婚約者
そのあと、義兄と一曲踊った。
少しだけ逸らされた視線から、義兄は私と婚約するのが不本意なのではないかと察せられる。
「あの……お義兄様」
「馬車の中でゆっくり話そうか」
「……わかりました」
義兄はそう口にすると、ようやく普段と同じ完璧な笑みを浮かべた。
黒い髪に金の瞳をした麗しいお義兄様とのダンス。そのリードは完璧で、周囲からはお揃いに見えるだろう衣装だって完璧だ。
(お義兄様は、私を守るために……)
上の空になってしまったようだ。
いつもよりヒールが高い靴を履いていたこともあり、絨毯に足を取られてしまう。
その瞬間、強く引き寄せられて、義兄の胸に耳がついてしまった。
(あれ? 私の心臓、こんなにドキドキしていたかしら)
心臓の音は速く、強く、高鳴っていた。
それが、義兄の心臓の音だと気がついた途端、私の心臓まで釣られたように強く鼓動しはじめる。
顔を上げると、義兄は再び私から視線を逸らした。
離れてしまえば、もうその鼓動は聞こえないはずだ。だから、今聞こえているのはこの上なく高鳴った私の心臓の音に違いない。
曲が鳴り終わり、会場の端へと向かうと父が近づいてきた。
「おや、二人とも仲がいいな」
私と同じ淡い紫色の目がいたずらっぽく細められる。
「揶揄わないでください、お父様」
「本音だけどねぇ……君たちはほんとにいつになれば」
「父上」
「君も早く素直になりなよ。さて、陛下への挨拶も終わったことだし、少し早いけれどお暇しようか」
「はい」
私たちは、舞踏会をあとにし、馬車に乗り込んだ。
馬車の中は、沈黙に包まれた。
父はなぜか嬉しそうだけれど、義兄はなにかを思案している表情を浮かべている。
「どういうことですか、お父様」
「うーん。まさか、あんな場所で第三王子が行動に出ると思わなかったから、アイリスの了承を得ずにすまなかった。第三王子の妃になるという選択肢もあるが……」
「絶対にお断りします!!」
第三王子は何だか恐ろしい。
それにいつもは感情を表さない義兄が、敵意をむき出しにしているのだ。
「僕も第三王子に君を渡したくないな」
「お父様」
「シルヴィスもそうだろう?」
「ええ、アイリスを幸せにしてくれる人間にしか渡したくありませんね。ただ、俺と婚約するのは……」
胸に手を当てて考える。
義兄にとって、私はただの妹なのかもしれない。
義兄は私の最期についての未来を夢で見ていないようだし、私自身もあのときの記憶は曖昧だ。
そうこうしているうちに馬車はヴェルディナード侯爵家の正門へと着いたのだった。