと愚考申し上げます。――ルドヴィクス様。貴方には選択肢がある。その中のいくつかは、貴方にとって、選ぶことのできない選択肢でしょう。ですが、それを『選べない』と思うのが、すでに選択です。それを御誤りになりませぬよう――」


 不愉快極まりない言葉に、ルドヴィクスは奥歯をかみ締めて耐える。


 アルベルトゥスの言葉は不愉快だが、だからといって八つ当たりのように力を暴走させるなど、ルドヴィクスの美意識と矜持が許さない。


 だから、ルドヴィクスはため息に怒りを逃がすと、改めてアルベルトゥスに問うた。


「俺は、死の間際……何かを望んだ。……お前はその望みを知っているのか……?」


 ルドヴィクスの言葉に、アルベルトゥスは首を振る。


「申し訳ございませんが、存じ上げません」


「信じられないな」


 この男は情報を出し惜しみしているのではないかと、ルドヴィクスは冷たく睨めつけた。


「――私は、貴方にだけは嘘を申し上げません」


「……白々しいな」


 ルドヴィクスは、アルベルトゥスの言葉を鼻で笑った。


 散々、嘘をついて接近してきたのはどこのどいつだと言いたかったのだ。


「いいえ。結果的にルドヴィクス様が誤解されたことはございましたが、私がルドヴィクス様に嘘を申し上げたことはございません」


 それに、アルベルトゥスはぬけぬけとそう言う。


 それに、ルドヴィクスの中で、最初の出会いのときの会話が思い出される。スタンレーに、紹介された名前。たしかに、アルベルトゥスは、直接ルドヴィクスに、アルバート・ヘストンだと名乗ったわけではない。それ以外にも、思い起こしてみれば、アルベルトゥスが明らかに嘘をついたと思われる事柄は、人づてに聞いていた。


 アルベルトゥスの力を知った今では、マライアが紹介状を書いた理由も理解できていた。術に絡め取られて、己の意思に反して書いたというのが、おそらく真実だろう。


 それは、目の前の美貌の魔性がいかにも取りそうな手段に思えた。


「……ひとつ分かったことがある」


「何でしょう」


「お前は信用ならない」


 そう言って、ルドヴィクスは冷たく笑ってみせた。


 強烈な怒りは、すでに燃え上がる炎から、凍てついたものにまで変じていた。


 なるほど。たしかに嘘はついていないのだろう。だが、そのような絡め手で結局騙してくるほうが、よほど性質が悪いではないか。


 ルドヴィクスは、従者を自称するこの青年を、全く信用ならないものとして、認識した。


 そして、今のルドヴィクスは、凍てついたような笑みが、どれほど凄絶に美しいのか理解していなかった。


 今のルドヴィクスは、人間に例えるのなら、17歳前後に見える。だが、ルドヴィクスの見た目は、ルイスであった時から、見た目の年齢以外は、それほど劇的に変化しているわけではない。琥珀色だった瞳は、魔性の証のように、金色に色づいていた。だが、全体の目鼻立ちとしては、あの少年の面影がたしかにある。


 だが、それと同時に、あの少年が成長しただけで、これほどまでに劇的に変化するはずがないという評価もまた出てくるだろう。ルイス・カルヴァートという少年は、確かにそれなりの造作を持っていた。だが、それは平均よりも少し顔立ちが整っている程度のものだった。


 だが、このルドヴィクスという少年の姿をした魔性は、あまりに美しい。漆黒の髪は、月明かりに凄絶に映え、白い肌に、金色に輝く瞳。


 アルベルトゥスの美貌が、月のように幻想的なそれなら、ルドヴィクスの美貌は、太陽のように印象的で鮮やかだ。アルベルトゥスの美を繊細な彫刻に例えるべきなら、ルドヴィクスの美は鮮やかな色彩で描かれた最高の絵画。


 人ならざるものを思わせるほどの美という点では共通しながらも、アルベルトゥスの美貌が、偶然目に入った瞬間に見ほれるそれなら、ルドヴィクスのそれは、どんなに離れていても、人の目を強引にわしづかみにして離さないようなところがあった。


 アルベルトゥスもまた、そんな主の美貌に見惚れる。


「…御賢明ですね」


 そして、そう言って、微笑むのだった。


 それにルドヴィクスは、少しだけ顔をしかめると、歩みだした。


「…行くぞ。――お前が俺の従者ならば、ついてくるがいい」


 だが、少し歩んで後ろを振り返る。


「――すまないな。我が力、たしかに返してもらった。……約束は守るから。――お前の存在を……生涯、忘れない……」


 ルドヴィクスがそう声をかけた相手は、アルベルトゥスではなかった。それは、寂しがり屋の、かつての神へ。


 改めて見る老木は、やはり荘厳なほどに美しかった。


「……見事だな」


 純粋な感嘆を込めて、ルドヴィクスはそう言う。


 おそらく、もうこのオリーブの木は、来年の花を咲かせることはないだろう。彼は、来年の春を待たずに逝ってしまうのだろう。


 しかし、それはとうの昔に訪れるはずであった運命であり、ルドヴィクスの力がゆがめてしまった運命だった。


 その感嘆を最後に、ルドヴィクスは切なさと共に、オリーブの老木に背を向けた。


 忘れ去られるもの。時の中に置き去りにされる存在。


 人の命はあまりに短く、伝えられるものも、時の中で形を変えて、時に全て消滅してしまう。


 だが、ルドヴィクスは、彼がかつて神であったことを知った。そして、魔族としての命尽きるまで、忘れはしないだろう。寂しがり屋の彼のことを。この満開の花の、幻想的な美しさと共に。

 さて、皆様にとって、意外な展開にできたでしょうか…?

 1章の意味を簡単に言うのなら、ルドヴィクス覚醒物語でした。ここのネタバレをしないようにシリーズ説明を書くのがどれだけ大変だったか(笑)←

 というか、せっかく、ルイスやアルバートの名前に親しんで下さっていた方はごめんなさい。ルドヴィクス、アルベルトゥス、というのが彼らの正式な名前になります。

 というか、ルドヴィクス様、覚醒したとたんに偉そうですね!← いやまあ、もともとのキャラが○○だから仕方がない。元々はさらに××××です。まだ完全に覚醒しきってないので、ルイス君の穏やかな性質と中和されてこれです、このお方。

 純粋無垢モードのルイス君も書き納めだと思うと少し寂しいです(ほろり)。とはいっても、まだルイス君の人格のほうが支配的でしょうが。詳しいことは、次話にて。

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