5.ぬくもり
「ルドヴィクス様、使用人にいちいち声をおかけになるのはおやめ下さい」
屋敷に戻るなりのアルベルトゥスの言葉に、ルドヴィクスはすっと目を細めた。
「――なぜ」
「使用人に気さくすぎると舐められますゆえ」
「……俺は、カルヴァート家でずっとこうやってきたが?」
「存じております。――富豪商の跡取り、ルイス様ならば、それでもよかったでしょう。あの屋敷は、使用人と雇い主の垣根が薄うございましたから。カルヴァート家ではそちらのほうが都合がよかったかもしれません。ですが……人の世界でも、王侯貴族という立場の人間は、気さくに使用人に相対しないものでしょう。そもそも、彼らは、彼らの職務を果たしているだけ。一々礼など不要です」
「そうか。それで、俺はお前に気に入られるために、『アルベルトゥス様』の『ご命令』を聞かなければならないわけだ」
苛立ちながら皮肉を言うルドヴィクスに、アルベルトゥスは眉根をひそめた。
「ルドヴィクス様!!」
「だって、そうだろう!! 『あれをするな』、『これをするな』……!! もう……うんざりだ!! 主とは何だ!? 従者の気に入ることに唯々諾々と従う人形か!? ――やめろ……そんな目で俺を見るな……。――お前の視線は……ぞっとする……。一体……お前は何を……誰を見ているんだ……。かつての『ルドヴィクス』か……!? 俺は俺なのに、お前の目は俺を見てない……。ああ……そうだな。お前は、かつての俺に忠誠を誓っているんだからな……。じゃあ、ここにいる……『俺』は偽者なのか……? 俺は……『何』なんだ……!」
アルベルトゥスの視線は、今のルドヴィクスを通り越して、遠い過去を見ている。ルドヴィクスには、そう感じられた。
今のルドヴィクスは、アイデンティティの混乱を内包していた。ルイス・カルヴァートである自分と、ルドヴィクスである自分。異端である自分と、人であった自分。
だからこそ、アルベルトゥスの視線は、ルドヴィクスにとっては、存在の否定にすら思えた。それは、あるいは弱さとも言えるものだったかもしれない。
「――貴方が何者でありましても、私の忠誠は……ルドヴィクス様のみに」
アルベルトゥスは、跪くと、そう言った。
その言葉に、ルドヴィクスは唇をかみ締めると、窓辺に歩み寄った。
「……俺は俺のやりたいようにする。気に食わなければ、好きにすればいい……。悪いが、今はお前の顔が見たくない。……下がっていろ。――これから俺の許可なしに、俺の周りをうろつくのを禁じる。俺からの指示があるまで、他の使用人を通してコンタクトをしろ」
ルドヴィクスは、激情をこらえるように、窓の外を必死に見ている。だから、ルドヴィクスは知らなかった。跪いたままのアルベルトゥスが、どれほど切なげな色をその美しい琥珀色の瞳に宿したか。
――そして、ルドヴィクスは知らなかった。自分の言葉が、どれほどこの美しい従者の心をえぐったのかを。
「……御意」
忠実にそう答える声だけは、どこまでも冷静を装っていたから。
「……なあ。レオ。俺は何なんだ……? お前も知っているのか?」
アルベルトゥスが下がった後の私室で、ルドヴィクスは、ベッドに伏したまま、レオナルドゥスに話しかけていた。それに、レオナルドゥスは元気よく吼えて答える。ルドヴィクスには、その言葉が分かるわけではなかったが、何となく言っていることは分かる気がする。
「そうだな……。俺は、俺だ」
再び吼えるレオナルドゥスは、それを肯定してくれているように思えた。
「……お前は……優しいな。レオ……」
ルドヴィクスはそう言って、忠実に床の上に礼儀正しく座っていたレオナルドゥスを抱き上げる。
「――暖かい……」
ぬくもりが切ないほどになつかしくて、ルドヴィクスは、レオナルドゥスのつやつやとした毛並みをなでた。
外の気温は暑いはずなのに、不思議なほど熱が恋しかった。
