8.交わらぬもの
「この前は、ごめんなさい」
再会するなり、ジャスティーナはそう謝罪してきた。
いつもの森で、2人はまた会ったのだ。
「何が?」
謝罪をされる理由が分からなくて、ルドヴィクスは首をかしげた。
「え、だって。……私、相手できなかったから……。折角来てくれたのに」
ジャスティーナは、心底申し訳無さそうにそう言った。
「なんだ、そんなことか。気にしてない。そんなことよりも、あの後大丈夫だったかな?」
「うん……! あの後、治療して……まだ包帯は外せないけど、大分元気になったの……!」
にっこりと微笑むジャスティーナに、ルドヴィクスは、ようやく『あの後』の意味が食い違っていることを理解した。
ルドヴィクスは、無理な力を使ってしまったジャスティーナが倒れたりしなかったかを心配したつもりだったのだが、ジャスティーナは兎のことを言っていると思ったらしかった。
ルドヴィクスは、あえてその違いを正さずに苦笑した。
それにより、ジャスティーナはルドヴィクスも兎の心配をしているものだと思ったらしく、にこにこと笑いながらそう報告をする。
その無垢さに、ルドヴィクスは癒されていた。
「……そうか。それは良かったよ」
「あ、良かったら、ルイス君もウサちゃんに会ってみる?」
胸の前で思いついたように手を叩いての言葉に、ルドヴィクスは少し迷って頷いた。
ルドヴィクスは、ジャスティーナの家の中に案内してもらった。ジャスティーナの母親に歓迎されて、2人が兎の様子を見ている間に、マーシャは席を立っていた。
兎は先日の血にぬれた面影はなく、もこもことした毛並みが可愛らしかった。
ルドヴィクスが差し出した手の匂いをかいでいる姿に、ルドヴィクスは不覚にもきゅんとした。
だが、そんな自分の気持ちを持て余して、ルドヴィクスはすぐに手を引っ込める。
その時、来客があったらしく、キッチンからマーシャが慌しく来客に応じる。そして、入ってきたのは茶色い髪の青年だった。
「こんにちは、ジャスティーナちゃん」
青年は、ひかえめで品のいい微笑みを浮べてそう言う。
「デイヴィッドさん!」
それに反応したのは、横にいたジャスティーナだ。その瞳が嬉しそうに細まるところからみて、相当に慕っているのだろうと、ルドヴィクスは当たりを付けた。
「……そっちの子は……お友達、かな?」
そんなルドヴィクスを見て、デイヴィッドは首をかしげる。
「あ……はい。先日知り合ったばかりだけど、ルイス・カルヴァート君です。ルイス君。こちらはデイヴィッド・ヘスターさん。音楽家で、私の歌の先生でもあるんだ」
ルドヴィクスは、紹介してくれるジャスティーナに促されるように、挨拶として手を出した。デイヴィッドはそれに一瞬躊躇したようだが、すぐに握り返す。
彼が身じろいだ拍子に、少しだけ煙草の匂いがした。煙草を愛飲しているのかもしれない。ルイス・カルヴァートの父親である、スタンレーも煙草を好んでいたことを思い出し、ルドヴィクスは近親感を覚えた。ただ、ルドヴィクスには、煙草には詳しくないが、変わった香りだと感じた。
「こんにちは。……驚いたな。ジャスティーナちゃんの友達にこんな綺麗な子がいたなんて。……ルイス君?」
「……」
ルドヴィクスが黙り込んでしまったのは、突然「綺麗」などと評されて驚いたからである。
以前とはかなり違った容姿になってしまっているのは、もちろん気づいているし、それが客観的に見てかなり優れているものであるとは思っていた。しかし、初対面の男によもやいきなり「綺麗」などと言われるとは思っていなかったのである。
「それで、デイヴィッドさん、今日はどうして?」
「スコットさんと約束があったのだけど、少し早くつきすぎたみたいだね。良ければ、相手をしてもらえないかな?」
「ええ、喜んで! ……あ。ルイス君もいいよね?」
ジャスティーナはそう言って首をかしげる。
「俺は構わないけど……」
ルドヴィクスがそう言うと、マーシャが紅茶の乗った盆を持ってやってきた。
「遅くなってすみませんねえ。どうぞ」
そう言って、マーシャは自分も含めて4人分のカップを並べる。ミルクを入れたカップに、マーシャは豪快に紅茶を注いだ。
「あ、お構いなく」
ルドヴィクスはそう遠慮するが、勧めに抗わずに、紅茶に口をつけた。
