10.正体
アルベルトゥスは、目の前の男のあまりに品のなさに、不快なため息を漏らす。
「……つまり、ただの医療ミスだと」
冷たく言い捨てたアルベルトゥスに、男はたるんだ顎にまでよだれをたらしながら、必死に否定しようとしていた。
恰幅のいい白衣の男は、通常ならばそれなりに貫禄もある様子を見せるのだろうが、焦点のあっていない目で涙を流し続ける今は、ひたすらに惨めな生き物でしかなかった。
「ち……がう。私はきちんと調合した!! あれは……あの娘が、目薬と間違えたからで……」
罪を隠蔽するために、自分自身にすら暗示をかけて、必死に否定しようとした真実を漏らさせるためには、より強い力で暗示をかける必要があった。その結果、男の口はすべらかにはなったが、強すぎる暗示の副作用で、かなり見苦しいことになってしまっていた。
「話にならない。――ベラドンナはたしかに猛毒だが、瞳孔を開かせるために使っていた程度の配合率で、ああまで凄惨な死に至るとは思えない」
ベラドンナは美しい花を咲かせる植物だが、令嬢の間では、美容のために利用されることも多い。その成分を薄めて瞳にさすと、瞳孔が開き、美しく見えるのだ。だが、実際のところベラドンナは猛毒である。濃度を間違えると失明することもあるし、大量に摂取すれば死に至る。
医者が令嬢の病気のために調合したのは、水薬だったという。そして、いかにもずぼらそうな医者だ。もしも、渡すべき溶液の間違いがあったら。
「違う!! 私のせいじゃない!! あの娘が、勝手に!! 私は渡していない。渡していない!! ああ、でも真実がどうであろうと、伯爵家の令嬢を医療ミスで殺しただなんてことになれば……私は……身の破滅だ……!! しかたなかったんだ。大体、元々忌々しかったんだ、『まじない師』などと……時代錯誤も甚だしい……!!」
男は笑おうとしたらしかったが、虚脱した顔の筋肉が妙な形でひきつれただけだった。
アルベルトゥスは、この男に取らされた無駄な手間に、苛立たしげに舌を鳴らした。この村の付近で、よく知った魔力を感じたように思った。ゆえに、アルベルトゥスは、この付近の探索に乗り出した。
この一帯で時折起きている、少女の怪死事件。その中のいくつかは、明らかに精を喰らうタイプの魔族のものであることは分かったが、この伯爵令嬢だけは勝手が違っていた。
何らかの関係があるものだとふんでいたのだが、とんだ見当違いだったらしい。
アルベルトゥスは、男の醜さに顔をしかめた。己の失態を誤魔化すために、『呪い』などという噂を広め、世間の目がハース家へと行くようにしていたのだ。男にしてみれば、商売敵でもある相手の評判も貶めることが出来て一石二鳥であったのだろう。
それは、アルベルトゥスがよく知っている人間の醜さだった。理解出来ないものを憎み、迷信によって人を殺すことすら厭わない。今でこそ下火にはなったが、かつて、唯一神の名の下に、大量虐殺を行ったのは魔族ではなく人であった。
浄化運動と名づけられたそれは、人の中に紛れ込んだ魔族に対しての畏怖から来たものであった。実際、人の中に混じって生活をする魔族もいる。その本質はさまざまだ。人に害をなさずに生きている者もいれば、今回の一連の事件に絡んでいるであろう魔族のように、人を喰らうタイプのものもいる。
だが、浄化運動で殺された者は人に対して害をもたらす者も平和に生きている者も無差別であった。それどころか、たとえ人であっても少々不思議な力を持っていたり、敵意を持つ者に密告された者、変わり者などは『魔族』の烙印を押されて殺された。
魔族をして眉根を潜めさせる、人間の暗い歴史であった。
アルベルトゥスは、その時、胸騒ぎを感じて窓の外に目を移した。
「たすけ……ぅあ……」
アルベルトゥスの注意がそれたことにより、多少暗示が薄らいだ男が、座っていた椅子から駆け出そうとして、無様に転倒する。全身の筋肉が虚脱しているのだから当然だ。それでも、男は諦めず芋虫のように這っていこうとした。
