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異端の伝説  作者: 望月 桜
Ⅰ 忘却の森の章
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1.魔の森

 村の東の森には魔物が住んでいる。恐ろしい魔物が、無用心にも森に足を踏み入れた人間を食らうのだ。数十年前、無謀にも度胸試しのために足を踏み入れた青年はけして返らず、森のはずれで左足が一本、見つかったらしい。


 いや、住んでいるのは魔物ではない。魔族だ。醜い魔族だ。魔族は、あまりにも醜く、己が姿を見たものを八つ裂きにして殺すのだ。己の醜さに絶望し、日の光と人目を何よりも恐れる、おぞましい魔族があそこに住んでいるのだ。


 そうではない。あそこに巣くうは死霊だ。無念のままに死んだ霊が、己の世界に人を引き込もうと、待ち構えているのだ。


 東の森には「リファーズの森」という正式名称がある。しかし、誰もその名前で東の森を呼ぶことはない。「魔の森」。そう呼ばれるのだ。魔の森には、様々な逸話があった。何が正しいのか、間違っているのか。


 様々な逸話には、しかしひとつの共通点があった。「魔の森には恐ろしい存在がいるから、森にはけして入ってはいけない」というものだ。


 ぼんやりと自室の窓から魔の森を眺めている少年、ルイス・カルヴァートも、村の人間としてその警告を聞きながら育っていた。


 四肢がばらばらになって発見された人がいると聞かされれば素直に恐ろしいと思うし、例えようもないほどに醜い魔族がいるのだと聞けば、気味が悪い。


 だが、森を見つめる琥珀色の瞳には恐怖も嫌悪も無かった。


 ルイスには、何かの間違いに思えるのだ。


 森というものは、薄暗い。密集する木々が、太陽の光をさえぎってしまい、昼間でもほの暗くなってしまうのだ。確かに野生の獣はいるだろうから、その点では危険かもしれないが、ルイスの瞳には、森が忌まわしいものに思えなかったのだ。


 こんもりとした森の緑は、優しい色で目を楽しませてくれる。森を見つめていれば、ひと口で「緑」と言っても様々な色合いがあるのだということが分かる。様々な樹木が密集しているからこそ、そこに自然の妙ともいえるほどの、美しいグラデーションが出来るのだ。


 こんなに美しい森が、本当に忌まわしいものなのだろうか。逸話の中で出てくる「犠牲者」とは、森の獣にやられた者ではないのか。森の中の薄暗さが、人々の畏怖を誘ってしまうだけで、あの森が邪悪なものであるなんてことはないのではないのか。


 ――村人の誰に言っても変わり者扱いされる事実だが、ルイスはあの森が嫌いではなかった。


 とはいえ、中に入ったことがあるわけではない。昔は、ルイスはあの森がとても魅力的な冒険の場に思えて、あの森に行きたがったことがある。しかし、そのたびに、両親は血相を変えて、それを止めさせようとするのだ。


 両親に心配をかけてまで、行けるわけがないではないか。魔物がいなかったとしても、野生の獣は確実にいるということぐらいは幼心に理解していたし、たとえルイスが直感的に魔の森を忌まわしく思わなかったとしても、周りの大人が全員、魔の森は邪悪なのだと力説すれば、そうなのかとも思う。


 ルイスの両親は、いわゆるブルジョワ階級の人間で、教養もあるのだが、他の村人たちと同様、魔の森の逸話を信じ込んでいるようだった。


 ただ、おとなしく納得したような胸のうちで、ルイスの心の中には、どこかで、正しい答えを知っていながら周りに合わせなければならなかったかのような、釈然としない思いを引きずっていた。


