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異端の伝説  作者: 望月 桜
Ⅰ 忘却の森の章
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5.甘いグミの実と苦い記憶

 ルイスはアルバートに弱みを見せることにならないように、今まで以上に熱心に勉学に取り込んでいた。


 だが、息抜きは必要だ。アルバートが来てから、屋敷の中まで敵地のようでルイスは落ち着けなかった。だから、村を散策することにした。


 空は気持ちよく晴れている。家々の様子を見て、今日が主婦にとって絶好の洗濯日和であることを知る。白いシーツが風にたなびく様を、なんとなしに心地よく見つめる。


 春まきの麦が色づきはじめ、黄金の絨毯のように広がっている。風にそよぐ麦は、心地よさげにさやさやと音を立てていた。この調子でいけば、今年は豊作になるだろうとルイスは嬉しくなる。


 貿易商であるルイスの家では、麦の収穫はそれほど直接に関わりがないが、小麦の値段が上がれば、パンの値段も釣りあがることは理解していた。それだけでなく、この麦を育てているのは、昔、共に野原を駆け回った友人やその家族たちなのだ。


 旱魃や嵐などで、村が大不作の時は、スタンレーは、村人に無金利で金を貸すことがあった。村人を雇って、パーティを催すこともある。


 ルイスが6歳の時、この村で酷い旱魃があったことがある。春の終わりになれば、黄金の麦で色づくはずの畑は、無残にひび割れた大地をさらしていた。友人の父親が、感情をなくした瞳でぼんやりと畑を見つめているのが忘れられなかった。


 だから、そんな中、客人を招いてパーティをするというスタンレーの企画が、ルイスにはとても無責任に思えたのだった。村人たちは明日の生活でさえ分からないのだ。そんな中、パーティなどと不謹慎にすぎると義憤に駆られたりもした。


 だが、ほどなくルイスは違うのだと気づいた。人がこの村に来るということは、この村での消費が活発になるということだった。村人たちは、屋敷に雇われたり、臨時の商売を始めたりすることで糊口をしのいだ。


 また、そのパーティでまとまった商談による利益で村人を雇い、堤を築きなおす工事をした。これによって、多少の旱魃では困らない水路が確保されるようになったのだ。


 ルイスは、そのことで純粋にスタンレーを尊敬する気持ちが増した。そして、ノブレス・オブリージュという言葉を理解したのだった。


 カルヴァート家は貴族ではない。しかし、裕福な商人であり、スタンレーには才能があった。


 この一帯を治めているはずの伯爵家は、先祖代々の資産をすでに食い潰し、家計はすでに火の車なのだと、ルイスも伝え聞いていた。また、たとえ富があったところで、貧しい一村を助ける気があったかどうかはルイスには疑問に思えた。


 ルイスは、幼心に、伯爵なんて名ばかりの称号を持っている貴族なんかより、「成り上がり」と上流階級では馬鹿にされるスタンレーのほうがよほど偉いのだと思った。成り上がりの何が悪い。古びた血筋なんてものよりも、自らの才能と努力によって得たもののほうがよほどすごいに決まっている。人柄も、スタンレーは十分に尊敬に足る人物だとルイスは思っていた。