それは、無様なまでの生への渇望だった。男の胸には生きることしかなかった。だが、その様子をアルベルトゥスは眉ひとつ動かさずに見やると、軽く力を放った。
「……あ」
今際の際の男の言葉はただ、それだけ。頭から血しぶきを出した男は、その瞳に永遠に何も映さなくなった。
アルベルトゥスは、そんな様子に全く興味もない。嫌悪すら、そこにはなかった。そこにあったのは、邪魔なものを排除するというただそれだけの意志だった。
男にかけた暗示は強力すぎて、後遺症が残りかねないものであった。記憶補正とは、その人間が持つ理性を通じて行うものだ。しかるに、精神の一部が壊れた人間ほど、記憶の修正がきかない。
アルベルトゥスのことを誰かに話されると、面倒くさいことになる。ただ、それだけの判断で、アルベルトゥスは虫けらでも殺すように男を殺した。そこにあるのは、人間の残酷さとは別の残酷さだった。
通るべき道に迷い出ただけの存在を、邪魔だからと殺すような、強者の傲慢。
そして、アルベルトゥスは、たった今殺した男のことなど思考の外に置いて、顔を潜めた。
「ルドヴィクス様……!」
仕えるべき主に、何かが起きていた。
ルドヴィクスは、目の前に現れた意外な人物に、しばしの間固まっていた。
「……デ、デイヴィッド……さん?」
それは、ジャスティーナを介して知り合った、優しげな風貌をした青年だった。
どうして、彼がここにいるのかと、ルドヴィクスは思う。
「どうしました? そんなに慌てて」
「……あ。いえ。あの、こちらに誰か来ませんでしたか?」
「いいえ? ここには、僕と貴方しかいませんよ?」
否定されて、ルドヴィクスは、眉根を潜めた。
デイヴィッドの印象は、温厚。アルベルトゥスほど整った造詣の持ち主ではないが、それでもその微笑みにはアルベルトゥスの持ち得ない温かみがあって、それが好ましいと思ったはずだった。
デイヴィッドは、相変わらず優しげに微笑んでいる。だが、ルドヴィクスはその微笑みが、怖い、と思った。能面のような微笑み。――それはどこか、運命のあの日、アルベルトゥスの人ならざる美に恐怖した感覚に似ていた。
「……どうかなさいましたか? ルドヴィクス様?」
そして、その言葉に、ルドヴィクスは全てを悟って目を見開いた。
なぜ。『ルイス・カルヴァート』と名乗ったルドヴィクスの真実の名前を、彼が知っているのだ。
「貴方ですか……? あの女性を……」
「あの女性?」
「とぼけるな。お前が殺した……そうだな?」
ルドヴィクスは確信とともに、剣呑に目を細めた。それに、相変わらず微笑み続けるデイヴィッドが、不気味だった。
それは、たとえば世界がぐるりと反転するような感覚。人の世界への未練を残して、人の輪の中に参加した。だが、そこで知り合った、人だと思っていた青年が、そうではなかったのだ。
目に見えるものを信じられないのなら、何を信じればいいのだろう。
「どうしてそう思うのですか?」
「だって……貴方……お前は。……魔族だろう」
「そうですね。あのような殺し方をするのはほとんどの場合魔族ですね。ええ。貴方の考えている通りですよ。私は魔族で、ゆえに彼女を殺しました」
デイヴィッドは、穏やかに微笑みながらそう言う。笑顔で、人を殺したと告白するデイヴィッドに、ルドヴィクスは恐怖を抱いた。
「何故……そんな……っ!」
臆しているなどと思われたくなくて、ルドヴィクスは必死に虚勢を張る。恐怖より憤りを、恐れよりも怒りを。
「――おや。あのような殺し方をする理由はお分かりなのでは……? つまり、食事ですよ。貴方には、毎朝のパンを食べるとき、一々理由を考えるのですか……?」
ルドヴィクスは、罪悪感もなく、パンと人を同列に語るデイヴィッドに嫌悪を覚えた。
怒りが波動となって、デイヴィッドに向かっていく。しかし、それをデイヴィッドは難なくかわした。デイヴィッドが先ほどまでいた土地だけが、衝撃にえぐれる。