「おいしいです、ありがとうございます」
ソーサーにカップを置くと、ルドヴィクスはそう言って微笑んだ。
本当は、それはお世辞にもおいしいとは思えなかったのだが、それはおくびにも出さなかった。入れ方が悪いのではない。おそらく、茶葉の方の問題だろうとルドヴィクスは思っていた。安価で手に入る粗悪品の類だろう。
自分の舌は思ったより贅沢らしいと自覚して、ルドヴィクスはしばし恥じ入る。
「いつもすみません」
そう言って微笑むのは、デイヴィッドだ。
「……あらまあ。男前が2人もいて若返りそうだねえ。私があと10年若ければねえ」
2人に微笑みかけれられて、マーシャはそんな軽口を叩く。それに、ルドヴィクスは思わず笑った。
「お母さんってば、何言ってるの……」
それに、ジャスティーナが少し顔を赤くしてそう言っていた。
どうやら、純粋な少女には、この手の冗談は腹立たしいもののようだった。それが微笑ましくて、ルドヴィクスは思わずくすりと笑った。
「マーシャさんは今でも十分にお若いじゃないですか。十分ジャスティーナちゃんと姉妹に見えますよ」
その流れに、デイヴィッドがそう言って紅茶を飲み干す。
たしかに、マーシャは15歳の娘がいるにしては若く見えるが、だがジャスティーナと姉妹に見えるというのは言い過ぎだろうとルドヴィクスは感じる。だが、うまい世辞に、マーシャが少し上機嫌になる。
「そういえば、デイヴィッドさんは、ジャスティーナの歌の先生なんですよね?」
先ほどのジャスティーナの紹介を思い出しながら、ルドヴィクスはそう言った。それに、デイヴィッドは苦笑する。
「先生なんて立派なものではありません。……僕は、知っている曲をジャスティーナちゃんに伝えているだけですよ。……これでも音楽家のつもりなので、少しばかり音楽については人より詳しいんですよ」
「……そう、ですか。ジャスティーナの歌の特別な『力』があることについては、どう思います?」
ルドヴィクスは、そうかまをかける。音楽の教師であるのならば、ジャスティーナの力についてもある程度知りえているかもしれないと思ったからである
「ルイス君……!」
それに、ジャスティーナが批難するような声をあげる。
兎を治癒したような力を、人に知られたくないとその瞳が訴えていた。
「……力、ですか?」
そして、デイヴィッドは不思議そうな顔をする。
どうやら、ジャスティーナの特別な力については彼は知らないようだとルドヴィクスは判断する。
「ええ。人を惹きつける力です。彼女の歌には、不思議なほど魅せられるので、ジャスティーナの先生である貴方ならばその理由を知っているかもしれないと思いまして」
ルドヴィクスは、微笑みながらそう誤魔化した。デイヴィッドは、ジャスティーナの力を知らないのだ。無理もないとルドヴィクスは思う。人を癒す力は素晴らしいものだが、そうした未知の力を人は忌む。ジャスティーナが人に知られたくないと思うのも道理であった。ルドヴィクスの前で力を発揮したのは、目の前で消え行く命に必死であったからだろう。
「なるほど。そのことですか。……そうですね。ジャスティーナちゃんの歌には、特別な何かがありますね。時々いるんですよ。技量でも経験でもなく、生まれつき人を惹きつける『何か』を持っている人間は。正直なところ、技術は誰でも鍛錬をつめばある程度のところまでいけます。ですが、それ以上になる時、必要となる『何か』があるんです。それは、人が『才能』と呼んだり、『カリスマ』と呼んだりするものなのかもしれません。ジャスティーナちゃんはそこで、非常に優れた素質を持っていると僕は思っています。だから、僕は未熟ながらも教師の真似事をするのが楽しくてたまらないんです」
「……デイヴィッドさん……」
優しい笑みを浮べながらのデイヴィッドの言葉に、ジャスティーナが言葉をなくしたようにそう言う。
「なるほど。興味深いですね」
「……ジャスティーナちゃんの歌は人を惹きつけるものを持っていますが、ルイス君。君は存在そのものが人を惹きつけるようなカリスマに満ちている。僕はそう思いますよ」
ルドヴィクスが相槌を打つと、デイヴィッドはさらに続ける。それに、ルドヴィクスはその言葉の真意を計りかねて眉間にしわを寄せる。
「……どういうことです?」
