13.緋色の世界
ルドヴィクスが駆けつけたとき。――全ては終わっていた。
世界を覆いつくすかのような、赤。血まみれになった遺体が折り重なる中、少女が歌っていた。周りに広がる遺体の山は、全て血まみれになった凶器を握っていて、そしてめったざしにされたような傷跡を残して死んでいる。それはまるで、狂人の殺し合いの成れの果てのようだった。
その中で、美しすぎる歌声を響かせる少女の姿はあまりにも異様だった。痛ましさに顔をゆがめるルドヴィクスの瞳には、歌い続けるその少女が、もはや人ではないことは見て取れた。
ルドヴィクスは、遺体の中に、ジャスティーナの両親であるマーシャとスコットの姿もあることを見てとる。そして、燃え上がるハース家。凶器を手にした村人。
――ルドヴィクスは、この場で何が起きたのかを理解する。
ひとりだけ、ルドヴィクスたちとジャスティーナのほかに、その場で生きている人間がいた。彼は、離れた位置にいたのと、体質的に影響を受けにくかったことが幸いしたらしく、怪我を負った体で這っていた。
「た、助けてくれ……!! あの化け物が俺たちを……ひぃ!?」
ルドヴィクスたちの姿を認めて、救いを求めるようにしていた男が、恐怖に顔をひきつらせる。
ルドヴィクスは、どうしようもない怒りに囚われていた。その激情は、ルドヴィクスの力を活性化させ、その瞳を黄金の色に染め上げる。あまりに美しすぎる姿は、それが人ではないことを教えるのには十分だ。
這っていた男は、その場に現れた存在が、救いの主ではなく、新たなる恐怖であると理解する。
「……ハース家を襲撃したのか」
それは、ルドヴィクスからしてみれば、質問ではなく確認でしかなかった。だが、感情的にどうしても、咎める響きが混じる。
「――仕方が、なかったんだ……!!」
恐怖して、気おされて。しかし、ルドヴィクスの言葉にその男が返したのは、自棄じみた怒声だった。
「……仕方が、ない……?」
「俺たちだってこんなことはしたくない!! だけど……見ただろう!? あのおっかない力で俺たちがやられたらどうなるか!! 俺には家族もいる、今度の事件で死んだ娘と同じくらいの娘もいる!! 次の犠牲者が娘じゃないなんて誰が言える!? やられる前には、やるしかなかったんだ!! 国府は俺たちなんて助けてくんねえ!! 俺たちは、ただ……ただ、平和に暮らしたかっただけだあっ!!」
それは、血を吐くような、叫びだった。
それに、ルドヴィクスは思わず固くこぶしを握り締めていた。そうしなければ、怒りで力を暴走させ、今にもこの男を殺してしまいそうであった。
あまりにも簡単に殺せる、という実感がルドヴィクスにはあった。それを望みさえすれば、それこそ赤子の手をひねるよりも簡単に殺せるだろう。怪我の有無に関係なく、目の前でがなりたてる男は、あまりに卑小で無力だ。
「……ジャスティーナも。ハース家の人間も……ただ、平和に暮らしていた……だけだった……!!」
吐き捨てるように、口から出たのはそれだけであった。
彼らは対象を間違えたのだ。
だが、ただ平和を得たいというだけの願いを、誰が否定できるだろう。魔族の存在など、庶民にとっては天災にも等しい不可避のものだ。
冷静になるには、その力の差はあまりにも歴然としていて。恐怖が暴走した結果が、これなのだ。
ルドヴィクスはそれでも怒りを感じる。ジャスティーナの友人として、それを抑えられなかった。
しかし、この怒りのままに目の前の男を殺すのはあまりにたやすいという自覚が、逆にルドヴィクスを冷静にする。
この場で、ルドヴィクスは、明らかに強者だった。いや、おそらく本当の意味でルドヴィクスが弱者であったことは1度もないのであろう。かつて持っていた力が莫大だったのは実感できるし、ルドヴィクスが「ルイス・カルヴァート」であった時ですら、裕福なアッパーミドル階級の跡取り息子という強者の立場にいた。
1度も弱者であったことがない者が、弱者が弱者であるがゆえに犯した罪を裁く権利があるのか。
そして。人を殺した魔族を裁けなかった自分が、人を殺した人を裁くことが出来るのか。
あのダヴィドという男と同様、彼らはたとえ見当違いだとしても、自分たちの生存のためには必要だと信じて、ジャスティーナを殺すことを決意したのだ。――生きたいと。ただ生きたいという願いを、一体誰が否定できるのか。
だが、それはハース家の人間だって同じのはずだった。ジャスティーナの一家は、貧困の中でも幸せそうに見えた。お互いがお互いを思いやっている暖かい家庭に、ルドヴィクスはどこかかつてのカルヴァート家での日々を重ねていた。今はもう戻ることの出来ない場所から。だからこそ、かつての自分のように両親に愛された満ち足りた笑みを浮かべることのできるジャスティーナの傍は心地よかったのだ。彼らだって、生きたかった。生きる権利があった。
