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異端の伝説  作者: 望月桜
Ⅱ 異相の歌姫の章
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12. 弱者の正義

 ジャスティーナは、女性を救うために、必死に歌声を張り上げる。


 しかし、全ての努力が徒労に終わっているのを、ジャスティーナは感じとっていた。そもそも、女性には生命力というものが、ほとんど残っていなかった。そんな状態の人間に歌声の力を使っても、穴の開いた風船に空気を送り込むような、たよりない感じしか帰ってこなかったのだ。


「……!! ――妹に何をしている!!」


 歌声が途切れたのは、ふいの怒鳴り声のせいだ。そこには、ひとりの青年が肩をいからせていた。


「あ……」


 あまりに直接叩きつけられた怒りに、ジャスティーナは思わずひるむ。


「何をしていたと言っているんだ!! 怪しげな歌など歌って……! かせ!!」


 ジャスティーナの腕から、無理やり女性の体をもぎ取った男は、その女性の有様を見て青くなる。


「……お前、何をした!! どんな呪術を使えば、こんな……!! ……マージェリーが最近、やせ衰えていたのも、お前が……?」


「わ、私……知らな……」


「じゃあ、今のことは何なんだ!! 今にも死にそうな相手にコンサートをしてみただけとでも言うつもりか!! 説明できるものならしてみろ!」


 ジャスティーナは、恐怖に震えていた。


 説明など、できなかった。自分の「力」で彼女を治療しようとしたなどと言っても、一体誰が信じてくれるだろう。むしろ、そういった異端の力があることを知られることの恐怖が、何よりも勝っていた。


 説明できずに黙り込むジャスティーナに、男の目にはますます不審の色がにじむ。


「お……兄ちゃ……」


 その時、腕の中の女性が声を上げた。


「……どうしたんだ、マージェリー! 俺はここにいる!」


「私……約そ……の……デ……ド……」


 そう言ったきり、女性は虚空を向いて止まった。瞳孔が開ききって、その瞳には永遠に何も映らなくなったことを教えていた。


「何だって? マージェリー? マージェリー!!」


 妹の死を悟った男が、悲痛な声をあげる。


 ジャスティーナはそれに同情は禁じえないながらも、近寄れずにいた。


「……お前が……っ!」


 涙にぬれた顔で、憎悪を募らせて睨みつけられた瞬間、ジャスティーナははじかれたように逃げ出していた。


 今まで、この異相のせいで幾多の悪意をあびてきたが、これほどまでに、強すぎる悪意はただひたすらに、怖かった。


 早く。早く。優しい両親がいる家に、帰りたかった。





 妹の遺体を抱いて村に戻ってきた青年の姿は、村人にとって酷くショッキングな光景だった。


「……それで、何があったんじゃ?」


 村の長老が静かに問いただすのに、青年は憎悪をその瞳にたぎらせながら言葉を発する。


「殺された。ハース家の娘に!! 俺は確かに見た!! 怪しげな歌で、妹の精気を奪い取っていた!!」


 その告発に、集まった村人たちはざわめきだす。


「……まさか」


「いや、以前からハース家では呪術を行っているという噂が……」


「そういえば、マージェリーの両親は以前ハース家といさかいを起こして……」


「伯爵家のお嬢さんも……」


「国府は力を貸してはくれない……」


「あの赤い目が……」


 彼らは、知っていた。


 この村とその近辺で、魔族の被害があると何度国府に訴えても、彼らは何もしなかったことを。


 国府の力も頼れず、ただ自分たちには被害が及ばないように祈ることしかできないその無力さを、彼らは知っていたのだ。


「このままだと俺たち全員殺されるかもしれない!!」


 一際大きな声が、最後にそう言った。それに、ざわめきが一瞬止まる。そして、今度こそざわめきは、悪意を持って膨れ上がるのだ。


 集団心理の暴走。数の攻撃性。


 それは、どうしようもないほどに攻撃的で。むき出しの凶暴性。だからこそ、それは、彼らが力なきものである証に、他ならなかった。





 ジャスティーナは、地面に落ちた赤いリボンを拾う。とても綺麗な、赤いリボン。綺麗な赤いレースのついた、赤いリボン。しかし、それを見ながら不思議に思って、ジャスティーナは首をかしげる。


 これは、スマイサーの店でもらったリボンだ。とても綺麗で、嬉しかった。だが、そのリボンはこんな色だっただろうか。鮮やかな赤。しかし、ジャスティーナは赤が嫌いだったはずなのだ。店でもらったときは、もっと違う色だった。たとえば、空のように優しい青。それなのに、どうしてこのリボンは赤いのだろうと、ジャスティーナはそれがひたすらに不思議だった。


