9.死の影
「アルベルトゥス!」
屋敷に戻るなり、ルドヴィクスは大声で自らの従者を呼びつけた。
「おかえりなさいませ、ルドヴィクス様。何の御用でしょうか?」
それに、屋敷に戻っていたアルベルトゥスはすぐに出迎える。
「……村で……魔族がらみの事件がおきた。何か知らないか」
「……事件、ですか?」
「カンリフ家のアディという娘が殺されたらしい。……若い女を狙う魔族に心あたりはないか?」
ルドヴィクスは、そう言ってアルベルトゥスを見据えてきた。
それは、アルベルトゥスにとって初耳であった。コウサボリング家の娘が死んだ事件について調べていたのだが、新たに死者が出たらしい。それも、またしても若い娘。
「若い娘を食物とする種族、は数種おりますが。殺されたというだけでは……極端な話、人も人を殺せますゆえ」
アルベルトゥスの返答に、ルドヴィクスは苛立ったように舌打ちをする。
「……だから、この近辺にいる魔族に心当たりはないかと言っている!」
「心当たりは、特に。何らかの『力』を持った者の存在は感じますが。しかし、その者が犯人であるという確信を得るには証拠が皆無です」
「使えないな……。――念のために聞いておくが……お前は、犯人じゃないよな?」
ルドヴィクスはそう言って、冷たい目をアルベルトゥスに向ける。それに、アルベルトゥスは思わず苦笑する。
「ご冗談を。私はそれほど暇ではありません」
「……ふぅん。暇だったら、人殺しでもする趣味があるのか。いい趣味だな」
ルドヴィクスは、冷たく皮肉を言って、さっさと自室にむけて歩きだした。
素直にそれを見送りながら、アルベルトゥスは何か、ひっかかるものを感じていた。
「――酷い有様でした。お嬢様は、たしかに嘔吐を繰り返してらっしゃいましたけれど、あんなに壮絶なことになるなんて……! おとなしく寝てらっしゃると思ったんです。そしたらいきなりドタバタと音がして……。私、最初は強盗でもきたんじゃないかって……。でも、お嬢様のお部屋ですから確認しないわけにはいかないじゃないですか? 怖かったけれど、頑張ってお嬢様の部屋に行ったんです。そしたら……!! ああ、今でも夢に見ます! お嬢様が悪鬼のような形相で、床の上をのた打ち回って……まるで、内臓も全部吐き出すのじゃないかというぐらいそこらじゅうに吐瀉物を撒き散らして……! そして……事切れたんです……。何が起きたのかなんて分かりませんでした。ほかのメイドたちが騒ぎに駆けつけてくるまで、呆然とするしかなくて……。お館様にも何度も御説明しました……!」
そのメイドは、一気にそう言って、泣き伏した。
アルベルトゥスは、その様子を冷たい目で見つめていた。
「……なるほど。それで、彼女の主治医だった男について聞きたいのだが?」
「お嬢様のお医者様ですか…?」
アルベルトゥスの言葉に、メイドはひっくひっくとしゃっくりあげながら、そう言った。
「それだけ酷ければ、医者ぐらい呼んだのでは?」
「ええ。呼びました。お館様が、大きな街からお医者様を……。お嬢様は、ご病気ではないときでも、そのお医者様から目薬をもらっていましたから、信頼なさっていたようです」
「――目薬?」
その事実に、アルベルトゥスは少し目を細めた。
「ええ。なんでも、美容のためのお薬だとかで。目にたらすと、瞳が美しくなる効果があるんだそうです。お嬢様は、そういったものをたくさん持ってらっしゃいましたよ。肌が美しくなるクリームとか、髪をつやつやにする油とか」
「なるほど」
「だから……そんなお嬢様が病気になって、本当に面変わりなさって……。見ているだけで辛かったです……。でも……まさか呪いなんて……」
メイドは、その顔を悲痛にゆがめてそう言う。
