変わる関係
「それじゃ、あとは二人で話しなよ」
屋敷に戻ると、父は明るい雰囲気でそんなことを言って去って行ってしまった。
二人きりで残されると、途端に何も言えなくなってしまう。
「あの、お義兄様」
「……はあ。形だけかもしれないが、婚約者になったんだ。名前で呼んでくれないか」
「――え!?」
「……そんなにも驚くことか?」
驚くに決まっている。だって、義兄のことを名前で呼んだことはやり直し前後一度もないのだ。
急に頬が熱くなってきてしまい、上手く声が出せなくなる。
「どうして、そんな表情をするんだ」
「どんな……表情ですか」
義兄が眉根を寄せて、そっと私の頬に触れる。
「勘違いしそうになるからやめてくれ」
「勘違い……?」
その言葉の意味が知りたくて、じっと見つめているうちに義兄の顔が少し赤くなった。
それにもかかわらず、金色の瞳が逸らされることはない。
「婚約するのは不本意なのでは」
「それは、アイリスにとってそうなのではないか、と言う話だ」
「――私は嬉しかったですよ。あのときも、今も」
やり直し前の記憶は所々虫食いのように欠けてしまっていて、大事なことがわからないようになっている。それに、やり直してから三年以上が過ぎてその記憶すら徐々に朧気になっている。
「あのときも……」
義兄がひどく意外だという顔をした。
口が滑ってしまったと思いながら、曖昧に微笑む。
(そう……私は、私のことを見てくれないお義兄様のことも、今のお義兄様のことも……)
一歩、歩み寄る。
義兄と見つめ合う。
(今は思うの、私をいないもののように扱っていた態度……それは、私のことを守るための、お義兄様なりの不器用な愛だったのだと。もちろん、家族としての愛だということはわかっているけど)
父のこと、第三王子のこと、愛妾に妃……運命の欠片が一つずつあるべき場所にはまっていくみたいだ……。
私はまっすぐに義兄を見つめながら口を開く。
「シルヴィス様」
「アイリス……きっと、守るから」
「ええ、私もです」
「はは、無茶なことはもうしないでくれ」
「お義兄様こそ」
「……呼び方が戻っているが」
義兄は少々不服そうな声を出した。
そのことがおかしくて、つい笑い声を上げてしまう。
「ふふ、そうですね……。今まで慣れ親しんだ呼び名、そう簡単には直せなそうです」
「今は……それでもいいか」
「少しずつですよ、お義兄様」
「そうだな……それがいいのだろう」
義兄は少しだけ切なそうに笑った。
――私の命を奪ったのは、義兄の魔法。それは間違いないのだろう。
(あのときの、涙の味が忘れられない。……どうかあの場面を夢で視ないで)
繋いだ義兄の手は温かい。私たちは手を繋ぎ、夜会で兄妹として踊るだけの関係だ。
けれど、確実にこの日から私たちの関係は変化していく、それだけは間違いないのだろう。