 しかし、ことさらに魔の森に惹かれるのは、周りの大人に反発したい子供じみた反抗心なのかもしれない。そう思えば、少しだけ苦笑がにじむ。


 ルイスには、自分は少しだけ日常に飽いているのかもしれないと思う瞬間があった。


 ルイスは恵まれている。両親は、村一番の富豪である。村の同じ年頃の少年が、親の畑仕事を手伝っている間、ルイスは教師に勉強を教えてもらっている。村の人間が、混ぜ物だらけのまずい紅茶を飲んでいる時、ルイスは最高級の紅茶を口にしている。村の人間が、固いベッドの中で眠っている時に、ルイスは柔らかなベッドで肌触りのいいシーツに包まれている。


 勉学でも、教育を受けているからというだけでない聡明さがルイスにはあった。ルイスは努力家ではある。だが、その努力をそれ以上の結果につなげることの出来る思考力と発想力は、まさしく才能と呼ぶべきであろう。


 そして、目を見張るというほどではないが、見た目もそれなりに整っていた。瞳は淡く黄色味の強い茶色であり、よく琥珀に例えられる色だ。そして、髪の色は黒。ルイスの住んでいるルスカ王国では、黒髪は珍しいものとして重宝される。ましてや、ルイスの黒髪はつやつやと美しい。目の形が多少きついきらいはあったが、人懐っこく微笑むと、それは綺麗に相殺された。


 素晴らしい両親に恵まれ、何不自由なく育ち、生まれもった才能にも容姿にも大して不満はない。そんな自分が恵まれていることは、ルイスは十二分に承知していた。


 だが、それでも……飽いているのだ。


 心のどこかで、何かが違うような気がする。この日常には何かが足りないと、心がわめいている。いや、「足りない」というよりは、「欠落している」。当然あるべきものが、何かないという漠然とした気持ち。


 そして、ルイスが、何が足りないのかとその根源を自分の中に探してみると、それは、寂しさ、だった。満たされているはずなのに、どこか寂しいのだ。


 しかし、それこそ馬鹿らしいとルイスは思わざるをえない。ルイスは両親に愛されていた。ルイスの父親であるスタンレー・カルヴァートは、街へ行くたびに土産を欠かさない。そして、ルイスの母親であるポーラ・カルヴァートは、家を切り盛りしながら、ルイスにちゃんと愛情を注いでくれていた。むしろ、ポーラは少しばかり過保護にすぎるぐらいだ。


 ただ、昔泥だらけになりながら遊んでいた少年たちがよそよそしくなったのは、少しだけ寂しい事実だったのかもしれなかったが。少しずつ世の中のことが分かってくるにつれ、幼友達は少しずつルイスと距離を置くようになった。彼らの母親が、農閑期の小遣い稼ぎとして、カルヴァート家に奉公するのだ。そして、ルイスに敬語を使うのだ。そんな現実を知るにつれ、距離が生まれないわけがない。疎まれたわけではないが、前は遠慮なく殴り合いの喧嘩をしていた相手に、敬語を使われるのは、ルイスにとって嬉しいことではなかった。


 とはいえ、それだけの事実を不幸だとするわけにもいかなかった。仕方のないこととして理解しなければならない。それに、ルイスは11歳になったら、学校に入学をする。全寮制の学校で同じ年頃の子供と一緒に生活をするのは、不安もあるが、それ以上に楽しみでもあった。気の合う友達が出来るだろうか。友人たちと過ごす学園生活に思いをはせれば、少しの寂しさは消えてしまうはずだった。


 そして、屋敷の使用人たちとは、対等な立場というわけにはいかなかったが、そこには確かに温かな絆は存在する。老執事のフィリップは、ルイスが疲かれていると、リラックス効果のあるカモミールを入れてくれる。


 ルイスは、客観的に自分がどうして寂しいなどと思わなければならないのか分からない。それでも。漠然とした寂しさは、確かに存在していた。


 しかし、ルイスは首を振る。


(…俺もまだまだ子供だから…)


