樹はイイオトコ
「……着てみて」
朝倉が差し出してきたのは、ダークネイビーの艶感あるスーツ。シルエットもサイズも俺ぴったり。
……っていうかこれ、オーダーじゃない?朝倉、お前また勝手に仕立てただろ。
「……俺、別にこういうの似合わないって」
「樹が似合わないわけないだろ? いいから脱げ。あとシャワー浴びてこい」
「な、なんでシャワー……?」
「俺が髪セットする」
言い切られてしまった。
朝倉の目は真剣。いや、真剣すぎて怖いくらい。もしかして、何かの撮影か?ってくらいの本気度。
言われるがままシャワーを浴びて戻ると、朝倉はすでにスーツ一式をハンガーから外して待っていた。
自分も、やけにドレッシーな服装。黒地にゴールドの刺繍が入ったジャケット、アクセサリーがきらきらしてる。
リップはいつもの真紅よりも深め、そして前髪を流したヘアスタイル。どっからどう見ても、夜の街で一番人気のホストかその幹部。
「……お前、なんの店にいた?」
「任せろ。夜の街のお姉様方に、“イイオトコの仕立て方”をちゃんと学んできたからな」
「なんで学ぶ必要あったの」
「お前が、俺の“隣に立つ”にはイイオトコであるべきだから」
さらっと、恐ろしいことを言う。
目が本気。スーツを着せられ、ネクタイを巻かれ、髪をドライヤーと整髪料で整えられ――
「……あ、ちょっとこっち向いて」
「こう?」
「……ん。睫毛が長い。上げると色気出るな」
ホットビューラーでまつ毛まで調整されたとき、俺は完全に諦めた。
朝倉のこのモードに入ったら、もう逆らえない。
数十分後。姿見の前に立たされた俺が、思わず声を漏らす。
「……マジで、俺?」
そこには、見たことない自分がいた。
髪は軽く流され、表情もすっきりして見える。スーツのラインが体をシャープに見せてて――確かに、悪くない。
「……やればできるんだよ、樹は」
朝倉が隣に来て、腕を絡めてくる。
香水の香りが近い。ひんやりした指が手の甲に触れる。
「どう? 俺の連れてる男、悪くないだろ?」
「……お前、自分の彼氏のこと“連れてる”とか言うな」
「お姉様方に教わった。“オトコは連れて歩け”って。ほら、“愛人っぽい雰囲気を出す”と、男が映えるんだって」
「俺は本命彼氏だが?」
「ふふ、知ってるよ」
そのまま朝倉は俺の腕を引いて、鏡の前でツーショットになるように立った。
黒いスーツの男と、金刺繍の美少年。
色気も貫禄も、どっちもある。まるで映画のワンシーンみたいだ。
「……自分がこういうの、似合うと思わなかった」
「似合うよ。俺が保証する。お前、目が綺麗だし、輪郭もいいし……首も、ちゃんと細い」
「首……?」
「スーツは、首筋が色っぽいかどうかで決まるって。……俺は前から、お前の首、好きだったけどな」
平然と、そんなことを言ってくる。
顔は変わらないのに、声だけは妙に優しくて甘くて、たちが悪い。
俺が少し黙ると、朝倉がすっと横目で見てきた。
「赤くなった?」
「なってねぇ」
「なってる」
「……お前、ほんと……」
「なに?」
「……似合ってるよ、お前も」
一瞬、朝倉の目がまるくなった。
そして、少しだけ唇の端が動いた。笑ってるんだ、たぶん。あいつなりに。
「じゃあ今日は俺がエスコートしてやる。大丈夫、俺、歩き方も学んできた」
「どこで?」
「新宿のクラブのママに」
「お前どこまで修行してんだよ」
「推しのためだから」
さらっと、まるで当然のように。
俺の恋人が、今こうして俺の隣で、俺のために最高の見栄えを作ってくれてる。
……これ以上の幸せ、あるか?
たまには、こういう日があってもいいか――と、鏡に映る“イイオトコ”な自分をもう一度眺めて、俺は小さく息を吐いた。