 赤。大嫌いな色。


 顔を上げて、ジャスティーナはまた不思議に思う。どうして、世界がこんなに赤いのだろう。大嫌いな赤が、そこらじゅうに散っている。


 父のスコットも、母のマーシャも真っ赤になっていた。家も、真っ赤だった。真っ赤な炎が、家を舐めるように包み込んでいた。鬼のような顔をして怒声を上げている村人にも、赤が散っている。


 あまりに全てが赤くて、ジャスティーナは嫌になった。どうして、こんなにも何もかもが赤いのか分からなかった。


 リボンの辛うじて残っていた赤くない部分が、赤く染まる。それが、自分に覆いかぶさるようにしているマーシャの体から垂れた液体のせいであることに、ジャスティーナは気づく。


 赤い液体。鉄さびのような異臭のするこれは一体何なのだろう。それは、とても熱くて赤い。


 ――血。


「あ……」


 その答えに行き当たった途端、ジャスティーナは今起きている現実を、ようやく理解して顔をゆがめた。


 記憶が、ようやく現実に追いつく。


 ジャスティーナは、息を切らせて家に帰ると、マーシャの腕の中で泣き喚いてしまった。幼子のように動揺した様子に、マーシャは驚いてジャスティーナをなだめようとしていた。だが、ジャスティーナの動揺しきった精神状態では、事態をうまく説明などできなくて。


 そうこうしているうちに、来客を知らせる呼び鈴の音が響いた。スコットは、ジャスティーナの世話をマーシャに任せ、自らは来客を迎えるために席を立った。


 しばらくして、激しい口論のような声がジャスティーナのいる居間にまで響いてきた。さすがにジャスティーナも、泣くのを止めて不安に顔をそめながら様子を伺っていると。スコットのなだめるような声が、いきなり鈍い悲鳴に変わって。驚いたジャスティーナとマーシャが様子を見にいくと、スコットが、血まみれで横たわっていた。そのうつろな眼下は、彼の生命が途絶えたことを、教えていた。


 いきり立った男たちの恐怖したジャスティーナとマーシャは逃げ出すことしか出来なかった。


 しかし、周りを取り囲まれればそれも適わなくて。ジャスティーナを殺そうと振り下ろされた鎌から、庇おうと身を呈したマーシャが、犠牲になった。


「……あ」


 血という符号から、ジャスティーナはようやく。両親の死を悟った。


 こんな自分でも受け入れてくれた、優しい両親。しっかり者で優しいマーシャに、無口だが愛情を注いでくれたスコット。


 死んだ。否。――殺された。


「あ、あ、あ、あ……」


 ジャスティーナの口から、意味を持たぬ音だけが漏れる。


 ジャスティーナは、取替えっ子の証だといわれる、自分の大嫌いな赤い瞳を見開いて、村人たちを見つめていた。怒声を上げながら、こちらに迫ってくる村人。


「あああああ……あ。あはははははははは」


 ジャスティーナの口から、狂気のような笑いが漏れる。心なしか、彼女の瞳は、赤く光っていた。ジャスティーナがあれほど嫌悪していたその瞳が、異様な光を放つ。


 狂ったよう笑い続けるジャスティーナに、村人の目に恐怖の色が宿るが、しかしそれがかえって彼らの攻撃のスイッチを押したらしく、彼らは各々の武器を手に、かけよってくる。


 彼らの顔にあるのは、猜疑と憤怒と、恐怖であった。


 彼らは、ただひたすらに無力であった。世界は平等ではなく、国府の力を借りることのできない彼らは、ただひたすらに魔の存在に恐怖することしか許されない。魔族は、そのほとんどが人間などよりもよほど超越した力を持っていて。彼らの気まぐれひとつで、自分たちが簡単に殺されることを、彼らは知っている。理不尽なほどの絶対的な力で、簡単に平和を脅かす、邪悪なるもの。異端なる存在。その恐怖は、様々な噂や語り継がれた話によって、脳髄にまでしみこんでいる。


 だからこそ、これは彼らにとっては殺戮ではなく、正当防衛なのだ。弱いからこそ、先手を打って守らねばならない。村を、家族を。――やらなければ、やられる。狂信にも似たその思いは、しかし反面、彼らにとっての大切なものを守るためですらあった。


 彼らは、間違いなく弱者であった。脅威と信じたものに対し、数で対抗するしかできない、弱者であった。


 大切な人を守るために。生活を脅かす存在を、数で排除する。守らなければならないものが、ある。――やられる前にやらなければ!! 生きるために、殺さなくてはならない……!


 ――それは、殺戮という名の正義であり、正当防衛という名の、暴力。





 それは、在りし日の、少女の祈り。


『――どうして、私たちを、こんなにも残酷な命として、お創りになったのですか。かみさま』

 かなりの鬱展開です。

 弱者の悪、というのはこのシリーズで問いたかったテーマでもあります。

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