 これは、おそらく根拠のない思い込みであるとも、ルイスは思っていた。


 幸せを約束してくれるという花を探しに冒険に出て、様々な冒険の果てに、たどり着いたのは自分の家であったという御伽噺を思い出す。


 己に富や才能などが欠落していると思った人間は、それを求める。そして、全て恵まれている人間は、今度は刺激だとか漠然模糊とした何かを求めだす。それこそが子供じみていると一笑に付して、ルイスは先ほどから休憩していた読書に取り掛かる。


 歴史書の暗記は、家庭教師のマライア・スチュアートに出された課題だ。マライアは、2日前から実家に戻っているが、帰ってきたときこの中から問題を出すからと課題を出された。普段は優しいが、勉学になると別人のように厳しくなる人なので、気を抜けないとルイスは本に目を落としていた。


 そんな中、部屋の扉がノックされた。


「ルイス様、お勉強中のところ、申し訳ありません。旦那様がお呼びです」


 それは、屋敷のメイドの声だった。


「父さんが? 分かった、今行く」


 ルイスは、そう言って、読みかけの本を書き物机の上に置くと、椅子から立ち上がった。





「父上。ルイスです。入りますね」


 ルイスはそう言って応接間に入る。


 わざわざ他人行儀な言い方をするのは、他に客人がいるようだからだ。相手が誰だか、用事を言いつけられたメイドも知らないようだったが、礼儀を欠くわけにはいかないだろう。


 応接間には、飾り棚が置かれ、東の国で作られるという藍色があざやかな陶器の壷が置かれていて、十分に賓客をもてなせる内装になっている。部屋の中央にはテーブルと、その周りに配置されたすわり心地のいい椅子。そこに、2人の人間が座っていた。


 ひとりは、ルイスの父親であるスタンレーだ。スタンレーは、四角い輪郭に短く切った茶色の短髪と同じ色の瞳を持つ、逞しい体躯をした壮年の男であった。美男子といった様子ではないが、やり手の経営者らしく、どっしりとした体格からはそれなりの自信と貫禄が感じられる。


 そしていまひとりは、見知らぬ銀髪の青年であった。


「…ご用件とはなん……」


 『なんですか』と。そう問おうとした先は続かなかった。


 父がもてなしている「客人」の美貌に、ルイスは一瞬目を奪われたのだ。


 高価なガラスを惜しみなく使った窓からふんだんに降り注ぐ日の光をあびて輝くのは美しい銀色の髪。正面からではどれぐらいの長さなのかは分からないが、真っ直ぐなそれを伸ばして後ろで結んでいるようだった。肌は透き通るように白く、長いまつげの間で揺れる瞳はルイスと同じく、琥珀のような色だった。しかし、似たような色彩でも、随分イメージが違う。黒髪の中で明るく光るルイスの瞳に比べ、彼の瞳はどこか神秘的な色を帯びて静かに瞬いている。


 信じられないのは、これほどの美貌を持つ人間が、男性である事実だった。いや、けして彼が女性的なわけではない。体格は適度にしっかりしていたし、座っているのではっきりとは分からないが、平均よりもかなり高身長なはずだ。


 だが、彼の容姿を簡単に表すのなら、「美貌」とか「秀麗」と言った言葉しか似合わないような気がしたのだった。「ハンサム」なんて言葉で表すには、彼の容姿は美しすぎた。


 そして、彼の美貌はどこか硬質だった。顔立ちが整いすぎて、どこか無機物的な印象を抱かせる。その無機質な美貌が、ルイスを見つめて、花がほころぶように微笑む。それが、彼の第一印象を打ち破った。硬質な印象は、柔らかで優しそうな印象へと変ずる。


 しかし、その瞬間、ルイスは何故だかぞっとした。彼の微笑みが、何故か恐ろしかった。


「ルイス? どうかしたのか?」


 突っ立ったままのルイスに、スタンレーは心配の声を上げる。


 それに、ルイスは一気に現実に引き戻されたような気分になる。


 スタンレーは心配そうにルイスを見つめ、男は微笑んだまま首をかしげている。


「あ…。すみません。父上。そちらの方は…?」


 ルイスが非礼をわびてから、改めて男を見た。確かに、容姿は整っている。おそらく、今まで見た誰よりも。だが、それだけで気味が悪いと思うなんて、自分は随分失礼だと思ったのだ。