 だからこそ、ルイスは今、疑問なくカルヴァート家の跡継ぎを目指している。


 そんな物思いにふけっていると、後ろから声をかけられた。


「…ルイス……!? さ、様?」


 敬称がどこかぎこちない呼びかけに振り返ると、そこにはよく日焼けした健康的な肌と、薄茶色の短い髪。そして、薄い青の瞳を持った少年がいた。


「――ビリー!? 久しぶりだな、元気か?」


 その姿に、ルイスは思わず笑顔になる。


「げ、元気だよ…。いや、元気です。ルイス様も…」


「…ビリー、気づいてないのなら言うけど、今は俺たち以外にだれもいないんだけど?」


「……でも」


「お前がどうしても、『様』付けにしたいっていうのなら俺に止める権利はないけどね。悔しいから、お前のことも『ビリー様』って呼んでやろうかな」


「…て、それどんな結論だよ!」


 すねたようなルイスの言葉に、ビリーはそう言って笑う。ビリーはすぐにはっとしたが、ふっきれたように2人で苦笑した。


「いやいや。ビリー様に川に突き落とされた恨みは一生忘れないでやろうと俺は心に誓っているんだ」


 ルイスがおどけて言うと、ビリーは明るく笑う。


「…自分のこと棚に上げんなよな! もとはと言えば、お前が落とし穴にひっかけてきたんだろうが!」


「…まさか本当に引っかかるとは思わなかった。あんなにバレバレだったのに」


 ルイスは、そう言って、にやりと笑ってみせた。


「…相変わらず嫌な奴だなぁ……」


 遠慮のない言葉に、ルイスは少し嬉しくなる。距離を感じていたが、1度うちとけてみると、こんなにも変わってないのだと思える。それが、とても嬉しかった。


「そう言うお前は……妙に背が伸びてないか!? 昔は俺よりチビだったくせに!」


 ルイスは、再会して1番気になっていたことを口にして顔をしかめた。


「ああ…ここ1年ぐらいすごく背が伸びて…。ルイスは性格の悪さも身長も相変わらずだな!」


 失礼にも笑い飛ばして、ビリーは、ルイスの頭に手を置く。


「失礼な…。お前が伸びすぎだよ」


 悪態をつくルイスに、ビリーは笑っていた。


「…何?」


「いや、お前の母ちゃんが、お前のそんな姿見たら卒倒しそうだと思ってさ。親の前では随分ぶりっこしてんだろ。遠目で見ててさ。あのルイスも随分変わったもんだと思ってたら、全然変わってねえんだもん。これのどこを笑わずにいれと」


「…そんなにぶりっこしてるつもりはないんだけどね…」


 照れ混じりに、ルイスはそう言う。


 こうした、屈託のない会話も久しぶりな気がした。ただの会話が、ひどく楽しかった。


「なつかしーな…。そういえば、この時期になると、俺とお前と…あと、フレディやネイサンたちとさ。グミとか取って食べてたよな。ほんの2年か3年ぐらい前なのになー」


 ビリーはそう言って、少し遠い目をする。


「今は?」


「うーん…。時々ね。でもお互い家の手伝いで忙しかったりさ」


「そっか…」


 ルイスはそう言いながら、昔を思い出す。


 グミの木。ルイスは、グミの実が好きだった。家で食べる甘いケーキやクッキーとは違った、みずみずしい甘さ。それを、皆で競いながら食べたのだった。


 遠慮なんて知らなかった。相手に腹が立てば素直に喧嘩をしたし、ルイスの家が特別裕福だからと特別扱いをする子供も、仲間はずれにする子供もいなかった。


 そんな楽しい思い出で、ルイスの胸はいっぱいになる。


「でも…1回『魔の森』へ行こうとして、こっぴどく叱られたことがあるよな。俺はあの後、母ちゃんにすっごい怒られたんだけど、お前は?」


 そう問われて、ルイスは少しぞっとした。


 それは、ルイスにとってはとても、苦い記憶。





 あの日、ルイスは皆と笑いながらグミの実を食べていた。腕白盛りの男の子が4人。競うようにして取ってしまえば、めぼしいグミはなくなっていた。


 グミは、村の子供たちにとって春の贈り物だ。毎年、この季節を楽しみにして、グミやキイチゴを探すのは、いつの時代も変わらぬ、子供たちの最大の楽しみだった。


 だが、すぐになくなってしまうグミに物足りなく思ったその時、グループの中では最年長だったネイサンが分け知り顔で口を開いた。


『…そういえば、魔の森の中に、グミの実がたくさんなってる場所があるって知ってる?』


『たくさんって?』


 質問をしたのはビリー。


『たくさんって言ったらたくさんだよ。…だって村の中のは、他の子たちにも食べられちゃうだろう? でも、魔の森には誰も入っていかない。だから、手付かずのグミの実がたくさんあるんだよ!』


 瞳をキラキラと輝かせながらのネイサンの言葉に、皆で目を見合わせる。


『…でも、あの森には魔物がいるってママが……』


 怖そうな顔をするのは、最年少のフレディだった。


『なんだよ、フレディ、お前怖いのか!?』


 ビリーはそう言って笑い飛ばす。


『俺も…あの森は……行くべきじゃないと思う。…魔物はともかく、迷子になるかもしれないし……』


 ルイスは、その中で慎重に意見を述べた。


 何かあったときに、責任が取れない。そう思ったからである。


『…へぇー。ルイスって案外臆病なんだなー』


 そう言ったのは、ビリーだ。


『な…! 俺は臆病じゃない…!!』


 その時のルイスにとって、臆病だと思われることほど屈辱的なことはないように思えた。今ならば、無謀と勇敢、慎重と臆病は同一ではないとでも反論できたのだろうが、ルイスもまだ、8歳でしかなかった。


『なら行けるよな?』


 ビリーの言葉に、ルイスはぐっとつまってしまう。


『大丈夫だよ。奥まで行かなければさ。あの森には誰も近づきもしないから、奥まで行かなくても手付かずのグミぐらいあるって』


 そうまとめたのは、提案者であるネイサン。


 それで、結局彼らに押し切られるようにして、ルイスは森の方へ行くことになった。いや、ルイス自身もあの森に近づいてみたいという誘惑を、抑えられないのかもしれなかった。


