3 月が二つの夜
月の光に結ばれた文を織姫が直ちに受け取ったかどうかは分かる訳では無かったけれど、織姫の肩を持ったのはそれほど悪い事だったのか?天帝は潔癖過ぎる。と反発した輝夜は天の民の多数から見れば異端児だったのか?。清廉潔白でなければいけないのかも知れないけれど、月の生活は何も感じず嬉しいも哀しいもない、凪の心持ちでただ生きているだけの……
皆んなで居るのに孤独なそんな生活は地の生活より息が詰まった。
月にいた頃織姫が人間と恋仲になったと聞いた時に輝夜の凪の心に一雫の波紋が広がったのだ。
人への侮蔑を口にする天帝に反発して、織姫の恋が上手く行くように手を貸して居たらそれが全てバレて、天帝が嫌う地へ追われた。
天帝の計画では地で穢れた人間と暮らすことで輝夜の考えを修正し、充分反省したところで輝夜から謝罪の言葉でも聞こうと思っていたのだろう。
「そんなことしないわ。なんなら天帝が諦める程に穢れてやろうかしら」
輝夜は血肉は流石に食べる事はまだ、抵抗があって出来なかったが天の民なら眉を顰める大地の恵、大豆や米などを口にした。そうするとその生命力を吸収してか風に吹かれれば浮き上がりそうだった身体を地にしっかり重さを持って立たせてくれた。
その頃になると天帝が臍を曲げているのか仕送りの財宝が随分と減った。生活出来ない訳ではないがお爺さんもお婆さんもせっせと働いていて、過剰ではないけれど輝夜がひもじい思いをしないように、と今日のような雨の日でも仕事に精を出していた。輝夜は雨の日くらいはもう少し、濡れた庭石を見ながら雅にゆっくり歌でも一緒に詠みたい。その辺りの芸術的な知識も欲しいし、無理はしてほしくない。
「お婆さん、雨が上がったら一緒に街へ行って糸を買えるだけ買って下さい」
織姫よりは上手ではないが、姉の機織りを側で見て育った輝夜はそれなりに機が織れる。
「輝夜は何を織るの?」
楽しみにしていて、と雨上がりの街へ一緒に糸を見に行った。お爺さんの新しい履き物を一つと糸を持てるだけ買って帰った。今までは輝夜が買って貰ってばかりでそれになんとも思わなかったのに、お爺さんの履き物を買った時に、お爺さんが喜ぶ顔が目に浮かびなんとも言えない心が温かくなる感覚がした。
「輝夜、なんだか最近表情が明るくなったわね」
茶屋で一休みしていたらお婆さんはにこにこと笑いながらそう言った。
「そうね私はお婆さんやお爺さんにたくさんの事を教えてもらいましたもの。毎日が楽しくて」
そう言ってお茶に口をつけると輝夜の竹炭の白粉が少し剥げた。途端に周りからの視線が刺さる。まずい。
「そこな女御……」
粗暴な佇まいの男が声を掛けて来た瞬間、輝夜はぬかるんだ水溜りに走り出し飛び込んだ。
「殿方、大物ですよ。塩焼きにしたら美味しいでしょうね。差し上げましょうか?」
顔から泥に突っ込んで必死で掴んだガマガエルを男の顔の前へ差し出し手を掴みカエルを握らせて怯んだ隙にお婆さんの手を引いて雑踏へ紛れた。
「輝夜……あなた本当にそんな……」
お婆さんは目を回しそうに驚いていたけれど、民衆から目を引く姿を誤魔化せた輝夜は大成功とカラカラと笑いながら
「お爺さんには秘密にしていてね」
と屋敷へと続く道を歩いた。
屋敷に戻るとお爺さんが帰って来ていて、新しい履き物をいたく喜んでくれた。昨日の雨で古い履き物が随分と傷んでいて、丁度良かった。お爺さんも輝夜の買い込んだ糸に首を傾げていたけれど、輝夜はその夜から月の光を僅かに糸と紡いで錦を織り始めそしてそれをお婆さんの作品として街で売った。
天の者が織った錦は出来が良く飛ぶように売れ、ちょっとした評判になり、雨の日は庭を眺めながら歌を詠む余裕が出来た。
そんなある日、月を見て歌を詠もうと初夏の星空を見上げた時、月の光の一つに文が引っかかっているのに気がついた。
『輝夜、貴方のお陰で私達は引き離されず地と天を行き来できるようになったわ。ありがとう。
ところで貴方は気づいているかしら?私達の住む天の月ともう一つ月が空にある事を。月の反対側を見てみて?あれはなにかしら?貴方は知っている?
それじゃ今度地へ訪れた際は顔を見せるわね』
天の川が出来ていない。織姫は上手くやったのだ。
もう一つの月なんて本当かしら。そう思って視線を月の対極へ向ける。
本当だ。
そこに、月がもう一つあった。