「――彼女の死は呪い、というのはいつごろ噂に?」
「えっと……よく分からないけど、お嬢様が亡くなってすぐだったと思います……。私……びっくりして……でもありえるかもしれないって思いました。あの……お嬢様の病気……昔はやった伝染病だって知っていましたけど……。あんなに……病気が早く進行して……あんな凄惨な死にかたをするなんて聞いたことが……」
そこで、メイドはまたその情景を思い出したかのように、声を詰まらせる。
アルベルトゥスはこの少女から聞きだせる情報はもはやなさそうだと見切りを付けて、立ち上がった。
「あの……騎士様……! 国は動いてくださるのでしょうか……!」
アルベルトゥスのかけた暗示により、アルベルトゥスを国府が使わした役人だと思っているメイドは、そう言ってすがるような目を向ける。
「悪いようにはしない。だから、今のことは全て忘れたまえ」
アルベルトゥスは、瞳に力をためつつ、そう言って、再度メイドに暗示をかけると、振り返りもせずにその場を去った。
ルドヴィクスが、約束どおりの時間に待ち合わせ場所に行くと、ジャスティーナは大きな籠を持っていて待っていた。
「ごめんね、待ったかな?」
「ううん。全然! あ、あのね! お母さんが、ルイス君も一緒にどうぞってクッキー持たせてくれたの! あの……ルイス君のお家はお金持ちなのかもしれないけど、お母さんの作ったクッキーは絶品だから!」
ジャスティーナの言葉に、ルドヴィクスは少しだけ驚いて、そしてすぐに微笑んだ。
それが、ハース家からの気持ちであることは分かっていた。砂糖は高価だ。そして、ハース家の暮らし向きがあまり裕福とは言えないことをルドヴィクスは、察していた。クッキーのひとつでも、そう簡単に食べられるわけでもないのだろう。
だが、それを娘のジャスティーナはともかく、身元も知れぬルドヴィクスの分まで用意してくれるのだ。それは、彼女の家族が、歓迎してくれているのだということだろう。ジャスティーナは、ルドヴィクスを『始めての友達』だと言っていた。
おそらく、ジャスティーナの両親は、今まで友達もいなかったジャスティーナのことを気にしていたのだろう。だからこそ、その『友達』は歓迎する。
そこには、家族の温かな思いやりがあった。そこに、ルドヴィクスは自分が捨ててきたものを思って、少しだけ切なくなった。
ジャスティーナが手にしている籠の中のクッキーには、母親のマーシャの愛が詰まっているのだろう。それは、ルドヴィクスにはとても遠い温かさのような気がした。
「ねえ。ルイス君って。……時々だけどさ。どうして、そんなに切なそうに笑うの?」
ルドヴィクスは、目を見開いた。言葉をなくしていると、ジャスティーナが焦ったように弁解する。
「あ……。ごめんなさい! あの……私、今まで友達とかいなかったせいか、ちょっとぶしつけなことを言っちゃったりするの……!」
「いや。大丈夫。考えてなかったことを言われて、少しびっくりしただけだから」
ルドヴィクスは、そう言って穏やかに微笑んだ。
どこか、本質を突かれた気がしてどきりとはしたが、不愉快ではなかった。むしろ、彼女の純真さはルドヴィクスにとっては心地いい。
ふと、ルドヴィクスは、一緒に来たレオナルドゥスが尻尾が千切れんばかりに振って歓んでいることに気づいて、思わず笑う。
こいつは、菓子が好きな変わった犬なのだ。
「ありがとう……。あの……ここからしばらく行ったところに、川原があるんだ。そこで、クッキー食べない?」
ジャスティーナはそう言って、くるりときびすを返した。気まずさから逃げたがっているようなその動作に、ルドヴィクスは思わずクスクスと笑う。
茶色い髪で揺れている、青いリボンが可愛らしいと、そう思った。
