俺と私
画面には、静かな室内。
樹と朝倉、並んで座ってる。照明は控えめで、ゆるくジャズが流れてる。
「……一人称って、さ」
朝倉がふと、話を切り出す。
「ん?」
「日本語って、面白いよなって。俺、私、僕、うち、わし、とか……それだけでキャラ出るっていうか」
「……あー、わかる。初めて話す人が『私』か『俺』かで、ちょっと距離感違うよな」
「うん。でさ、結構、悩んでたんだよな、それ。俺」
樹が目線を向ける。
「一人称、今の“俺”じゃなくてもよかったってこと?」
朝倉は少し笑って、うなずく。
「俺って言ってるけどさ……本当は“私”の方がしっくりくる」
コメント欄に一瞬、「えっ」という空気が流れる。
《え?》
《朝倉くん“私”の方がしっくりくるの?》
《ちょっと意外……》
《でも言われてみれば似合う気もする》
「なんか、口にしてても、“俺”ってちょっと違和感あるっていうか。(……まあ、前世、女だったからな、ってのもあるけど)」
「最初は、私って言ってたんだよ。幼稚園のころまでかな。でも、小学校入ると、男で“私”って言うと、変って言われる」
「……ああ、まあ、あるかもな。まだそういう文化、残ってるもんな」
「子どもって、そういうの、まっすぐ言うからさ。からかわれるのも、嫌だったし。“俺”にしたんだ。強そうに聞こえるし、楽だったから」
「……それが、染みついちゃった?」
「うん。もう、“俺”が普通になって、私に戻すタイミング、完全に失った」
コメント欄:
《うわ、あるある……》
《男子で“私”って言うの難しいよね》
《戻すタイミングなくすの、わかる……》
《朝倉くんの“俺”も好きだけど“私”も聴いてみたい》
《しっくりくる一人称があるのに言えないのつらいな……》
「“私”って、やっぱり落ち着くんだよな。頭の中では、ずっとそっちで考えてる。口にするのは“俺”だけど」
樹が小さく笑った。
「お前さ、ほんと、声のトーンも柔らかいし、雰囲気も“私”のほうが合ってるかもな」
「……言ってみようか?」
「お、試してみる?」
「……私、ね。……私」
ぽつりと発したその一言は、思ってたよりも自然だった。
朝倉も自分で「あ、やっぱりこっちのほうがしっくりくるかも」と微笑む。
「なぁ、俺が『私』って呼び始めたら、変かな。配信でも、普段でも」
樹は軽く首を傾げる。
「変とは思わんけどな。ただ、キャラが柔らかく見えるとは思う。配信って、ある程度イメージで見られるし」
「そうなんだよな。たぶん、みんなの中では“朝倉=俺”で定着してるだろうし。いきなり“私”になると、違和感あるよな」
コメント欄:
《急に“私”になったらドキッとするかも》
《けど、それもまたギャップでいい》
《朝倉くんが言いたいように言えばいいよ》
《前世のことまで含めて考えてるの、なんかじーんとくるな……》
朝倉は、マグカップを手にして、そっと口をつける。
「……戻すタイミングって、ほんと難しいよな」
「無理に戻す必要もないけど、言いたい言葉があるなら、使えばいいんじゃないか? 配信でもリアルでも」
「……うん、ありがとな。……樹」
コメント欄:
《なんか、めっちゃいい話だった……》
《一人称ってただの言葉なのに、重いんだよね……》
《朝倉くんの“私”、また聞きたいな》
《樹さんの言葉、ほんと支えだな……》
《静かな夜のこういう話、めっちゃ沁みる》
夜の配信はそのまま、少しセンチメンタルなまま続いていく。
画面の中で、朝倉はふと、柔らかく笑った。
「……じゃあ今日は、私で、終わるよ」