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異端の伝説  作者: 望月桜
Ⅱ 異相の歌姫の章
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3.異相の少女

 ルドヴィクスは、森の中を気ままに散策していた。長い間、幽閉されたような生活をしていた身には、ただの散歩がとても楽しい。


 木々が発する心地いい空気を浴びながら、レオナルドゥスと一緒に、ゆっくりと歩く。


 そして、ルドヴィクスは、ここはどこだろうとぼんやりと考えた。


 アルベルトゥスに訪ねると、ルスカ王国の東南部の地名を教えられたが、大まかな位置は把握できても、例えばこの森の名称などまで分かるわけではなかった。時間はあったのだから、せめて地図で確認しておくべきだったかと、ルドヴィクスは若干の反省をする。


 とはいえ、ただ散歩をするだけで、位置の把握の必要もそうないであろうと楽観的に考える。別に、家出をしようというわけではないのだ。退屈だから、少し遊びに出ているだけ。それだけである。


 その時、腕の中に抱いていたレオナルドゥスが、突然体をぴくりと動かした。


「レオ? どうした……うわっ!」


 突然、腕の中から抜け出て、走っていくレオナルドゥスに、ルドヴィクスは驚いた。


「どうしたんだ、レオ!!」


 そう言って、ルドヴィクスはレオナルドゥスを追う。しかし、さすが犬だけあって、レオナルドゥスの足は非常に速く、ルドヴィクスはすぐに振り切られてしまった。


「……どこ、いったんだ……」


 困惑してそう呟いたルドヴィクスの耳に、かすかに澄んだ歌声が聞こえた。


 耳を澄ますと、それは女性の歌声だった。ほとんど聞こえるか聞こえないかぐらいの音だが、非常に美しい声だというのは、すぐに分かった。


 その歌声に惹かれるように、ルドヴィクスは歩を進めた。





「スマイサーさんのお店で、チーズを買ってくればいいのね?」


「ああ。ジャスティーナ。悪いけど頼んだよ」


「じゃあ、行ってくるね。お母さん」


 ジャスティーナ・ハースは、帽子をかぶりながら、母であるマーシャにそう言った。


 マーシャは、少しふくよかだが、優しげな顔立ちをした女性だ。ジャスティーナと同じ色彩の茶色の髪だが、癖だらけのジャスティーナのそれとは違い、マーシャの髪はほとんど癖のないストレートだ。それが、ジャスティーナにとっては不満であった。朝起きたとき、必死に梳かしてもあっちこっちに跳ねてしまう髪は、15歳のジャスティーナにとっては、重大な問題であった。なぜ、髪の色だけでなく、髪質も一緒に受け継げなかったのだと、つくづく思ってしまうのだ。


 そうでなくても、重大な欠点があるのに。元気に微笑む裏で、そう思うと少しだけ悲しかった。


 ジャスティーナは年頃の女の子らしく、その癖毛を気にはしているが、そんなもの、この忌まわしい瞳に比べれば、何ということもなかった。


 ジャスティーナが生まれながら有している瞳の色は、鮮血のような赤だった。


 母であるマーシャの瞳の色は、青く、父であるスコットの瞳の色は灰色だった。それなのに、ジャスティーナの瞳の色だけが、このような異様な色なのだ。


 ジャスティーナは、自分のような色の瞳を持った人間を他に見たことがなかった。その色は、他の人間にも異様に移るらしく、初めて会った人間は、大抵ジャスティーナの瞳をまじまじと見る。その視線が嫌だった。


 子供の頃は、近所の子供に、「魔女」と言われて苛められた。だから、ジャスティーナは、同じ年頃の友達がいなかった。


 でも、些細なことは気にしないと、ジャスティーナは気を取りなおして買い物に行く。


 村で唯一のお店である、崩れそうなほどに古い店の扉をあける。聞くところによると、ジャスティーナの曾おばあさんの代からずっと続いているというお店は、とても古かったが、内部は綺麗に掃除が行き届いていた。


 壁にしつらえられた棚には、様々な商品が並んでいて、ジャスティーナにとっては見ているだけでも楽しい。ジャスティーナは、壁に並んでいる綺麗な色のリボンに気を取られる自分を律しなければならなかった。


「こんにちは。スマイサーさん」


「おお、よく着たね。ジャスティーナちゃん」


 ジャスティーナが挨拶をすると、老女がその顔をしわくちゃにして微笑んだ。スージー・スマイサー。この店の主である。


 ジャスティーナはこの老女が好きであった。小さい頃から可愛がってくれた、数少ない大人だったからだ。


「今日は、チーズを買いに来たんです。新鮮なの、入っていますか」


「ああ、あるよ。運がいいね。丁度、ぺラムのところから、新鮮なのを仕入れたところさ」


 そう言いながら、スージーは、棚からチーズを取り出して、ジャスティーナが望む量に分けた。


 その間、どうしてもジャスティーナは、棚にあるリボンを見てしまう。特に気になったのは、水色のリボンだ。おそらく絹であろうリボンは、つやつやと輝いていていた。藍色の刺繍糸で、クロス模様がついていて、ふちを白いレースが彩っているリボンは、どきどきするほど可愛らしく思えた。


 村の女の子たちが、ちょっとしたお洒落を楽しむときは、こんなリボンを親にねだって買ってもらうのだ。貴族のお姫様が着るようなドレスは、貧乏な村人にはとても手が出ない。だけど、少しお洒落なリボンぐらいなら、少し頑張れば手が届く。


