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異端の伝説  作者: 望月桜
Ⅰ 忘却の森の章
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8.リファーズの森

 夜の森は、静寂に満ちているわけではない。


 風にそよがれる木の葉のこすれ合う音に混じって、虫の音やふくろうの鳴き声がこだましていた。


 月明かりすら、木々にさえぎられてしまう漆黒の森の中を、アルバートはルイスを横抱きにしたまま、迷うことなく歩を進めてゆく。アルバートは、樹木の根にうっかりと躓いてしまうような間抜けな姿はさらさなかった。光のささない森の中でも夜目が効くかのように、アルバートの歩調はしっかりとしていた。


 ルイスは、アルバートの腕の中で、この魔性の体も温かいのだと、妙なことに感心をしていた。


 自分はどうなるのだろうと、ルイスはぼんやりと思う。


 この森の中には、先刻アルバートにあれほどの深手を負わせた存在がいることを、ルイスは承知していた。そんなところに、自分を連れて行ってどうなるのだろう。


 だが、全てルイスにはどうでもいいことに思えた。


 ルイスの無感動な瞳が、茫洋と宙に飛ばされる。その瞳に飛び込んできたのは、ブルーベルの花だった。木々の隙間からこぼれる月の光を浴びて、青の花は、不思議なほどに凜とたたずんでいた。


 数日前、ポーラに、ガーデニングを手伝ったお礼としてもらった花。変わらぬ気持ちを花言葉に持つのだと、ポーラは教えてくれた。たとえ相手がどうなろうと、変わらぬ強い想い。


 一緒に花を育てることで、多くの感情を共有してきた。虫に根が食い荒らされて、木が枯れたときは一緒に落胆した。綺麗な花が咲いたときは、一緒に喜んだ。そんな全てまで、嘘だったのか。


(――駄目だ!! 俺はまだ…母さんにも父さんにもまだ、何も聞いてない…!!)


 その気持ちが、ルイスの胸の中で爆発する。


 ポーラは、森の中で拾った子供をどんな気持ちで育てていたのか。人ではないかもしれない息子が恐ろしくはなかったのか。


 スタンレーは、妻が得体の知れない子供を息子として育てるのをどんな気持ちで見ていたのか。ルイスがたしかにそこにあると思っていた、親子としての情は、本当に偽物だったのか。


 まだ、ルイスは彼らから何も聞いていなかった。


 ルイスは、アルバートの腕の中で暴れる。アルバートについていったら、二度と、帰ることが出来なくなる。その確信があった。


「離せ……!! 俺にはまだ…! 知らなければならないことがある…!!」


 そう叫ぶと、ルイスの体の中で何かがうごめいた。そして、それが刃となって、アルバートを切りつけることを、ルイスは確信していた。


 ルイスが、アルバートの腕の中から抜け出して、何とか着地をしたとき、アルバートは両の腕を交差させて、守りの姿勢に入っていた。


「…くっ」


 その言葉と共に、アルバートの体は、何らかの衝撃を受けたかのように、靴が森の地面をえぐりながら、わずかに滑って止まる。アルバートは、衝撃の去った反動で、前に片膝をつく。そして、その時には、すでにアルバートの前には、ルイスの姿はなかった。





(……帰り道を探さないと…!)


 ルイスは、森の中を走りながらそう考えた。


 とはいえ、道しるべもない森の中。がむしゃらに駆けるルイスには、どちらが帰り道なのかそれすらも分からなかった。出来るだけ、アルバートが歩んできた方向とは逆の方へ向かっているつもりだったが、もしかして途中で方向がずれているのではないかと、ルイスは不安になる。


 森の中で、ルイスは荒く息をつく。村の方角でなくてもいい。せめて、この森から出なければならないと、ルイスは思った。


 ――その時。


『…ケテ』


 どこからともなく、声が響いてきた。


「誰…!? 誰か…いるのか!?」


 ルイスは、森の中で叫ぶ。だが、森の中の闇に、全て吸い込まれたように。反応は返ってこなかった。


 だが、諦めて歩き出そうとした瞬間。


『助ケテ。――寂シイ。寂シイ…!』


 再び、声が響いた。そして、ルイスはようやくそれが、音声的なものではないことに気づいた。脳に直接響くような。そうとしか言い様のない、「声」。


『居ナクナラナイデ。ドウシテ今マデ傍ニ居テクレタノニ…今ハ誰モ居ナイノ』


 孤独と寂しさを綴るその「声」に。


 ルイスは、何故だか涙を流していた。


 その、正体不明の「声」に、なぜかルイスの心が重なっていく。寂しいという、気持ち。


 両親に愛されていることは、恵まれていることは十二分に承知しながら、何かが足りないと、ルイスはずっとそう思っていた。その心の隙間と同じものを、その「声」は綴っていた。


 痛みと痛みが共鳴してゆく。


「…君は……誰」


 ルイスはそう口にした。


 言葉ならざる「言葉」を操る存在など、人ならざる存在だと分かっていた。だが、不思議と恐ろしいという気持ちにはならなかった。「声」の方向から感じられる気配は、むしろルイスにとって、とても慕わしいものに思えた。