「ああ…。ルイス、お前の臨時教師となるアルバート・ヘストン先生だ。先生、こちらがルイスです」


 スタンレーに促され、ヘストンと呼ばれた男はルイスに微笑みかけた。


「始めまして。ルイス君」


「…あ。始めまして、ルイス・カルヴァートです……。あの…父上……スチュアート先生は…」


 すぐに帰ることが出来るはずではないかと視線を向けると、スタンレーは苦笑する。


「――それが、スチュアート先生の実家の母親の容態が思いのほか思わしくないとのことで…。介護のためにしばらく暇を出すことになったのだ。スチュアート先生はその間の代理として、ヘストン先生を紹介してくださったのだよ」


 ルイスは、その言葉にとりあえず安堵の息を漏らす。


 マライアの母親の容態が思わしくないというのはいい知らせではないが、何らかの理由で止めたわけではないというのは、ルイスにとって安心する事実だった。厳しい人ではあったが、ルイスはマライアを慕っていたのだ。


「…母親がですか…それは心配ですね……。それでもわざわざ僕の心配をしてくれるなんて、スチュアート先生は相変わらず気遣いの出来る人ですね。それに、ヘストン先生も、突然のことでお困りになったでしょう、ありがとうございます」


 ルイスは、礼儀正しくそう言った。


 そして、疑問に思っていた。アルバートという青年と家庭教師という立場は全く似つかわしくないものに思えたのだった。


 まず、ルスカ王国では家庭教師は、子供の世話役も務めるため女性であることが多い。中流階級出身の独身女性が身を立てるために家庭教師として働くことが多いのだ。そんな常識を持っているルイスから見て、男性家庭教師というものは珍しいとルイスは思った。


 だが、一時的なものだからかもしれないとルイスは思った。ルイスは来年、学校の入学試験を受けなければならない。その時少しでも困らないようにと、マライアは苦心してくれていた。それなのに、この時期に空白が生まれるのは好ましくないと思ったのかもしれなかった。そして、知人のアルバートに無理を言ったのかもしれない。


 だが、マライアとアルバートは一体どのような知り合いなのだろうとルイスは思った。マライアは、30を少し超えた、少しふくよかな女性だ。美しいというわけではなかったが、笑顔が魅力的だった。どこか子供のようなあどけなさすら感じる笑顔は、ふっくらとした頬に現れるえくぼのせいだろうか。


 しかし、マライアの魅力は笑顔だけでなく、彼女がとても勤勉であることだ。中流階級の教養のある女性はたくさんいるだろう。だが、マライアほど歴史や経済に熟知している女性は珍しいに違いない。カルヴァート家で共有している書架は図書室と呼ぶのにはおこがましいが、それでも内輪ではこっそりと図書室と呼んでいる。その図書室を最も熱心に利用するひとりがマライアであった。


 勉強では厳しい女性であったが、それはルイスを思ってのことであるとルイスは理解している。だからこそ、ルイスはマライアを慕っていた。勤勉家であることも尊敬できる条件だ。独身を貫き、自らの足で立っていようとする姿勢は好ましかった。


 しかし、そんなマライアと目の前のアルバートがルイスの中では繋がらない。親戚だろうかと思ったが、容貌にあまりに共通点がなさ過ぎるのだ。


「スチュアートさんは、とても素晴らしい教師であったと聞いております。その代わりが務められるのか緊張しておりますが、どうぞよろしくお願いします」


 ルイスの困惑をよそに、アルバートは緊張などどの口で言うのかというほどに落ち着いた声音でそういい、静かに頭を下げた。

 導入編となります。

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