 ボーイフレンドのひとりもいない身とはいえ、ジャスティーナにもちょっとしたお洒落には興味がある。


 だが、思いなおして、ジャスティーナは、自分の格好を改めて見た。実用的な、茶色の服。マーシャが作ってくれたものだから、もちろん大切なものだ。


 だが、ハース家は、お世辞にも裕福な家庭とは言いがたかった。主な理由は分かっている。自分の、せいだった。


 ハース家は、まじない師の一族だった。まじない師といっても、妙な呪術などを使うものではなく、主に薬草を煎じて、風邪や腹痛にきく薬を作っていたのだ。


 だが、最近出てきた医者という職種の人間に、村々のまじない師はその立場を危うくさせられていた。でも本来ならば、いわゆる新参者である医者よりも、伝統あるまじない師を支持する村人の方が多かったはずなのだ。


 しかし、それが変わったのは、ジャスティーナのせいだった。村人は、ジャスティーナの瞳を気味悪がった。そして、そのような娘を持つハース家との交流を嫌がるようになったのだ。悪魔と契約を交わした魔女の印であると、本気で思っている人間も少なくない。


 そんなことから、ハース家は没落し、今では生活も大変なほどだ。


 全部、自分のせいなのだ。ジャスティーナはそう思っていた。だから、罪の無い村の娘がねだるような可愛らしいリボンを、自分がねだるわけにはいかないと、ジャスティーナは自分に言い聞かせていた。


「と。これで、全部だね。お代は、4マードだよ」


 ジャスティーナは、5マード硬貨を差し出して、1マードのおつりをもらった。


「…リボンが気になるかい?」


 しかし、続けられた言葉に、ジャスティーナは、飛び上がるように驚く。


「そっ! そんなっ! 別に、私なんて…。こんなごわごわな髪にリボンなんて付けても似合わないですよ!」


 慌ててそう言い訳をするが、言い訳のつもりが、事実に即しすぎて落ち込んでしまう。経済力云々の前に、このどうしようもない髪があったのだと思うと、地にめり込みそうだった。


「…そんなこと、あるもんかね。ちょっとお待ち」


 スージーはそう言うと、棚からリボンを取り出して、ジャスティーナの髪に触れた。


「…え? あの……?」


 困惑するジャスティーナに構わず、スージーは、ジャスティーナの髪をまとめる。


「よいしょっと、これでいい。ほら見てごらん。可愛いだろう。…お前さんは、マーシャの若い頃に似て美人だよ」


 スージーはそう言いながら、ジャスティーナに鏡を見せた。ジャスティーナは、合わせ鏡の要領で、自分の頭を映す。そうすると、あの可愛いリボンが、自分の髪に結われているのが見えた。


 似合うかどうかはともかく、あの可愛いものを身に付けられているということに、ジャスティーナの胸の中には、少女らしい喜びが満ちてゆく。


 だが、すぐに現実に立ち戻った。


「…でも、こんなの、分不相応だから……」


 そう言って、リボンを取り外そうとするジャスティーナの手を、スージーは留める。


「……もっておゆき。お前さんの一家には、薬を卸してもらって、随分と世話になっているからね。たまには、お返しもせにゃ」


 スージーはそう言うが、それは誤っていた。


 ジャスティーナのことが気味が悪いと、ハース家を避けている村人も、ハース家からこの店のワンクッションを置けば、手に取ることも多い。その前提の取引で、スージーは、ハース家の窮地を知っているからこそ、ほとんど利潤を得てなかった。


 だが、スージーはそんなことは分かった上で、申し出てくれたのだろう。スージーのしわくちゃな顔の中にある、緑色の瞳がとても優しかった。


「あ、ありがとう……。スージーさん……!」


 ジャスティーナは、泣きたいほどに、嬉しかった。


 リボンが手に入ったことそのものではなく、スージーの厚意が、とても嬉しかった。


 散々お礼を言って、意気揚々とジャスティーナは店を飛び出した。ジャスティーナは、浮かれていたのだろう。だから、店を出るところで、他の客とぶつかりそうになった。


「ごめんなさ…!」


 謝罪しようと、顔を上げたジャスティーナを見下ろすのは、厳格そうに眉根の間にくっきりとしわの刻まれた女性の顔だった。


 彼女は、無言で不快そうにジャスティーナを見ていた。


「うわ、魔女だ……っ!」


 そう言ったのは、女性のつれである13歳の男の子だった。2人が村の人間であり、親子であることを、ジャスティーナは知っている。


 ジャスティーナは、その視線に、浮かれた気分が一瞬で吹っ飛ぶ。自らの容姿を思い出して、後ずさると、恐怖に駆られたように走り出した。


「全く。いつ見ても気味が悪いわね…。あの取替えっ子…」


 こんな時ほど、ジャスティーナは普通以上の聴力に恵まれたことを恨むことはない。小さな声で呟かれたはずなのに、ジャスティーナの耳にそれは届いてしまうのだから。


 村人は、ジャスティーナのことを魔女と呼ぶことがある。


 それとは別に、「取替えっ子」と呼ぶことも多くあった。この地方には伝説がある。この地には妖精がいて、時折、人間と妖精の子供を取り替えてしまうのだ。それを、「取替えっ子」と呼ぶ。


 取替えっ子は妖精の子供であり、人間ではないから、人間とは違う特色があるという。だからこそ村人は、ジャスティーナの、異様な赤い瞳は取替えっ子の証だというのだ。


 ジャスティーナは、魔女であると言われることにも傷つく。だが、「取替えっ子」と言われるのが、一番辛くて悲しかった。大好きな両親の実の娘ではないと、人が言うのだ。悲しくないわけがあるだろうか。


 おまけに、最近ではさらに変な噂を流されていることをジャスティーナは知っていた。ただ、瞳の色が普通じゃないというだけで、人々は奇異の目でジャスティーナを見る。


 だから、ジャスティーナは、人の視線が、怖かった。

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