 感じられるのは、とても懐かしい気配。その存在に焦がれるように、ルイスは歩を進めてゆく。


 荘厳な何かに導かれるかのように。


 そして、森が不意に途切れる。外に出たのだと、ルイスは一瞬そう思った。しかし、すぐにそうではないことは知れる。


 森の中に、サークル状になっている広場のようなものが出来ていた。木々が途切れることで、葉にさえぎられることのない月光が、その空間を照らしている。そして、その中央に、果てしない時を重ねたと分かる、オリーブの木があった。


 森の中の広間と、その中央に座する、月光に照らされたオリーブの老木。それは、ルイスに、ある種の神聖を思わせた。


 神秘的な光景に、ルイスはしばしの間、我を忘れる。そして。


「…君……なの?」


 そう、声を漏らしていた。


「君が……泣いてた…の?」


 あの「声」の主は、間違いなくこのオリーブだと、ルイスは確信していた。


 なぜなら、ルイスが「声」の主に感じた懐かしい雰囲気は、間違いなくこの老木から発せられるものだったからだ。


 ルイスは、オリーブの木に近づいてゆく。


 返事のように、ざわっと木の葉の音がしていたが、それ以上の反応はなかった。ルイスは、オリーブの木に触れた。――瞬間。


 記憶が、流れ込んできた。圧倒的な年月を経た、記憶。





 神は数多に存在すると、人間が考えていた時代。自然界のものに神が宿ると人々が信じていた時代。人々が妖精を友とし、自然神を敬っていた時代に。


 彼は、「神」だった。


 人々は、神木として信仰されていた彼に、日々の生活の感謝を捧げていた。祈りを捧げた。願いを口にした。


 最初は、ただの老木でしかなかった彼に、神格を求めたのは人だった。人々の信仰は、集って力となり、彼に神としての力と意思を与えた。


 農耕を持って暮らす人々のために、雨を降らせ、病に苦しむ人を救いもした。日々の暮らしが安泰であると、人々は笑っていた。彼は、人々の笑顔が好きだった。


 理由などないぐらいに、彼にとって、彼を信仰してくれる人のために力を振るうのは自然なことであた。彼は、人を愛した。


 だが。ある時、宣教師を名乗るやからが、この地にやってくる。彼らは、神木をあがめる彼らの信仰を、「邪教」と断じた。やがて、国府の力を持って、村人は信仰を捨てさせられる。


 だが、それでも。一部の人々は、かつての信仰を忘れてはいなかった。こっそりと、神木に祈りを捧げに来る人々。


 しかしそれすらも、長い年月の中ですたれてゆく。


 かつて彼を信じた村人たちは、彼に祈りを捧げる代わりに、教会で祈る。自然界に宿る神を信じる代わりに、唯一の神を信じる。


 そして、彼は完全に忘れ去られた存在となる。


 そして、彼は消滅しようとしていた。人々の信仰を糧に力を得ていた彼は、信仰なくしては、衰えて消滅するほかに道がなかった。


 今生きる人々は、誰も彼を知らない。気づこうともしない。そんな、孤独の中で彼は消え去ろうとしていた。


 ――だが、そんなある日、彼は「力」を手に入れた。その強大な力は、元々神木に残っていたささやかな力に惹かれたように、彼の元へやってきた。その力を取り込み、彼は消滅せずにいられるようになったのみならず、かつてと同じように、否、かつて以上の力を得た。


 だが、かつてのように、彼に祈る人々はいない。彼に何かを願う人はいない。彼は、今ならほとんどどんな願いでも叶えられると思ったのに、ひどく悲しかった。寂しかった。


 彼は、ただ忘れてほしくなかったのだ。


 だから、力を得た彼は、自分がここにいることに気づいてほしくて、森を訪れた人々をその力で転ばせる程度の、たわいないいたずらに興じた。


 だが、それは村人たちにとっては、未知の恐怖であった。「あの森には悪魔が居る」。もっともらしく、そう言い出したのは誰であったのか。


 悪魔がいるのならと、村人たちは、神父に悪魔祓いを頼む。「悪魔」を退散させようと、聖典を読み上げる神父に、彼の悲しみと怒りは最高点に達した。


 自分を「悪魔」と断じた人が、彼は憎かった。彼の存在こそは、人々に望まれてこそだというのに。人々の願いを叶え、その平安を守ってきたのは、自分なのに。そんなものを数世代前のことと忘却した彼らは、今度は言葉の石を持って、彼を追い払おうとする。


 「悪魔よ、去れ」と。「悪魔」と。「去れ」と…!!


 彼の中の感情に呼応するように、強大な力が荒れ狂う。そして、力によって風が生まれる。そして、その真空は。聖典を唱えていた神父を無残に切り裂いた。千々に切り裂かれた神父は、壮絶な死に様をさらしていた。


 そして、神父の「悪魔祓い」を見守っていた人々は、恐怖しおののく。


 本当に、森には悪魔がいたのだと。神父ですら、悪魔を退散させるどころか、殺されてしまった。人を殺す恐ろしい悪魔!


 森へ近寄ってはならないと、村で伝わるのはごく自然なことだった。


 人は、正体不明なものに何とか理由をつけたがる。曰く、森には恐ろしい魔族がいる。曰く、森には凶暴な魔獣がいる。曰く、森には犠牲者を待って死霊がさすらっている。


 そして、村に数々の「魔の森」の伝説が生まれ、森には誰も近寄らなくなった。


 たった、ひとり、彼を残して。ただひたすらに寂しがり屋であった、彼を残して。ただ、寂しい、寂しいと。そう泣き続ける彼だけを。――深い森の中に置き去りにして。

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