共産主義と左翼リベラリズムの問題点
米英を中心とした近代資本主義の力学は、第二次世界大戦を通して、封建主義的な日本や国家主義的なドイツを打倒して悪魔化し、結果的に共産主義を資本主義の対抗軸として配置した。社会の部分としての個人や集団の努力がその部分自身の利益に何ら報われないナンセンスを仮想敵だと教えることで、批判を形骸化させ、資本主義が崩壊する可能性を封じたのである。
そのため、中国が共産主義への信奉を維持し、イスラム圏が同等の平等主義を指向していることは遺憾である。なぜならそれは、封建主義を否定する意味で啓蒙主義であり、啓蒙主義は正義を自称する一方で、エゴイズムという邪悪の本源だからだ。現代の「マトリックス」を形成している主要なテーゼは、啓蒙的個人主義が絶対正義であり、第二次世界大戦が悪に対する正義の勝利であったという一点にほかならない。その前提を疑う「レッドピル」だけが、米英を中心とした世界的な金融覇権による支配と搾取の構造に挑戦しうる。
日本の歴史的な国家観は、皇室を中心とする家父長制的な「家族国家主義」であり、そこにおけるテーゼは「御恩と奉公」であった。国難においては対外的にそれが「尊王攘夷」ともなり、共同体の団結を指向して外部からの植民地化と金融的な属国化を、歴史的にはだが、拒絶してきた。
上長が実際には部下を愛しておらず「御恩」の実態がないのに「奉公」のみ一方的に求めるなら搾取であって倫理的に悪である。しかしながら、上長に「御恩」があろうがなかろうが「奉公」という献身性を否定するニヒリズムは、人間の共感性を分断していき、共同体の連帯を破壊する。そしてそれがまさに、「共産主義と左翼リベラリズムの問題点」であり、そもそも啓蒙主義と資本主義がそれらに設定した機能でもある。
近代的な自由市場原理が優れた者ほど地位と幸福で報うというプロパガンダは虚偽であり、実際にはその賭博場は胴元が利益を収奪するために大きくゆがんでいて、すでに持つ人々がより多く獲得し、持たざる人々はいかに優れていてもより多く奪われていくように構造化されている。したがって、経済力と技術力の集積による「力がすなわち正義」であると見なすことは、大多数の幸福ひいては全体の幸福のために不合理であり、したがって格差と資本主義は悪である。その意味で、社会主義は近代を通して常に正しかったし、第二次世界大戦で滅ぼされた日本とドイツは大いに「国家社会主義」の典型であった。しかしそうだから、「国家社会主義」という用語は絶対悪として前提化され、「リベラリズム」という用語が絶対正義として前提化された「マトリックス」で人類は洗脳された。
社会主義は正しいが、それを先鋭化させた理論構造である共産主義は正しくない。経済的な強権主義を非難することは正しいが、まずあらゆる文化的な共同体を抑圧的な権威と見なして大衆的なエゴイズムを扇動する態度は正しくない。大衆性という卑しさは普遍的な悪だからである。理性と制度によって正義と幸福を建設することはできないのであり、人類は、各地に形成されるあらゆる形態の文化的な共同体を相互に尊重しつつ、感情的な共感性を重要な人格的な徳性として貴賤を認めることによってしか全体最適性を防衛できない。人間の人格的な美徳が「平等」であるとは承認できないのであり、自らの欠陥を否認することは多数者にとって最も味の良い果実だ。
人間存在の一生とは、物質的金銭のために動作するか、感情的恩義のために動作するか、二つに一つである。そこにおいて、共産主義だから封建主義より優れているとか、イスラム教徒だから異教徒よりは優れているといった理念は、人間精神の調和と発展を生むためには障害になるだろう。そのため、「共産主義と左翼リベラリズムの問題点」を理解しておくことは必要だ。
例えばアカデミアを中心とした左翼リベラリズムは「神風特攻隊」を決して肯定できない。それはなぜなら、私的な安寧の完全な献身がいかなる条件下でも合理的たりえないという命題が、脳内の主観的な神経学的ユートピアを維持するからだ。すなわち、生者である自己の尊厳が死者よりも劣位ではないという価値観の転倒が、西洋近代の曙であった。その幼稚な甘えは人類の運命を破滅にのみ導くのであって、現実には生者の尊厳が死者に勝る状況はありえず、幸福の尊厳が不幸の尊厳に勝ることは起こりえない。
そして、個人主義に対する否定をすべて権威主義的な悪徳だと共産主義的に前提化するとき、その人はこの真実に到達することが不可能になり、マトリックスに加担する範囲において生涯を終えることになる。こうして文明の近代を理解することが、私達が置かれた今を理解することとなる。邪悪が人民を支配するためには資本主義でも共産主義であっても好ましいが、共感主義ではなく利己主義や物質主義や個人主義でなければ駄目なのだ。安寧を手放せない幼稚な家畜だけが、恐怖で自由に操作できるためであった。