「……随分と、お怒りのようだ。私は非力なのですよ? 貴方の御力を正面から受ければひとたまりもないので、出来れば勘弁願いたいのですがね。ルドヴィクス様……?」
「先ほどから……お前は、俺を知っているのか……?」
「さあ。どうでしょう?」
ルドヴィクスの問いかけに、デイヴィッドはにこりと笑う。
「ふざけるな……!!」
ルドヴィクスが怒鳴ると、デイヴィッドはふっと笑う。
「……こちらも、図りかねているのですよ。貴方が、あのルドヴィクス様であられるのか……」
そう言いながら、デイヴィッドは、懐から剣を取り出す。見事なエメラルドの入ったそれは、美しい宝剣だった。金色の柄と鞘。宝剣には、エメラルドとダイヤモンドがちりばめられ、柄に一際大きな琥珀が埋め込まれているのが印象的だ。しかし、ルドヴィクスはその美しさに見入るより、凶器を持ち出してきた相手に警戒をする。
しかし、次の瞬間、衝撃としか感じられない波動を感じて、後方に吹っ飛んだ。空中で回転して、ルドヴィクスは辛うじて膝をつく。とはいえ、無防備なところに、力を受けて、身体が痛んでいた。
体勢を立て直さぬままに、次の力が襲ってくるのに、ルドヴィクスは間一髪で避ける。
先ほどのお返しのように、ルドヴィクスがいた場所の地面だけがえぐれる。
「この……嘘つき……」
荒い息の中で、ルドヴィクスは辛うじてそう言った。
「嘘、ですか?」
白々しくも、デイヴィッドは首をかしげた。
「誰が……『非力』だって……?」
「ああ。そのことですか。実際、私の力そのものは非力きわまりないのですよ?」
そう言いながら、デイヴィッドは力を放つ。宝剣を横に凪ぐと、そこから真空派にも似た力が発せられる。ルドヴィクスは、それをよけてその力が後方の木にぶつかるのを見た。けして細くはない木が数本、見事にすっぱりと切れているのを見て、呆れる。
「……どこが!!」
守ってばかりでは話にならぬと、ルドヴィクスからも攻撃をしかける。
デイヴィッドに向けて、力を放つが、デイヴィッドは軽々と宙に飛ぶことでそれをかわしてしまう。ルドヴィクスの放った力は、後方の木々をなぎ倒す。
デイヴィッドはそれに口笛を吹く。
「なるほど……強力ですね……。ですが……っ!! 突進しか知らぬ猪ではあるまいし。単純に力をぶつけるだけではお話になりませんよ?」
どこかあざ笑うような笑みで、デイヴィッドは、宝剣を掲げる。
ルドヴィクスの目は、まるで紐のように細い力が、無数にデイヴィッドから放たれているのを見る。分散された力が、四方から一斉にルドヴィクスに向けて押し寄せてくる。
(……避け……いや、間に合わない!!)
ルドヴィクスは、完全に包囲してくる力を全て避けるなど不可能だと悟り、せめて直撃を避けるために上に跳びながら、予測される衝撃に耐えるために気をめぐらした。
「がは……っ!」
全てを身に受けるのは避けることが出来たとはいえ、細分化された力は想像以上に強力で、ルドヴィクスは一瞬気を遠くする。
高く跳躍するために使っていた力が途絶えて、重力の法則に導かれて、ルドヴィクスの身体が硬い地面にたたきつけられようとする。だが、その時、大きな黒い影が、さっと走り出て、ルドヴィクスの身体を受け止めた。
気が遠くなったのは一瞬のことで、ルドヴィクスはすぐに意識を戻す。その時、自分がなにか黒いふかふかしたものの上にいることに気づいた。そして、目に飛び込んできたのは、獣の頭部らしきものが、3つ。
知っていると、ルドヴィクスは思った。この生き物を、自分は知っている。
美しい黒い毛並み、鬣のようなものが生えた3つの頭部に赤い瞳。ドラゴンのような尾をもったこれは。
「レオ……?」
姿形は変わっても、あの忠実な子犬と同じものだと、ルドヴィクスは直感していた。ルドヴィクスの言葉に答えるかのように、レオナルドゥスは重々しい声で返事をする。その声は、どこか重い金属のような響きを持っていた。