「そういえば、その……アディという人は、本当にその……魔族に……」
しばらく、たわいも無い会話を交わしながら川原に向かって歩いていたが、ルドヴィクスは先日から気になっていたことを切り出した。
「うん……私は見てないんだけどね。なんていうか、すごくやつれてたらしいわ」
さすがに顔色を濁して、ジャスティーヌは言う。
「……ごめん。あまり聞くべきじゃないかな」
「ううん。仕方ないよ。折角遊びに来てくれてたのに、すぐ帰らせちゃったんだから。あ、こっちだよ。この川原の傍がすごく気持ちよくて……」
ジャスティーナの言葉は、不意に途切れた。ルドヴィクスも、その視線の先を辿って、その理由を理解した。川原の傍には人が倒れていた。
ルドヴィクスと、ジャスティーナはその人に駆け寄る。
「大丈夫ですか……!?」
ルドヴィクスが声をかけながらその体を抱き起こすと、まだ息があった。だが、ルドヴィクスには、その人物の命が長くは持たないことを理解していた。
それは、衰弱のため老けて見えるが、まだ若い女性だった。やせ細った体、血の気のない顔色。衰弱していて、生気も残っていなかった。それなのに、派手なピンク色の服を着て、化粧もしているのが、妙に不釣合いで気味の悪い印象を抱かせた。その唇は、先ほどからわなないて、何かをつむごうとしているが、それは音になることはない。
彼女には、生命力というものが、ほとんど残っていなかった。こうなっては、たとえ『力』を送り込んだとしても助からない。助けられないことを悟ってルドヴィクスは唇を噛んだ。
そんなルドヴィクスの横で、ジャスティーナは大きく息を吸っていた。そして、その唇からつむがれるのは歌声。癒しの歌だった。
だが、ルドヴィクスは兎を救った彼女の歌でも、この女性を救うのは無理だと思った。兎と人では、根本的な総生命力が違う。人ほどの大型な生き物を救うのは難事であるし、何よりこの女性には、生きる核が失われていた。それは、穴のあいた風船に息を送り込むような不毛な作業だ。
とはいえ、ルドヴィクスも救えるものなら救えたほうがいいと思う気持ちは変わらない。ゆえに、ジャスティーナを止めることはなかった。
ジャスティーナの美しい歌声が響き渡る。それは、天上の調べのように美しかった。その美しさに、無心でルドヴィクスは聞き入りそうになる。そうやって、全神経を聴覚に集中させていたから気づいた。がさりと、後ろの茂みが動く音に。野性の獣ではないと、直感していた。何かが、いる。
そして、この女性がなぜこのように衰弱した状態でここにいるのかを思いめぐらせる。
――人の精気を吸い取る魔族が存在する。本来なら、生命力に満ち溢れていたはずの若い女性が、衰弱して、今まさに死のうとしている。病気ではありえない。これは、むしろ。吸精魔族の被害者の――。
ルドヴィクスは、思い出しかけた記憶にはっとなる。
「待て!」
茂みの影の存在が犯人であると確信し、ルドヴィクスは厳しい声を上げるが、それに答えはない。癒しに集中しているジャスティーナは、真剣な表情で歌い続けている。
「……ジャスティーナ! この人は任せる!」
犯人を取り逃がしてなるものかと、ルドヴィクスは叫ぶ。その場をジャスティーナに任せ、音の方向を追っていく。ルドヴィクスの追跡に、逃げていく気配がたしかにあった。ルドヴィクスは、それを追跡していった。
しばらく走ったところで、ルドヴィクスは崖淵に来たことに気づく。崖のはるか下方は、流れの速い川になっている。万が一でもここから落ちればひとたまりもないだろう。
だが、もしかして犯人を見失ったかと思っていたところに、背後で人の気配を感じた。それに、ルドヴィクスは即座に振り向く。
そこには、ひとりの人間が立っていた。その姿に、ルドヴィクスは目を見開いた。