ルドヴィクスは、レオナルドゥスを抱きしめたまま、目を閉じた。
「ジャスティーナ、何かいいことがあったのかい?」
ジャスティーナが家に帰るなり、母親にそう声をかけられた。
「うん」
それに、ジャスティーナは、元気よく頷いた。そして、少し迷いながら、口を開く。
「お母さん、あの……私、もしかしたら……『友達』ができたかもしれないの」
ジャスティーナはそう言いながら、首をかしげる。
今まで、ずっとこの瞳のせいで、ジャスティーナは仲間はずれにされ続けてきた。だからこそ、同年代の子と親しく会話をしたのですら、初めてのことだったのだ。
彼は、『また来る』と言ってくれた。だから、ジャスティーナは本当に嬉しかったのだ。
短い間だったけれど、ルイスと名乗った少年が真摯に話をしてくれたのは、感じ取っていた。
この忌まわしい瞳を美しいと言ってくれた信じられない言葉ですら、彼の瞳が真っ直ぐだったからこそ、本心からのものであると信じることができたのだった。そして、だからこそ、その言葉はジャスティーナにとって心の中の宝物のようだった。
「そうかい。良かったね。……それじゃあ、今日はジャスティーナにとっていい日なのかもしれないね。さっき、へスターさんが、この村に来ていたよ。おそらく、もうすぐこちらに来るんじゃないかね」
マーシャは、笑顔でそう言った。
「……デイヴィッドさんが?」
デイヴィッド・へスターは、自称「音楽家」だ。竪琴を手に、大きな街の街頭で歌を歌って生活をしているようだった。基本的に都市を回っているようだったが、出身地が近いとかで、1年に1度程度、この村の付近でも活動をしている。本人の言うところによると、芸術家としてパトロンを探しているらしかったが、見つからないと嘆いていた。
そして、ジャスティーナはそのデイヴィッドのことを慕っていた。デイヴィッドは、ジャスティーナの瞳を気持ち悪がらない数少ない人間であり、またジャスティーナに珍しい歌を教えてくれる先生でもあった。
ジャスティーナにとって、デイヴィッドから、都の新しい流行歌や地方の民族歌などを教えてもらうことは何よりもの喜びだった。
スージーの店を出る際、多少の嫌なことはあったが、それ以前に素敵なリボンをプレゼントしてもらっていた。そして、初めて同年代の少年と親しく話すことが出来た。もしかしたら、友達になれるかもしれないと思うほどに。そして、1年に1度ほどしか会えないデイヴィッドがこちらにきているという。
たしかに、今日は自分にとっていい日だとジャスティーナはそう思った。
しばらくの間マーシャの手伝いなどをしつつ待っていると、家の呼び鈴が鳴らされた。
「……ヘスターさんかもね」
そういうマーシャに、ジャスティーナはにっこりと笑って返す。
「はい。どなた……ああ、へスターさん! どうぞどうぞ」
マーシャはそう言ってもてなす。
そして、マーシャに通されたのは、長身だが細身の青年だ。淡い茶色の髪はさらさらで、青い瞳は上品だ。そして、身なりは清潔で好印象な青年。それが、デイヴィッドに対して抱く最初の印象だろう。顔立ちは柔和で、いかにも優しそうである。
それに、ジャスティーナは静かに会釈する。
「ご無沙汰しています。その後、どうでしたか」
「まあ、ぼちぼちとやっておりますよ……。へスターさんこそ、その後、どうですか」
マーシャの言葉に、デイヴィッドは苦笑する。
「……駄目ですね。全然。……僕には本当に才能がないんじゃないかと落ち込んでしまいますよ」
「そ、そんなことないです!」
デイヴィッドの返答に、思わずジャスティーナはそう言っていた。
マーシャと、デイヴィッドの視線が集まる。それに、ジャスティーナは思わず顔を赤くした。
「……そ、その……。私は……デイヴィッドさんの歌、好きです。竪琴も……」
視線にひるみながらも、ジャスティーナはそう言う。