あの幸せな空間を奪った彼らが、ルドヴィクスには許せない。
だが。人とは。否、生きるとはそういうことなのだろうか。自分たちが幸せになるために、生きるために、他者の命を奪って。
命を殺して食べて空腹を満たし。命を殺して家を作り、安全な場所を得る。命を殺して衣服を作り、寒さから身を守る。そして、命を殺して平和を得て。命を殺して心の安寧を得る。
自分も、この男を殺せば楽になるのだと、ルドヴィクスは理解する。命を殺すことで、自分の中の憤怒とやるせなさを慰める。この男の命を犠牲にして、ただ自分が楽になる。
理屈は何ひとつ変わらないのだと理解した瞬間、ルドヴィクスは深く息を吐いた。
自分は、こんな男など簡単に殺せるような強者だ。――だからこそ。自分の心の平安のために、人を殺さねばならないような精神的弱者であってはならない。強者として。
そして、ルドヴィクスが選んだ結果は、無関心。恐怖によってわめき続ける男の存在を思慮の外に置く。
男を殺すか否かなどということよりも、よほど大切なことがあった。
「ジャスティーナ……」
歩んで行こうとしたルドヴィクスに、しかし留める手がある。引き止められた手の先を見ると、アルベルトゥスが厳しい顔で首を横に振る。
「……それ以上近づかれては。ルドヴィクス様のお心にも影響が……」
しかし、ルドヴィクスはそんなアルベルトゥスに冷たい目を送る。
「アルベルトゥス。……影響? 誰に言っている……?」
ルドヴィクスは、力を鎧のように放出させる。力を取り戻してから、かなり力の使い方の幅が広がったことを自覚していた。
「……。失礼、いたしました」
膝をつくアルベルトゥスを一瞥した後、ルドヴィクスは、人ならざるものに成り果てて、ぞっとするほど美しい歌声を響かせているジャスティーナの元へ歩んでいく。
赤い瞳はほのかに光り、焦点があっていない。完全に正気を失っていることは見て取れた。
「――ジャスティーナ。……ジャスティーナ!!」
ルドヴィクスは、揺さぶるが、ジャスティーナは歌い続ける。
ルドヴィクスは、思いあまって、ジャスティーナの頬をぶった。すると、ジャスティーナの瞳にかすかに、正気が戻る。歌声はやみ、赤い瞳の焦点が、ルドヴィクスの瞳に結ばれる。
「ルイス、君? どうしたの? その目……私、どうして……」
「ジャスティーナ……もういい。もういいんだ。もう、大丈夫。大丈夫だから……」
ルドヴィクスは、出来るかぎり優しく言う。しかし、周りを見回していたジャスティーナの瞳は、次第に恐怖に彩られ、そして両親の遺体を確認することで目を見開く。
ルドヴィクスが止める間もなく、ジャスティーナはマーシャの遺体の手を握ると、歌を歌い始める。それは、先ほどの狂気を誘発するものではなく、癒しの歌だった。
――しかし。どのような力でも、死者は生き返らない。かつての。かつてのルドヴィクスの強大な力ですら。――死者を蘇らせることだけはできなかったのだ。それを、ルドヴィクスは苦い気持ちで思い出す。
「ジャスティーナ……」
ルドヴィクスはそう言って肩に手をかけるが、ジャスティーナは歌うのをやめない。
「ジャスティーナ!!」
思いあまって、ルドヴィクスはジャスティーナを強引に自分のほうへと向かせた。
「黙って!! 助けなきゃ……。お母さん、助けなきゃ!!」
先ほどまでの無我状態ではないとはいえ、それとは違った狂気に囚われた目で、ジャスティーナはそう言う。
「もう……。……死んでる」
ルドヴィクスが重く言うと、ジャスティーナは一瞬動きを止める。
「……嘘!! 嘘つき!! 何でそんな酷いこと言うの!? 助けるの!! 私にしか助けられないの!!」
頑なにそう言うジャスティーナだが。その必死に否定する様子から、かえってルドヴィクスには分かってしまった。ジャスティーナは、本当は両親の死を理解していることを。理性で理解できるそれを、感情が認められないだけだと。
本当は無駄だと分かっているのだろうに、歌い続けるジャスティーナが痛々しくて、ルドヴィクスは思わずジャスティーナを抱きしめていた。
そのまま、彼女の気がすむまで、歌わせる。
ジャスティーナは、根気よく歌い続けた。しかし、だんだんと歌声は嗚咽に変わる。
「ねえ……。何で? 何で、お母さん動かないの……?」
「………」
ルドヴィクスには、何と言っていいのか分からなかった。
「……本当に、死んじゃった、の? 私の……私のせいなの? 私がこんな変な力なんて持って生まれてきたから、だからお母さん死んじゃったの? 私が……私が……!!」
「君のせいじゃない!! 君の……君のせいなんかじゃ……ない」
「嘘、嘘、嘘!! 私が私が私が!! 私のせいで……!! 嫌。……嫌! 助……けて。私。壊れてしまう……。ここは嫌……!!ここじゃなければどこでもいい……!! もう嫌……嫌なの!! 嫌ぁああああああああああああああああ!!」
