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異端の伝説  作者: 望月 桜
Ⅰ 忘却の森の章
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6.美しき異形

 過去の記憶の不可解さと、アルバートの行動の不可解さには両方ともひとつのキーワードがある。「リファーズの森」。


 スタンレーとポーラは過剰なまでに、ルイスが森へ近づくことを厭い、アルバートはこそこそと森へ赴く。


 しかし、だからといって、森の中に入るという選択肢はルイスにはなかった。ポーラの涙が、ルイスにとっては楔となる。


 そして、スタンレーとポーラに聞き出すというのも、ルイスには取りたくない手段だった。両親の心を痛めたくないと思えば、それは自然だった。


 だからこそ、ルイスはアルバートが森へ行ったという証拠をつかむことにした。


 スタンレーはルイスが森へ近づくだけで嫌がるが、慎重に森の近くの大岩の影に隠れる。


 ルイスは、アルバートが先刻森の中に入ったことを確認していた。


 1度ならず2度までも。となれば、アルバートは何か目的あって森へ行くのだろう。好奇心に負けて、森に行ってみたというだけではないはずであった。


 出てきたところを押さえ、真意を問う。それが、ルイスの取った手段だった。現場を押さえられれば、言い訳もできないだろうという、ある意味単純な目論見ではあった。


 しかし、いつまで待てばいいのか分からない時間、待ち続けるというのは存外に辛いものがある。斜陽の日が、世界を赤く染める。ルイスは、不安げに辺りを見回した。さすがに暗くなったら、森の外とはいえ危険かもしれないという危惧があった。暗くなる前にここを去らねばならない。


 だが、アルバートはまだ現れない。


『…ケテ……。…ビシイ……』


 ふと、声が聞こえた気がして、ルイスははじかれたように森を見る。だが、森の方に変化はなかった。ただの空耳だったのだろうと結論付けて、ルイスは再びアルバートを待つことにした。


 しかし、一向にアルバートは現れない。


 ルイスが焦れて、他の場所から出てしまったのではないかと不安になっていた時、森の中から人影が現れた。


 アルバートだった。


 だがしかし、その瞬間、ルイスはアルバートに真意を問いただすなどということを完全に失念していた。


 なぜなら。アルバートは、傷を負っていたからだ。それも、深い傷であった。秀麗な顔を、額から流れる赤い血が濡らし、服ごと切り裂かれた体の傷から、血が流れている。その傷のいくつかは、とても酷いものだと、素人目にも分かるほどに全身から出血していた。


 ――得体の知れない相手。敵意すら向けている相手。


 そんな相手が、深い傷を追っていると知った時、ルイスは。


 ただ、心配をした。計算もなく、飛び出して行って、怪我の処置をしようと自然に思った。


 その瞬間、ルイスの瞳に映ったのは、得体の知れない相手でも敵でもなく、ただの怪我人であった。怪我人を見た自然な反応として、ルイスの胸の中には気遣い意外の感情は希薄となっていた。


 ルイス・カルヴァートという少年の本質は、ただ善良だったのだ。


「――私としたことが、ぬかりましたね…。思いのほか…聞き分けのない……」


 飛び出していこうとしたルイスの足を留めたのは、アルバートの独り言だった。最後に舌打ちをして不快さを表にするアルバートの声音は、ルイスからみて、異様だったのである。本来なら、立っているだけでも辛いはずの傷のはずだった。


 その怪我人にしては、元気…というよりも、冷静すぎる声音に、違和感が胸の中で膨らんでゆく。


 そして。ルイスは見た。アルバートの瞳が、金色に染まっているのを。


 ルイスの瞳は驚愕に見開かれる。アルバートの瞳は、自分と同じような琥珀色でしかなかったはずだ。淡い黄色に近い茶色の瞳は、確かに金に近く、光の角度によっては金色がかって見えるときすらもあったが、こんなに鮮やかな金色の瞳を持つ人間がこの世界にいるはずがなかった。


 光る瞳は、斜陽の光を反射したものでは断じてありえない。それは、アルバートの秀麗な顔の中で、存在を主張して輝いていた。


 そして、瞳を輝かせたまま、アルバートはぶつぶつと何か呟く。すると、まるで時を逆に再生するように、アルバートの傷が修復していった。ぱっくりと割れていた額の傷がふさがれていく。服の下に隠された体の傷にも同じことが起きているのだと、ルイスは確信した。