「――ありがとう、嬉しいよ。ジャスティーナちゃん。それにしても驚いたなぁ、しばらく見ないうちに、綺麗になったね。もう、すっかり立派なレディだ」
デイヴィッドは優しく微笑みながらそう言う。
「そ、そんなことないです……! 私なんていまだに麦粥苦手で食べられないし、果実酒1杯で目を回しちゃうし、胸だってぺったんこで……あ」
慌てすぎて、言わずともいいことまで言ってしまったことに気づき、ジャスティーナは真っ赤になる。
そんな様子に、デイヴィッドはくすくすと笑っていた。
「相変わらず、元気だね。ジャスティーナちゃんのそういうところ、好きだよ」
「……からかわないで下さい」
「そんなつもりはないんだけどな」
「ヘスターさん。お茶をどうぞ。ジャスティーナも、はしゃぎすぎないのよ」
デイヴィッドが苦笑したところで、マーシャがお茶を持ってくる。
「……ありがとうございます、ハースさん。ご主人はお仕事ですか?」
「はい。朝から、薬草を取りに。いらっしゃると知っていれば、他の日にしたんですけどね」
「……いえ。こちらこそ突然すみません。それに、この村には、数日ほど滞在する予定なので。後日、またお伺いします」
「わざわざすみませんねえ」
「ご無沙汰していますし。……それに、私は色々な村や街の医者やまじない師の薬を知っていますが、ここのものが一番効きますね」
「もったいないことですわ」
デイヴィッドとマーシャは、和やかに会話をしていた。それを身ながら、ジャスティーナはマーシャが入れてくれたお茶を飲む。
デイヴィッドは控えめに微笑む青年だった。先ほど出会ったルイスが、印象的に笑う少年だったから、よりそう感じるのかもしれなかったが。デイヴィッドが微笑むたびに、淡い茶色の髪がさらさらと揺れる。青い目は上品で、全体的な細身のシルエットといい、清潔感があって育ちがよさそうな印象を受ける。顔立ちは整っている方だ。ルイスのような完璧な美貌と比べると見劣りするのは否めないが、デイヴィッドの容姿には、誰もが好感を抱くような清潔感と誠実そうな印象があった。かすかに香るのは、煙草の匂いだ。ジャスティーナの前では吸わないが、パイプを好んでいるらしい。といっても、臭いわけではない。少し変わった香りだが、いい香りだとジャスティーナは思っていた。
歳は、たしか20代後半だったとジャスティーナは思う。
「……ところで、ジャスティーナちゃん。可愛いリボンだね。デートかな?」
突然、デイヴィッドがこちらを向いてそう言う。
「……へ? いや、そんなのじゃありません! これは、雑貨屋さんの好意でもらったから嬉しくて……デートするような相手もいませんし……」
「そうなのかい? じゃあ、先ほどみかけた少年は、誰かな」
「え……み、見てたんですか!?」
もしかして、森の中でルイスと話していたところを見られたのかと、ジャスティーナは思わずそう言う。
「……図星か」
しかし、デイヴィッドは面白そうに笑いながら、そう言う。
「う、騙したんですか!? ――それに彼とはそういうのじゃないです……。会ったのだって今日が初めてだし……。たぶん、この付近の人じゃないと思うんです。きっと……上流階級の……住む世界が違う人です」
「――この村の住人じゃない……? ちょっとどんな子か聞いてもいいかな。……ごめんね、最近物騒なことも多いから」
「心配することはないですよ。黒髪で、すごく綺麗で……育ちもよさそうですし。歳は……たぶん私よりも少し上かな。――話してたら、なんだか従者みたいな……銀髪の綺麗な男の人が来て、『外は危険だから迎えに来た』って」
ジャスティーナは、彼らのことをそう説明する。
「――ふぅん。なんだか、ミステリアスな感じだね。創作意欲が刺激されそうだ。1度会ってみたいな。その子に」
デイヴィッドは、にっこりと微笑みながら、ジャスティーナにそう言った。
主従関係にあるルドヴィクスとアルベルトゥスですが、仲が良好とは言いかねますね。




