表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

第1話

「宮地、おい宮地 結(みやじ ゆい)。顔色悪いぞ。ちゃんと飯食ってるか」


朝、デスクについた途端これだ。田所課長が湯気の立つ缶コーヒーを押し付けてくる。


「……課長、それパワハラですよ」


「何がだよ」


「プライベートへの過度な干渉。研修で習いませんでした?」


「干渉じゃない、心配だ」


「その境界が曖昧なのが問題なんですって」


田所課長は「はあ」と大げさにため息をついた。


「最近はコンプライアンスだかが厳しくなって、息苦しいねえ。缶コーヒーも渡せない時代か」


「渡すのはいいんですよ。『顔色悪い』『飯食え』がセットでついてくるのが問題なんです」


「お前のためを思って——」


「その言い方が一番アウトです。女子社員に『お前』呼びも微妙ですからね」


課長は降参とばかりに両手を上げて、自分の席に戻っていった。


量販営業部CVS課。田所誠司課長は、この部署の名物のような存在だ。

五十五歳。仕事はできる。面倒見もいい。

ただ、その面倒見の良さが、時代とズレ始めている。


正直なところ、私は嫌いじゃない。缶コーヒーだって、ありがたく飲む。


ただ「これパワハラの定義に当てはまりますよね?」と言いたくなる瞬間が、一日に三回くらいある。


「宮地さん、大丈夫ですか?」


後輩の大垣祥子が、心配そうな顔でこちらを見ていた。


「何が?」


「いや、課長、朝からグイグイだったなって……」


「ああ、いつものことだよ」


「いつもなんですか……?」


「大垣も気をつけなよ。課長、たぶん悪気ないから余計タチ悪いんだよね」


大垣は「ですよね……」と微妙な顔をした。


「私この前、『お前は愛想がいいから営業向きだ』って言われたんですけど……。あれもギリギリアウトですよね……」


「うーん、褒めてるつもりなんだろうけどね」


「『女の子は愛想が大事だからな』って続いたんですよ」


「……それはちょっとアウト寄りかな」


「ですよねえ……」


大垣は関西出身の二十六歳。私の2つ下。

愚痴っぽく言いながらも、本気で嫌がっているわけではなさそうだ。


この部署に来て一年、田所課長の扱いにも慣れてきたらしい。


慣れていいのかどうかは、また別の問題だけど。


「宮地、今日の午後のマルヨシストアの商談、俺も同席するから」


課長の声が飛んできた。


「え、課長がですか?」


「新商品の初回発注、でかい話になりそうだからな。

 お前一人に任せきりも悪い」


「……ありがとうございます」


素直に助かる。

マルヨシストアはうちの主力取引先の一つで、担当エリアのエリアマネージャーが窓口になっている。


(——そのエリアマネージャーが、過去に会った顔だったのは、本当に偶然だった)


◇ ◇ ◇


午後。マルヨシストア本部の会議室。


「お世話になっております。本日は課長さんにもお越しいただいて」


エリアマネージャーの進藤が、営業スマイルで私たちを迎えた。

三十二歳。若くしてこのポジションに就いたやり手——という評判らしい。


「いえいえ、いつも宮地がお世話になってます」


田所課長も穏やかに挨拶を返す。


商談は滞りなく進んだ。

新商品の提案、販促プランの説明、初回発注数の交渉。


進藤はあくまで感じのいい取引先の担当者で、私たちはあくまで感じのいい営業チーム。


何も、問題はなかった。


「ありがとうございました。引き続きよろしくお願いします」


「こちらこそ。また来月の定例でお会いしましょう」


名刺交換の延長のような、穏やかな別れ際。課長と二人、ビルを出る。


何も、起きていない。


◇ ◇ ◇


「お前、最近弁当屋ばっか行ってない?」


帰り道、唐突に課長が言った。


「……え?」


「前はコンビニで昼済ませてたろ。どうした、飽きたか?」


「いや、別に……最近あの弁当屋のチキン南蛮が美味しくて」


「ふうん」


それ以上は何も聞かれなかった。


(——また始まった。プライベートへの干渉。今度は昼食の取り方か)


でも、なぜか今日は「パワハラですよ」と返す気になれなかった。


会社の最寄り駅で課長と別れ、一人で電車に乗る。


社用携帯が震えた。


画面に表示された名前を見て、息が止まる。


『今日の打ち合わせの件、ちょっと確認したいことあるんだけど。

 明日の夜空いてる?

 前も言ったけど、たまには関係なくご飯くらい行こうよ。

 いつまでも返事くれないと俺も困るんだけど』


(——またか)


画面を伏せて、見なかったことにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