 アルバートは、ハンカチを取り出すと、傷ひとつなくなった顔の血を拭ってゆく。それにより、血に汚されていた美貌が、改めて明らかになる。


 そして、ルイスは、これほど美しいものを初めてみたと思った。いや、アルバートを初めて見た時も、ルイスはアルバートほど美しい男性を始めて見たと思ったのだ。だが。男性のみならず、すべての生き物の中で、これほど凄絶に美しいものは存在するはずがないと、ルイスは信じた。


 魂を丸ごと鷲づかみにするほどの、美貌。冴え冴えとした月を写したかのように。


 その事実に、ルイスは恐怖した。


 アルバートは、人ならざるものだと、ルイスの本能が告げていた。――アルバートは、魔なのだ。傷を直ちに修復したから、魔なのではない。瞳が金色に輝くから、魔なのではない。それ以上に、こんなにも。こんなにも、美しい存在が、人であるはずがない。


 恐怖が膨れ上がる。


 ――魔の森の伝説のなかのひとつ。醜い魔族の存在を語ったのは誰であっただろう。この世のものとは思えないほどに醜く、その容貌を見ただけで、心の臓が破裂して死んでしまうほどの醜悪な魔族。曰く、焼け爛れたかのような肌を持っている。曰く、目は縦に裂け、髪は蛇であり、口は耳まで避けている。一目でも見ようものなら死んでしまうらしいのに、もっともらしく語られた、異形。


 それを聞いて、ルイスは一目でも見たら恐怖で死んでしまうのに、なぜそんなに細かいことが伝わるわけがあるのだと、子供心に賢しらなことを考えていた。だが、それと同時に。恐ろしいと思った。


 人間の想像の限界を尽くしたかのような「醜さ」は、ルイスの旺盛すぎる創造力によって、よりリアルに脳内で再現されていた。あまりに醜く、この世の全てを呪っている魔族。それは、子供心に可哀相に思えたが、それにも勝って恐ろしかった。


 だが、今ルイスが実際に目にする異形は、美しい。美しいがゆえに、恐ろしい。


 あるいは、この圧倒的な美貌は、どんな醜悪な容貌よりも恐ろしいのかもしれない。ルイスはそう思った。


 そして、ルイスは恐怖のままに体を素直に動かす。なるべく、その恐ろしい生き物から離れられるように。無意識のうちに、足が後ろに動いてゆく。


 パキッ。小枝を踏みしめる音が、響く。


 ルイスは、それに目を見開き、自分の荒い呼吸を意識していた。呼吸をしなければならないことが呪わしいほどに。鼓動をうたなければならない生き物であることが呪わしいほどに。呼吸音のひとつ。心拍のひとつが、目の前の異形に気づかれるきっかけとなりそうで、ルイスの恐怖は最高点に達する。


「…やはり、私ひとりでは駄目なようですね。……申し訳ありませんが、お手をわずらわせることになりそうです…ルイス君」


 独り言のように呟かれた言葉のその先。そして。アルバートの金色の瞳と、ルイスの瞳が、交わる。


 一瞬の間。


「う……うわあああああああああああ!!」


 ルイスは、悲鳴を上げて逃げ出す。


 一刻もはやく、アルバートの。いや、この得体の知れない生き物の前から、逃げなければならないと、本能が告げていた。


 だが、逃げるルイスの腕を、アルバートは掴む。


 それにルイスは、再度悲鳴を上げた。だって、無かったはずなのだ。後ろから、追ってくる気配など。忽然と現れたとしか思えない唐突さで、その手はルイスの手首を捕まえていた。


「…協力していただきたいことがあります。私とともに来てくださいませんか…?」


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁ!!」


 ルイスは、アルバートの顔を見ないように目をつぶって、駄々っ子のようにそう言った。


 アルバートの言葉を理解していたわけではない。ただ、この恐ろしい状況から、何とか開放されたい、ただそれだけだった。


 そんな頑ななルイスの顎を、アルバートは、手首を捕まえているのとは逆の右手で、ルイスの顎を捉えて、顔を上向きにさせる。ルイスがどれほど抵抗しても、それはやすやすと受け流されてしまう。


