リスカ?
朝倉が風呂から上がって、バスタオルの上にどさっと座り込んだ。
濡れた髪をラフにまとめ直して、いつものように無表情――でも、なんとなく機嫌がいいのはわかる。
俺はというと、何気なく視線を滑らせて、ふと気づいた。
「あれ……お前、手首どうした?」
朝倉の左手。ちょうど手首の内側に、小さな絆創膏が貼られていた。
いや、小さくはない。意外と面積がある、しかも、柄が妙にポップ。
ハート。うさぎ。ピンク。……なんか、やたら可愛い。
でも、それよりも先に、俺の頭に浮かんだのは最悪の想像だった。
「……え?」
「それ、いつから?」
「今日の夕方。……あ、ごめん、心配かけるつもりじゃなくて」
朝倉はごく普通のトーンでそう言った。
だが、その声に安心する前に、俺の中で何かが引っかかった。
今日の夕方。
ちょうど俺が外で打ち合わせしてる時間。
「……なぁ。あのさ。変な話するけど」
朝倉は首をかしげた。まっすぐな目で、こちらを見る。
「……お前、そういうこと、してないよな?」
数秒、沈黙。
そして、ぽつり。
「……リストカット、ってこと?」
喉が引きつるような感覚。
だけど朝倉は、何か理解したように、ほんの少し目を細めた。苦笑、ではない。……どちらかというと、呆れているような目。
「……違うよ。まさか」
「……ほんとか」
「ほんと。俺、包丁は得意でもピーラーは苦手なんだ。にんじんの皮むいてて、滑って、がりっとやった」
右手でジェスチャーをしながら、左手の絆創膏をちらっと見せる。
そのまま、指の先をすこし曲げてみせた。
「関節のあたりだったから、ちょっと血が出たけど、浅い。心配いらない」
「……ってか、絆創膏。なんでこんな……」
「ふふっ、可愛いだろ?」
無表情のまま、自分の手首を見下ろして言った朝倉。
けれどその声は明らかに上機嫌で、ちょっとだけ得意げで、なんだかずるい。
「この前、ちまちゃんにもらった。『あさくんに似合いそうなやつ見つけた!』って。せっかくだから使った」
「いや、まぁ……うん……うさぎ柄が似合う180cm男子ってどうなんだよ」
「俺に似合う、ってことはそういうことなんだろ」
いつもの淡々とした返しだけど、俺にはわかる。
朝倉は、心配されたことにちょっと照れてる。たぶん、俺に心配させたことが、ちょっとだけ嬉しかったんだろう。
俺は黙って、朝倉の手を取った。
「ん」
手のひらはあたたかい。
傷は本当に小さくて、触れると逆にこっちが緊張するような感じだった。
「……なあ、朝倉」
「なに」
「今度から、ちゃんと報告しろよ。手切ったとか、そういうの。……誤解するような場所に絆創膏貼るな」
「了解」
それだけ言うと、朝倉は俺の手に自分の手を重ねて、そっと握った。
いつもみたいに、許可を求めるような目線はなかった。最初から、これは“安心させるためのハグ”と同じ分類だって、分かってたんだと思う。
「……心配させて、ごめん。でも、心配してくれてありがとう」
低くて、淡々とした声。
でも。
ちゃんと届いてた。
朝倉は、生きるのが上手なタイプじゃないけど、誰よりもちゃんと生きてる。俺のそばで、ちゃんと“痛みを避けてくれてる”。
俺は、朝倉の手の甲に、軽く唇を落とした。
「……柄付きの絆創膏、常備しとくか」
「選んでくれてもいいよ。今度、一緒に買いに行く?」
「……おう」
なんだよそれ。
可愛いかよ。
って、言ったらきっと黙るだろうから、今日は心の中だけで呟いた。