風呂キャス
「……ん、始まってる?」
樹のくぐもった声が、ぽちゃんと跳ねたお湯の音に重なる。スマホ越しに聞こえる環境音は、水のゆらぎと、遠くで鳴る換気扇の音。リスナーたちがそれだけで察するのに時間はかからなかった。
《え?風呂?》《え?????》《誰かひとりで入ってるって言った?ふたり???》
「こんばんは。樹です。今日は……まあ、なんというか、“風呂キャス”です」
「……朝倉もいる。入ってる。こんばんは」
低く落ち着いた朝倉の声が響く。すこし熱を含んで、いつもよりゆっくり。まるで湯気のなかでとろけるみたいなトーン。リスナーはすぐさま騒ぎ出した。
《やっぱりふたりで!?》《音だけでしぬ》《待って無理》《お湯の音エロすぎるだろ……!》
「今日はなんか、ふたりして珍しくゆっくりしてる。久しぶりにさ、何もない夜でさ。配信もする予定なかったんだけど、風呂入りながらキャスでもすっかーってなって」
「……本当に何も考えてない。ただ、湯に浸かってるだけ。音しかないし、見えないし、好きに想像してていい」
「あ、そういうこと言うと、リスナー暴走するぞ」
「別にいい。現実が一番甘いし」
「……こいつめ……」
お湯の音が、ざばぁ、と大きくなった。たぶん、朝倉が体勢を変えたのだろう。水面を揺らすたびに、微かな水音と、ふたりの息遣いがマイクを通して届く。
「……あ、背中流してくれたときのお湯、まだあったかいな」
「お前が無防備だから、泡ついたまま寝そうになってただろ。そっちのが危ねぇわ」
「それは、……お前の手が気持ちよかったせいでもある」
「おい」
《おい》《おい》《おい》
《リスナーの呼吸困難なってるけど??》《えっちじゃないですか!?》《合法お風呂彼氏すぎる》
「……ふふ、やっぱり騒いでる。俺たちのこと、本当に好きだよな」
「うん。でも、それがうれしい」
静かにお湯がまた揺れて、湯船の中で動いた気配。ふたりが寄り添ったか、肩を預け合ったのか。見えない分、余計に想像が膨らむ。
「……なあ、朝倉。明日もこうやって、のんびりできたらいいな」
「できる。……俺が、お前の時間を確保する。命懸けで」
「おいおい、お前はマネージャーか何かかよ……」
「違う。ただの、……恋人」
「…………」
静かに笑い声が混ざって、それから、湯の音がやさしく響いた。
《は????》《この時間、神……》《寝る前に聞くのやばい》《なんだこの供給》《ふたりが幸せなら何でもいい……》
「……そろそろ、あがるか」
「そうだな。あ、でも……」
「?」
「配信、切ってからにしないと。俺、……出るとこ見られたくないから」
「音声しかねえよ?」
「でも、想像する奴はいるだろ? だから切る」
「あー……はいはい、朝倉さん乙女ですねー」
「……お前の前だけな」
ぷつ、と音声が途切れるその直前、ふたりの笑い声だけが最後に残った。