表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

第2話

進藤拓哉と最初に会ったのは、大学三年の春だった。


友人の紹介で参加した飲み会。

スーツ姿で現れた彼は「仕事終わりで」と笑って、社会人の余裕みたいなものを漂わせていた。

学生だった私には眩しかった。


付き合い始めて半年。「仕事が忙しい」を理由に会えない日が続いても、私は気にしなかった。

社会人は大変なのだ、と思っていたから。


全部嘘だと知ったのは、共通の知人からの何気ない一言だった。


『え、拓哉くん社会人じゃないよ? ずっとフリーターだけど』


フリーターだったことが嫌だったんじゃない。嘘をつかれていたことが、許せなかった。


別れを切り出したとき、彼は言った。


『俺、絶対出世してみせるから。見てろよ』


私が何に傷ついたのか、彼は最後まで分かっていなかった。


(——それが、七年前の話だ)


◇ ◇ ◇


二ヶ月前の再会は、本当に偶然だった。

担当エリアの引き継ぎで訪れたマルヨシストア。会議室で待っていたのが、進藤だった。


『宮地さん? ……結?』


『……拓哉、さん?』


『うわ、マジで? すごい偶然。俺、今ここのエリアマネージャーやってるんだ』


誇らしげな顔だった。

七年かけて証明したかったのだろう。俺はちゃんとした人間になった、と。


(でも、そこじゃない。そこじゃないのだ)


最初は当たり障りのない会話だった。「元気だった?」「お互い頑張ってるね」。

仕事の話に終始して、それ以上踏み込まない——そういう距離感を保てると思っていた。


変わり始めたのは、三週間ほど前からだ。


『今度ご飯でも行こうよ』

『あの頃の話、したいな』

『なんで返信くれないの?』

『避けてる?』


社用携帯に届くメッセージ。

最初は一日一件だったのが、二件になり、三件になり。


仕事の連絡なら無視できない。でも、仕事の話の最後に必ず私的な誘いがつく。

断ると、次の連絡がどこか棘を含むようになる。


(——怖い、と思ったのはいつからだろう)


誰かに相談すればいい。でも、何と言えばいいのか分からなかった。

元カレが取引先にいて、しつこく誘ってくる——言葉にすれば、それだけの話だ。


明確に脅されているわけじゃない。ただ、じわじわと息苦しくなっていく。

気づけばコンビニに寄れなくなっていた。


マルヨシストアの看板を見ると足がすくむ。自社商品が並ぶ棚の前で、動悸がする。

昼休みに「コンビニ寄ってく?」と誘われるたび、曖昧に笑ってごまかした。


最近の昼食は、会社から離れた弁当屋。

遠回りでも、あの見慣れた看板を見なくて済む。


◇ ◇ ◇


「宮地、今日のマルヨシの定例、俺も出るから」


田所課長の声に、心臓が跳ねた。


「……また同席ですか?」


「先月の新商品、初動の数字見たいからな。お前一人でも大丈夫だろうけど」


大丈夫じゃない、とは言えなかった。

商談の日が来るのが、こんなに嫌だったのは初めてだ。

マルヨシストア本部。会議室に入ると、進藤がすでに座っていた。


「お世話になります」


営業スマイル。でも、私を見る目が前と違う。


商談は淡々と進んだ。


田所課長が数字の話をしている間、進藤の視線がちらちらとこちらに向く。

見ないふりをする。資料に目を落とす。それでも、視線が肌に刺さるようだった。


課長は気づいているのかいないのか、いつも通り飄々としている。


「——では、来月の発注数はこの線で」


「ありがとうございます。引き続きよろしくお願いします」


終わった。立ち上がろうとしたとき、進藤が言った。


「あ、宮地さん。ちょっとだけいいですか。先月の販促物の件、確認したいことがあって」


仕事の話だ。断る理由がない。田所課長は「じゃあ俺は先に戻るわ」と言って席を立った。


(——行かないで)


声にならなかった。


会議室に二人きりになる。空気が変わった。

進藤の顔から営業スマイルが消えた。


「なあ、結」


七年前の呼び方。背筋が冷たくなる。


「……進藤さん、確認事項って何ですか」


「そういうのいいからさ。最近、俺のこと避けてるだろ」


「避けてません。仕事が忙しくて」


「嘘つけよ。メッセージ全然返さないじゃん」


「社用携帯に私的な連絡されても困ります」


「俺たち、昔付き合ってたんだぜ? そんな他人行儀にしなくても」


「昔の話です」


立ち上がろうとした腕を掴まれた。心臓が跳ねる。振り払おうとしたけど、思ったより力が強い。


「待てって」


「離してください」


「ちょっと話聞けよ。俺、お前のために頑張ったんだ。七年だぞ。エリアマネージャーまでなったんだぞ。なのになんで——」


「だから、そういうことじゃないって言ってるじゃない」


声が震える。


「嘘ついてたことが嫌だったの。フリーターだったからじゃない。ずっと言ってるのに、なんで分かってくれないの」


「は? じゃあ俺の七年なんだったんだよ」


「知らない。私のためとか言わないで。頼んでない」


「お前——」


「もうやめてよ!」


腕を振り払った。涙が出そうになるのを必死で堪える。


「こういうの、やめて。お願いだから」


進藤の顔が歪んだ。


「……分かったよ」


低い声だった。分かった、と言いながら、その目は何も納得していない。


「今日は帰る。でも、また話そう。な?」


返事をしなかった。進藤は舌打ちを一つ残して、会議室を出ていった。


一人になって、ようやく息ができた。


少しだけ時間を置いて、私も会議室を出る。廊下を歩いて、エレベーターホールに向かう。


田所課長が、まだそこにいた。


鼻歌混じりでスマホを見ている。私に気づいて顔を上げた。


「おう、終わったか。帰って資料まとめるぞ」


「……はい」


エレベーターが来て、二人で乗り込む。課長は相変わらず鼻歌を歌っている。何の曲かは分からない。


ぐったりと疲れていた。でも、一人じゃないことが少しだけ楽だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