「つまり、貴方には王者の素質があるということですよ」
「王者、ですか。それはまた大きく出ましたね」
「……見えるようなんですよ。威厳に満ちた様子で、無数の臣下を睥睨している様子が」
あまりの会話の飛躍にルドヴィクスは胡乱げなまなざしをデイヴィッドへと送る。
「……随分と創造力が豊かなようですね」
「ええ。……実は、私は音楽家と共に詩人を自称していますので。時々想像が飛躍するんです。……最近、フュルベール13世の時代の詩を創作していましてね。その見事な黒髪から『黒の王』と呼ばれたフェルベール13世のイメージにルイス君が見事一致したんですよ」
フェルベール13世とは、200年ほど前のヤルヴィ王国の国王の名前だ。絶対王政の全盛期の国王であり、『余の治世にはあの満月のように欠けたところもない』と豪語したという故事から、「満月王」と呼ばれている。たしかに、彼は母王妃が東国の出身だったということで、見事な黒髪で知られている。
その有名な国王にイメージが一致したといわれても、ルドヴィクスは首をかしげるばかりだったが、肩をすくめて受け入れる。こんな下らないことに議論しても仕方がないと判断したためである
。
その時、玄関の扉が開いた。
「……マーシャ! カンリフ家のアディちゃんが亡くなったらしい」
入ってきたのは、グレイがかった金髪に、灰色の瞳を持った男だった。様子から見て、この人物がジャスティーナの父親らしいとルドヴィクスはあたりをつける。
「――ええ、本当かい? この前見た時は元気そうだったよ?」
それに、マーシャが驚いたような返事を返す。
「……このところ、寝込んでいたらしい。まるで魔物にでも魅入られたように……教会の神父さんの話では、魔族にやられた症状に酷似しているとか」
「本当かい……? ここのところ、平和だと思っていたのに……怖いねえ」
「本当に……ああ、デイヴィッドさん。来てらしたのですか。すみません、ごたごたしてまして」
そこで、ジャスティーナの父、スコットはようやくデイヴィッドたちに気づいたようにそう言う。
「……いえ。おかまいなく。それよりも、物騒な話ですね」
デイヴィッドは眉根を潜める。
「……そうですね。何でも神父さんの話では、若い女の生命力を奪っていく魔族がいるんだとか……」
同じように若い娘のいる身では心配なのだろう。スコットは眉根を寄せる。
その場に満ちる重い沈黙に、ルドヴィクスは唇を噛んだ。改めて、魔族と人が相容れないものだと理解する。この場にいる善良な人々は、ルドヴィクスこそが彼らの恐れている魔族に他ならないと知ったらどういう反応をするのだろうか。ルドヴィクスは、自分の正体をいまだに思い出せないが、大方魔族なのだろうと検討をつけている。
そして、その気になりさえすれば、この場の全員を殺せるだけの力を、完全に力を取り戻せていない今でさえ持っている。
だが、ルドヴィクスがそれだけの力を持っているから魔族が忌まれるのではない。実際に人を襲い、殺すような魔族がいるからこそ、人は魔族を恐れるのだ。それはあまりに正当な防衛本能だ。
ルドヴィクスは、人を殺す魔族に酷い怒りを覚えた。自分も、かつてそうした魔族の仲間だったのだろうかと思うと、自身に酷い嫌悪感を抱くのを止められなかった。
「……何のために人殺しなんか……」
やりきれないその思考は、気づかぬうちに口にもれていた。
「さあ。魔族には魔族の事情があるのかもしれませんね」
そう言ったのはデイヴィッド。
「……事情!? どんな!?」
「さあ。僕には分かりかねますけどね。まあ、行動があるからには何らかの動機があるのでしょう」
デイヴィッドはルドヴィクスの荒れた様子に、肩をすくめる。
「……知りたくもない」
吐き捨てるようにルドヴィクスが言うと、スコットが苦笑した。
「まあ、魔族の事情なんて我々が考えたところでどうしようもないですからね」
スコットはそう言う。
突然の葬式だ。ハース家の人間は、カンリフ家に手伝いに出ることになり、ルドヴィクスは邪魔にならないように、その後すぐに帰ったのだが、やりきれない思いは、その胸にわだかまったままだった。
自分が、人とは相容れない生き物だと、そう突きつけられた気がしたから。アディという娘を殺したらしい、見も知らぬ魔族が憎かった。
交わらぬもの。人と、魔族ですね。