ジャスティーナは、絶叫する。パニックで暴れる彼女の後ろ首に、ルドヴィクスは手刀を落とした。力を失って崩れ落ちるジャスティーナの体を、ルドヴィクスは抱き上げた。
「……その娘。どうなさるおつもりですか」
すかさず、訪ねたのはアルベルトゥスだ。
「――放置するわけにもいかないだろう。つれて帰る。その後のことは……彼女に決めさせるさ。……俺の責任だ。俺は……助けられなかった……!!」
ダヴィドの気配を追うのに夢中で、あの場にジャスティーナを置いてきたのはルドヴィクスだった。それが決定的な誤解を生んだことは、ルドヴィクスには知りようもないが、ある程度の推察は出来る。
そして、親しい少女のひとりですら、守れなかった事実。何が強者だとルドヴィクスは思う。ただ強大な力を持っているだけだから何だというのだ。守りたいものも守れなくて。……何のための力なのだ。
ルドヴィクスのやるせなさは、自己に対する怒りという形に転じていた。
ダヴィドという敵がいた。彼を追って迎え撃たねば、ジャスティーナと一緒にいるときに襲撃され、彼女を危険にさらしたかもしれない。もしくは、村人のハース家に対する不審は限界にまで達していて、今回でなくても、いつかこうなっていたのかもしれない。
言い訳ならば、いくらでも出来る。
しかし、それはその運命を変えることの出来ない自分の無力さを前提としたものだ。そして、それを許すには、ルドヴィクスの矜持は高すぎるのだ。
ルドヴィクスは、自分ならば前提条件など関係なくジャスティーナを守れるぐらいの力を持っているはずだと思うほどに傲慢で、だからこそそれが出来ない自分を恥じて怒りを覚えるほどに矜持が高かった。ルドヴィクスの誇りの高さと傲慢さは、ひとつの物事の裏と表に他ならなかった。
責任を背負うということは、強者の自覚を持つ裏返しとして、不可避なものなのだから。それは即ち、ノブレス・オブリージュに他ならない。
ジャスティーナの体を抱き上げてルドヴィクスは燃え上がる家を跡にする。
「……アルベルトゥス。彼女の両親を……静かなところに……。先ほど逃げていったあの男が……応援をつれて帰ってくるまで。――まさか死者を冒涜するような真似はしないとは思いたいが……」
「……仰せのままに」
ルドヴィクスの言葉に、アルベルトゥスは忠実に従う。
「それと、ひとつ聞きたいことがある。――以前、俺が『ジャスティーナは人ではないのか』と訪ねたことは覚えているな? お前は人だと答えた。だが……先ほどの様子は……いや、今も……ジャスティーナは明らかに人ではない。俺を、たばかったのか?」
「――ルドヴィクス様は思い違いをなさっておいでです。……ルドヴィクス様は、その娘が人か否かとお尋ねになられた。だからこそ、私はジャスティーナ・ハースが人であるという事実を申し上げました。ただ……その娘の一家の血筋に……魔族の血が入っていることは申し上げませんでした。私は、ハース家はもともとはまじない師の家系だと申し上げました。おそらく、先祖のどこかにセイレーンがいるのでしょう。魔族の血を継ぐ家系は、強い魔力を持つ者が排出されやすい傾向があります。――とはいっても、十代以上をさかのぼること。血は非常に薄くなっておりました。……ただ、ジャスティーナはその中でも先祖の血をとりわけ濃く受け継いだ娘でした。ですが、それはあくまで『強い魔力を持った人間』に過ぎなかった。……ジャスティーナ・ハースは、人でした。しかし……彼女は先祖の血を覚醒させました。――何事もなければ、彼女は人のまま生涯を終えることが出来たでしょうが……。覆水は、盆に返らぬものです」
アルベルトゥスの言葉に、ルドヴィクスは切なく目を細める。
ジャスティーナの真っ直ぐさを好ましく思っていた。たとえ村人に疎まれるという悲しい背景があったとしても、本質的に彼女は両親から向けられた愛情によって健やかに育っていた。
奇しくもアルベルトゥスが言った通りに、覆水は盆に返らない。一部とはいえ、かつての記憶を取り戻し、人ならざる力を身に付けてしまったルドヴィクスは、すでに変質していた。しかし、それでも人であったこともまた事実なのだ。過ぎ去りしその日々を愛しいと思っていることも。
だからこそ、ルドヴィクスは人であった頃の温かさを求めて、ジャスティーナに好意を抱いた。
それなのに。そのジャスティーナまでもが、人ならざるものになってしまったという皮肉。
ルドヴィクスは、人ではなかったが、己を人だと信じていた。ジャスティーナは人であったが、人ならざるものに変じてしまった。
人と人ならざるものの差とは何なのであろう。いや、そもそもが人が人であるとはどういうことなのだろうか。
答えは見つからずに、ただ腕の中のぬくもりが大切なものであるという以外の答えを、ルドヴィクスは持たなかった。
すみません、13話が抜けていたことに気付いていませんでした。あわてて掲載。