家族お揃い
* * *
やり直し前には参加しなかった建国祭の舞踏会。その招待状を受け取って一週間が経った。
めまぐるしい日々だったけれど、すでにマナーと家名は覚えていたため、その点では苦労はなかった。
「もう覚えたの? ふん、まあまあね……」
「ありがとうございます、伯母様」
「私たちも建国祭の準備で忙しいの。あとは、自分で練習なさい」
「はい、かしこまりました」
やり直し前は公式の場に出してもらえることはほとんどなかった。
それを差し引いても、今の私は十二歳としては十分すぎる教養とマナーを身につけているだろう。
伯母のバルバローザは、何も知らない私をあざ笑おうとしていたようだけれど、従姉妹のルシネーゼより何もかもできるので悔しげに退散してしまった。
* * *
そして、建国祭の舞踏会当日になった。
今は義兄が準備を終えるのを待ちながら、エントランスホールで父と王国内の主要な貴族の名を復習している。
「もう全ての家名を覚えたのか……うちの娘が天才すぎる」
「お父様、大げさです」
「そんなことはない! 僕だって全て覚えるのには二週間はかかった。……なあ、シルヴィスもそう思うだろう?」
「――そうですね。優秀だと思います」
この場にいないと思っていた義兄の言葉に驚きを隠せず振り返る。
準備を整えてエントランスホールに現れた義兄は光り輝くようだった。
白地にヴェルディナード侯爵家の紋章である金色のつる薔薇の刺繍、そして淡い紫色の宝石があしらわれた正装に身を包んだ義兄は星のように煌めいている。
「……いや、シルヴィスは三日で覚えたか」
「父上の教え方がわかりやすかったのですよ」
「そ……そうかな」
義兄に褒められてまんざらでもなさそうな父は、黒地に兄とお揃いの金色のつる薔薇の刺繍、そして淡い紫色の宝石があしらわれた正装姿だ。
(お揃いね……二人ともものすごい美形だから、周囲がきらびやかに輝いて見えるようだわ)
二人から視線を外して密かにため息をつく。この王国には主要な家名だけでも百以上あるのだ。それに、家名に加えて領地の名産品、文化、派閥……覚えなくてはいけないことは山ほどある。
(私の記憶力はお父様やお義兄様と違ってごく普通だから、やり直し前に覚えたときには一月かかったわ……。お父様もすごいけれど、お義兄様の記憶力が良すぎる)
義兄は王立学園を次席で卒業、文武両道でしかも容姿端麗なのだ。
非の打ち所がない……それが私にとっての義兄だった。
(がんばれば認めてもらえるのではないかと、努力したけれど)
それだけでなく、覚えられなければ伯母に鞭で叩かれたり、食事を抜かれたり、使っていない真っ暗な部屋に閉じ込められたりはざらだった。
結果として、十八歳になったころには、生まれたときから貴族令嬢だったような振る舞いができるようになっていた。
(まあ、できたとしても生意気だと言われてしまって待遇は変わらなかったし、家で使用人のようにこき使われてまともなドレスすらなかったから他家との交流もできなかった。それにお義兄様が私に少しも興味を持たないことも何一つ変わらなかった……)
もう一度ため息をついて、ドレスにそっと触れる。
滑らかな手触りから、生地が最高級の物であることがわかる。
(準備期間が一週間しかなかったから、オーダーメイドのドレスは間に合わないと思ったのに……)
少しだけ紫がかった淡いピンク色のドレスには、金色のビーズでつる薔薇が刺繍されている。
刺繍はあらかじめ準備されていたのだろう。いや、すでに三日前にはサイズを微調整する段階だった。このドレスは、あらかじめ用意されていたのだ。
(――初めて見るドレスだわ)
本来であれば、私が初めて建国祭の舞踏会に参加するのは一年後のはずだ。
公式の場に参加するのが初めてだった私は、緊張してしまいたくさん失敗した。
あのとき父が用意してくれたピンク色の可愛らしいドレスは、従姉妹のルシネーゼにジュースをこぼされて台無しにされてしまった。
あのときのドレスよりも明らかに上質な品だ……。輝くビーズも隣国の最高級品に違いない。それに、ビーズ刺繍は繊細で豪華、熟練の職人によるものだろう。
「そういえば、家族お揃いになったね」
「素敵なドレスを用意してくださって、ありがとうございます」
「あー、うん。……どういたしまして」
父の返事が妙に煮え切らないな、と疑問に思いつつエスコートのために差し出された手に自分の手を重ねる。父の手は温かくて記憶にあるとおりだ。
「披露式では挨拶回りで一緒にいられなかったから、今日こそファーストダンスは僕と踊ろう?」
「はい、嬉しいです……ぎゃ!?」
そのとき、グイッと引き寄せられ貴族令嬢らしくない悲鳴を上げてしまった。
驚いて顔を上げると、なぜか私を引き寄せた義兄と目が合う。
「父上、申し訳ありませんがファーストダンスはおゆずりできません」
「えっ……いつのまに二人はそんな関係に」
「――お父様!?」
「……ご冗談を。父上が陛下に願い出てまでアイリスをヴェルディナード侯爵家の長女として受け入れたことは、すでに貴族界に知れ渡っています。兄妹仲も良いことを知らしめたほうが、アイリスの今後のためになるでしょう」
「一理あるかもしれないが……」
義兄が言うことは正しいように聞こえる。
(そう、その言葉があまりにお義兄様らしくないことを知っているのは、この場で私しかいない)
「仕方ない、僕は二番目の男でも構わないよ」
「お父様……!」
恭しく手の甲に口づけをする振りをして父が微笑んだ。
なぜか義兄は軽く眉根を寄せて私のことを見つめていた。
けれど、その表情はほんの一瞬だった。私から距離を取った義兄は、すでによそ行きの表情を浮かべていた。
(ひどく思い詰めているように見えたのは、きっと気のせいね……)
ファーストダンスは幼いころは家族と、恋人や婚約者ができてからはその相手と踊るのが一般的だ。
けれどやり直し前、義兄とはファーストダンスどころか一緒に踊ったことすらない。婚約者だった期間すら……。
ヴェルディナード侯爵領は、王都からはさほど遠くない。
とはいえ、やはり長時間馬車に揺られることになる。
(それにしても私は、なぜお義兄様と並んで座っているのかしら)
緊張していたはずなのに連日の疲れのせいか、私はほどなく眠ってしまった。