握手会
俺の手を握るファンの手は、ひとりひとり、みんな違う。
小さく震えている手、ぎゅっと力のこもった手、勇気を振り絞ってくれたのが分かるような手――それを握り返して、少しだけ言葉を交わす。それだけの時間だけど、俺は好きだ。この一瞬を大事にしようとしてくれる気持ちが、全部伝わってくるから。
「応援してます! 配信も、歌も!」
「ありがとう。また配信で会おうな」
列は順調に流れ、笑顔とありがとうが繰り返されていく。少し疲れは出てきたけど、それでもまだいける。まだ、ちゃんと向き合える。
そう思っていた、そのとき。
次の番のファンを見て、俺はほんのわずかに目を細めた。
派手な赤いジャージに、ゴツめのスニーカー。髪は三つ編みとハイライトが混じってて、メイクはデパコス全開のツヤ肌、目元はキラキラに盛って、頬にはハートのシール。
男だった。
けど、見覚えのある輪郭。立ち方。空気。表情の作り方。
……なんか、見たことある。
というか、めちゃくちゃ見慣れてる。
「……お前、もしかして……朝倉か?」
俺がぼそっとそう言うと、派手ファンはふっと笑った。
「よく分かったな。やっぱ目、鋭いな、樹は」
「マジで来たのかよ……!」
驚いたっていうより、呆れたような、笑ったような、そういう声が自然に出た。
朝倉――俺の恋人で、配信でもよく一緒にいる朝倉が、バリバリの“変装”をかまして、ここに並んでいた。
「チケット当たったからな。俺も、ちゃんとファンだし。……握手、してくれんだろ?」
俺は一瞬言葉を失ったけど、目の前の朝倉は、恥ずかしがるどころか、どこか誇らしげな顔をしていた。
「もちろん、自腹で買ったからな。公平に」
「律儀かよ……」
握手を求められて、仕方なくというか、当然というか、その手を握る。
小さな手じゃない。でも、やっぱり朝倉の手だった。すぐ分かった。
「……ずっと、会いたかった」
「俺、毎日会ってんだけど?」
「それとこれとは別。今日は“ファンとして”だからな」
小さく笑う声が、俺だけに聞こえるような音量で落ちる。
そのやり取りを見ていた後ろのファンの子たちがざわついた。
「えっ!? 朝倉くん!? え、マジ!?」「え、やば、めっちゃ可愛いんだけど」「変装して来たとか……尊い……」
「あれ……ホントに朝倉さんじゃね?」「写真撮っちゃダメかな……やばい、心臓が……」
あっという間に広がる気配。
スタッフが気を利かせて、軽く周囲をカバーしてくれる中、朝倉は「ご迷惑おかけしました」と一礼し、すっとその場を離れようとする。
けれど俺は、ぎゅっと手を離さなかった。
「……嬉しかった、ありがとな。俺にとって、お前がファンでいてくれるのは、特別だ」
「……俺にとっては、推しであり、人生だからな」
小声で囁いて、朝倉は本当に嬉しそうに目を細めた。
その笑顔が、あまりに幸せそうで、俺は胸がちょっと痛くなる。
手を離して、次のファンに視線を戻す前に――思わず口を開いた。
「……お前がいるから、このチャンネルも、俺も続けられてんだ。ありがとな、朝倉」
それに対して、背を向けつつも振り返りもせず、朝倉は一言だけ置いていった。
「当然だ。お前の“いちばん”が、俺だからな」
その言葉と一緒に、ハートのシールがきらりと光った。
一瞬だけ、視界がじんわりと熱くなったけど――まあ、それも悪くないって思った。