ルドヴィクスの記憶の扉が開く。『――そうだな。レオナルドゥスというのはどうだ? お前の勇ましい姿に似合うだろう?』。そう言うルドヴィクスは、人間で言うところの10歳程度の外見でしかなかった。豪奢な服を身にまとい、不敵に笑っている少年。それが、自らの過去であるとルドヴィクスは知っていた。
「ちぃ……っ!! 三頭犬か……やっかいな……!」
今まで、自信に満ちていたデイヴィッドが、激しく顔をゆがめる。そこに、レオナルドゥスが紅蓮の業火をおみまいする。
跳躍でそれを回避するデイヴィッドに、負けじとルドヴィクスも跳躍する。
空中で、デイヴィッドとルドヴィクスが相対することになる。宙では、方向転換もままならない。
「しま……っ!」
デイヴィッドが言い終える前に、ルドヴィクスはありったけの力を込めて、放った。強烈な力に、あたりが白く染まる。
ルドヴィクスは、ほとんどの力を出し切って、やっとのことで着地する。そして、荒く息をついた。
殺した、と思った。必死の戦闘中に、力加減など、出来なかった。それができるほど、ルドヴィクスには余裕がなかった。他者を殺したという認識に、ルドヴィクスは酷い衝撃を受けていた。だが。
「……かなり、ききますね……」
後ろから聞こえた声にルドヴィクスはぎょっとする。
信じられない思いで振り向くと、そこにはデイヴィッドが立っていた。綺麗に整えられた髪や服は乱れて破け、ところどころに血がにじんでいる。しかし、立っていた。
手加減などできなかった。粉々に吹き飛ばすほどの衝撃だったはずなのに、どうして平然と立っていられるのかと、ルドヴィクスは己が目を疑う。
「……信じられない、というお顔ですね。とっさに、魔力でバリアをはってみたのですよ。――私は、非力なりにそういうところは昔から器用でしたから。だから、言っているじゃないですか。単純な力のぶつけ合いではお話にならない、と」
デイヴィッドはそう言うと、宝剣を振るった。デイヴィッドが宝剣を薙ぐと、再び真空派が生まれる。ルドヴィクスは、とっさにそれをよけようと体をこわばらせるが、そもそもそれが自分に向かってはきていないことに気づく。
気づいた時には遅かった。コンマ数秒の間にたたき出した答えを元に、ルドヴィクスは喉も避けよとばかりに叫んでいた。
「レオ!! ……避けろっ!!」
その真空派は、デイヴィッドに向かっていたレオナルドゥスに向けられていた。さすがの獣の反射神経で、レオナルドゥスは斜めに薙がれたそれを横っ飛びに避けようとするが、その巨体が完全に避けるのは難しく、致命傷は避けるものの、その黒い毛並みから、血しぶきが舞う。
青銅の音にも似た悲鳴がレオナルドゥスの口から漏れる。それと同時に、レオナルドゥスの力の力は抜け、小さな黒犬の姿となって、その姿は地面にたたきつけられた。
「余所見などしている暇があるのですか……?」
気づくと、デイヴィッドが迫っていた。
「よくも……!!」
ルドヴィクスは、今まで感じたこともないほどの怒りを持って、デイヴィッドに相対する。先ほど力を出し切ったと思っていたが、それ以上に自分の中から力をかき集めると、連続的にデイヴィッドに放つ
。
「……だから、そんな単純な動きでは見え見えなんですよ! 先ほども申し上げたでしょう! 耄碌……されましたか!!」
デイヴィッドはそう言って、宝剣を掲げ、力を放つ。
(……あれだ……!!)
デイヴィッドが大きな力を使うときは、常に宝剣を使っている。そのことに、これまでの戦闘でルドヴィクスは気づく。
大きな力を使っておきながら、『自分は非力』だといい募るデイヴィッド。力の源が、彼ではなく宝剣にあるのなら得心がいく。
「ですから、そんな……。――!?」
ルドヴィクスは、デイヴィッドに力を放つと見せかけて、宝剣に手を伸ばした。これが力の源ならば、単純に取り上げてしまえばいいと思ったがゆえである。
だが、その瞬間、ルドヴィクスに流れ込んでくるものがあった。
ファンタジーを書く以上、戦闘シーン描写は必須だと思うのですが、どうにも苦手です(汗)。
というわけで、デイヴィッドの正体は魔族でした。