「…頑なであらせられますね」


 そのアルバートの声が聞こえる位置が、驚くほど近いことによって、ルイスは、アルバートと自分の顔の位置が、ほとんどキスでもするかのごとく近いことを知る。


 そうと分かれば、瞼の裏の闇ですら恐ろしくなる。目の前のアルバートが、何をしようとしているのか。そして、目の前にいるのは、先ほどの恐ろしい魔性の姿なのか。それとも、更に本性を表して、もっと恐ろしい姿に変じているのか。


 分からないということが、ルイスの恐怖を煽る。


 心臓はもはや早鐘のようで、このまま恐怖のあまり死んでしまうのではないかと、ルイスは思った。


 そして、ルイスは薄目をあける。


 そして。ルイスの目に飛び込んできたのは、笑みだった。アルバートの瞳は、相変わらず金色に輝いている。白い肌はしみひとつない白磁。銀色の髪は、月光をつむいだかのよう。その、人ならざる美が、ルイスに極上の笑みを向けていた。


 ルイスの思考が、ただその美しさへの感嘆だけで埋まってゆく。


「……私と共に。森へ来てくださいますね…?」


 ただ、ルイスはアルバートの笑みに魅了される。


 『ルイス。頼む。2度と。森へは行かないでくれ…!』いつかの、誰かの言葉が、ルイスの胸の中で響く。ああ、だがそれが何だというのだろう。そんなことなどどうでもいい。


 ただ、目の前の類まれなる美貌を目に焼き付けたい。ただ、それだけ。


 歳よりはるかに若く見える可憐な女性が、その顔を悲痛にゆがめて涙を流している。だが、そんなこと関係ない。


 きっと、頷いたら、この美貌は微笑んでくれる。それ以上に大切なことなんて、ない。


「は……」


 頷きそうになったその時、唐突に、ルイスの腹の底から、怒りがこみ上げてくる。


 何故、思い通りにならなければならない。何故、意思を捻じ曲げられなくてはならない。この、自分が!!


 その、怒りが、ルイスを覚醒させる。夢から覚めたかのように、突然はっと正気に戻った。


 そうなると、意思を操られそうになった怒りと、心を操作されていた恐怖が胸を駆け巡る。


「……断る!!」


 叫ぶと、ルイスを拘束していた腕の力がゆるむ。その隙にルイスは、一目散に駆け出していた。古から伝わる神話のように。けして後ろを振り返ってはいけない気がした。





 残されたアルバートは……笑っていた。


 ただ、肩を震わせて笑っていた。


 そのアルバートの頬には、深い傷がある。鼻から頬にかけて、秀麗な美貌をその傷は無残に横切っていた。


 先ほど、森の中から出た時のものではない。それは、ルイスが見て驚愕したように、すでにアルバートは自らの力で完治させていた。


 だから、森の中で負った傷とは関係がない。これは、新たに出来た傷。


 ルイスが、拒否の言の葉に乗せて無意識に放った「力」によるものだった。


 油断をしていたこともあるだろう。だが、アルバートにこれほど深い傷を負わせるほど、強力な「力」を、ルイスは放っていた。


「……そんなにも、『今』に固執されますか…」


 アルバートの脳裏に浮かぶのは、スタンレーを尊敬し、ポーラに親愛の情を向ける、ルイス・カルヴァートの姿。それは、どこかアルバートの感傷をえぐるものだった。


 ああ。それが、真実であったのなら、どれだけ良かっただろう。


 ルイスは、アルバートからみて幸せな少年だった。人間から見れば永久に等しい時を生きるアルバートから見て、人間の一生などはかないものだ。だが、そのはかない時を、ルイス・カルヴァートという少年ならば、幸せにすごすのだろうとアルバートは思った。


 アルバートは悲嘆からのため息をつく。それは、人の心をえぐる悲痛さに満ちていた。


「…私はいつでも、貴方から奪うことしかできないのですね…」


 彼が見ているのは、いつだって。自分ではないのだから。

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