 しかし、子供のそんな行動など、森に入る前に村人に感づかれ、村へ連れ戻された。丁度ルイスの屋敷に用事があってきていた男が、森の方へこそこそと行こうとしているルイスたちを見つけ、保護したのだった。


 ビリーは、皆の前で父親に拳骨をくらい、大泣きしながら家に連れ戻された。フレディは、叱られる前に大泣きをしてしまい、迎えに来た母親は叱るどころかなだめながら、フレディをつれて帰った。ネイサンは泣きはしなかったものの、唇をギュッとかみ締めたまま、父親と一緒に帰っていった。


 そして。ルイスを迎えに来たのは、スタンレーとポーラ。


 スタンレーは青ざめ、ポーラは泣いていた。


 ポーラの涙に、ルイスは口の中に残ったグミの甘酸っぱい味が、口の中でまるで甘い毒のように思えた。


『…ルイス、私は言ったはずだ。あの森には入ってはならないと…。……グミを取りに? 私たちは、お前を十分に愛して育ててきたつもりだったが、お前にとって自分の命の価値はグミより小さいのか…?』


 スタンレーの言葉は、正論だった。だからこそ、ルイスは奥歯を噛みしめてそれを聞く。


 だが、ルイスの唇が謝罪の言葉をつむぐよりも先に、反応したのはポーラであった。


『駄目…駄目よ。駄目なのよ……! 貴方、この子は森へ行っちゃうのよ…!! 定めなのよ…!! いなくなっちゃうの…! 神様、どうかこの子を…! いやあああああああああああああ!!』


『ポーラ!!』


 ポーラは、悲鳴をあげて、失神した。スタンレーは慌てて、ポーラの細い体が床に叩きつけられる前に、それを支える。


 ルイスは、ただ、目の前の情景に、目を見開いて、唇をわななかせることしかできなかった。


『ルイス。頼む。2度と。森へは行かないでくれ…!』


 俯いての、スタンレーの言葉が、呪縛のようにルイスの脳裏に刻まれる。


 グミの甘い味と共に刻まれた、苦い記憶。





「おい、ルイス!」


 ルイスは、はっとなる。目の前では、ビリーが不可解そうにルイスの顔を覗きこんできた。


「どうしたんだよ。ぼうっとして」


「あ…いや。ごめん。グミで色々思い出して……」


 慌ててそう答えて、ルイスは呼吸を整える。白昼夢のような鮮やかな記憶。


 人は、辛いことは出来るだけ思い出さないように出来ている。だからこそ、ルイスも積極的に思い出すことはほとんどなかった。


 ただ、『森へ行ってはいけない』という言葉を呪縛のように残して、あの苦い記憶を、ルイスはほとんど意識しないところまで追いやることに成功していた。しかし。


「…なつかしーな。魔の森の方へ行くのは結構きもだめしみたいで怖かったし」


「――父親に殴られて大泣きしてたくせに」


 精一杯強がって、ルイスはそう言って馬鹿にしたように口角を上げる。


「…だってうちの父ちゃんまじ怖いんだぜ!? 正直、森の魔物なんかよりよっぽど…ってやべ! これ以上道草してたら、また魔物より怖ぇえ父ちゃんにどやされる! じゃな! ルイス!!」


 ビリーはそう言って、ルイスに背を向けてかけてゆく。しかし、すぐに振り向いた。


「ルイス!! またな! 時間があったら遊ぼうぜ!」


「ああ! ビリー! 早く行かないとまた殴られるよー?」


 それに、ルイスは笑顔でそう言う。


「ちえ! 人事だと思いやがって! じゃ!」


 そう言って駆けてゆくビリーの後姿は、背が伸びただけでなく、しなやかな筋肉もできかかっていることを教えていた。


 きっと、畑の重労働を手伝っているうちに出来た筋肉だ。


 ビリーと久しぶりに親しく話せた喜びとは別に、ルイスの胸には棘のような違和感が突き刺さっていた。


 今まで気にしていなかった事実。


 どうして、スタンレーやポーラはここまで病的に、ルイスが魔の森と関わることを気にするのか。それが、どうしても分からなかった。


 特にポーラの反応は異常だ。ポーラは、「定め」と言っていた。何の定めだというのか。ルイスには全く心当たりがない。


「『定め』…」


 理解できない言葉を、言葉にしてみせる。


 答えがほしいと、思った。

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