金曜日の夜ご飯①
金曜日の夕暮れ。校門を出た透は制服の上にパーカーを羽織り、トートバッグを片手にスーパーへと足を運ぶ。レジ袋には、冷凍うどん、豚バラ、豆腐、ネギ、卵、そして樹の好物であるレトルトのミートソース──今日はもうそれで済ませる予定だ。
買い物を終えたあと、透はいつものようにマンションのオートロックを抜け、エレベーターで最上階へ。扉の前に立つと、ノックもインターホンも押さず、そっとドアノブに手をかけた。
──カチャ。
「いらっしゃい、透」
中から現れたのは、長めの髪を後ろで一つにまとめた、白Tシャツ姿の男──樹。
「うん。ただいま、樹」
そう言って、透はすぐさま一歩近づき、すっと両腕を伸ばす。
「ギュッ、していい?」
「……ああ」
許可を得た透は、腕を回してその体に頬を寄せる。ぎゅっと強めに抱きしめると、まずは手の甲に軽く口づけを落とし、額に、そして鼻先にもひとつ。
そのキスは、優しくて、どこか名残惜しげで、ほんの少しだけ長い。
──それが、恋とそれ以外の違いだと、透は自分だけでわかっている。
「……樹は、今日も散らかした?」
「いや、あー……ちょっとだけ。配信詰まっててな……」
「見ればわかる」
透は無表情でそう言いながら、部屋に入るなり玄関にレジ袋を置き、リビングへと進む。そこには、りナドリの空き缶がテーブルに散乱し、ビールの缶も隅の方に何本か転がっていた。
「やっぱり……また汚したな」
「……すまん」
透は無言でゴミ袋を取り出し、片付けを始める。その手際は慣れていて、まるで自分の部屋のような遠慮のなさがあった。
15分後、部屋は見違えるように整い、透はエプロンを取り出してキッチンに立つ。湯を沸かし、豚バラとネギを切り、卵を溶く。鍋にだしを入れて、うどんを泳がせる。
「今日の飯、簡単でいい?」
「簡単でいい。透が作るなら何でもうまい」
その言葉に透はちらりとだけ樹を見て、小さくふわりと笑った。
「……じゃあ、手を洗って待ってて」
「了解」
ふたりの時間は、特別に劇的ではない。けれど、透にとっては毎週金曜日が、小さなご褒美のようだった。
──恋愛感情を胸にしまいながら、触れられる幸せ。
──今だけでも、こうして隣にいられる幸運。
キスの回数を、樹は数えていない。
でも透は、ちゃんとわかっている。
“好き”の温度が、他と違うことを。
そして今日もまた、何も知らない樹に、そっと恋を深めていく。