2、同級生
とある中学校。三年生の教室から、一際大きな笑い声が聞こえてきた。
箸が転んでもおかしいと思える時代。小さなことで笑いが生まれているのは、佐々木奈美、二見美沙、小林冴子の、仲良し三人組の女子グループだ。
「ねえ、聞いた? 佐竹さんと宮城君って、付き合ってるらしいよ」
美沙が、そんな噂話を始める。
「嘘! だって宮城って、この間まで五組の三浦さんと付き合ってたじゃん」
目を丸くして、奈美が言う。
「恋の相談してたら、付き合い始めたみたいだよ。よくあるパターン」
少し冷めた様子で、冴子も言った。
「なんか、三年になってから、カップル増えたよね」
「確かに。それと言って、うちらは全然だよねー」
顔を見合わせ、三人は苦笑する。
「でも、美沙は好きな人いるんでしょ。誰よ?」
奈美が尋ねる。
「内緒。それに、好きっていっても、気になるだけっていうか……」
三人は、恋の話はするというものの、美沙以外は好きな人さえもいなかった。その美沙も、恋の相手を打ち明けようとはしない。
「なんで言おうとしないかな。うちらが知ってる相手ってことだよね? クラスの男子?」
からかうように、奈美は美沙にそう尋ねる。
「いいの! べつに告白する気もないし。それより二人だって、好きな人出来たらちゃんと報告してよね」
今度は美沙が、奈美と冴子にそう言った。
「ハイハイ。まあ、そんなに言いたくないならいいけどね」
「それに、今は恋より受験を頑張らなくちゃ」
奈美と冴子は、笑いながらそう言った。
数日後の放課後。奈美は一人、部活から家路へと帰っていった。
仲良し三人組も、部活だけはバラバラで、奈美はバスケットボール部に所属している。
奈美が一人、薄暗い夕方の住宅街を歩いていると、少し後ろから足音が聞こえた。奈美より少し早い歩調で、近付いてくるのが分かる。
不安になって奈美が振り向くと、そこには見慣れた顔があった。
「三田……」
そこには、同じ学校に通う同級生の男子、三田貴広がいた。
三田は幼稚園からの幼馴染みで、何度か同じクラスにもなったことがある。
「おう。女子も今帰りか」
焼けた笑顔を見せ、三田が言った。
三田は男子のバスケットボール部で、最近まで部長を務めていた。今はクラスも違うため、ほとんど話す機会もないが、久しぶりに交わした三田の声はすっかり声変わりして、別人のようである。
「……なんか、久しぶりだね」
交わす言葉が見つからず、少し緊張しながら奈美が言った。
「うん」
三田は返事をしながら、奈美と同じ歩調で歩き始める。
「……すっかり声変わりしちゃったね」
「成長期ですから。それより、今度の試合出るだろ?」
以前と変わらない口調で、三田が尋ねる。
今週末は、バスケットボールの大会がある。
「もちろん出るよ。三年も引退だし。三田は?」
「俺も。最後の試合になるからな」
「そうだね……あ、進路は決めた?」
「うん、なんとなく」
「へえ。どこ?」
自然の流れで、奈美が尋ねた。
「安高か高商」
「じゃあ、バスケ続けるんだ。どっちも強いもんね」
「アンタは?」
三田が尋ねる。
「私は、天南か安高かな。友達がどこ受けるかわかんないから、まだ決めてないけど……」
「ああ。仲良し三人組? おまえら、うるさいんだよ。うちのクラスにまで丸聞こえ」
苦笑しながら、三田が言った。
「なによ。あんただって……」
その時、奈美の目に、沈みかけた夕日に照らされた、三田の顔が映った。幼稚園の頃から知っている三田ではなく、少し大人びた三田がそこにいる。
「……よかったら、一緒に安高受けない?」
突然、三田がそう言った。
「えっ?」
その真意が分からず、奈美は驚いて三田を見つめる。
「……好きなんだ。よかったら、付き合って下さい!」
三田からの、突然の告白だった。あまりに突然の出来事だったので、奈美は耳を疑った。
「えっ……え……!」
「はは……そりゃあ、びっくりするよな。最近、あんまり話もしてなかったのに……」
苦笑しながら、三田はそう言う。しかし、その顔は真剣に見える。
「な、なんで、私……?」
「なんでって……思えば、幼稚園からずっと一緒じゃん? クラスは違っても、知らない仲じゃないしさ。それに、ずっとバスケで見てきたから……」
「……三田……」
奈美は真っ赤になりながら、俯いた。
「ずっと告ろうと思ってたんだけど、なかなか二人きりになれる時とかなかったし……でも、これから受験だなんで忙しくなるだろうし、今しかないと思って」
「……きゅ、急に、そんなこと言われても、なんていうか……」
目を泳がせながら、奈美は俯く。告白をされたことなど人生で初めてだったので、どうしていいのかわからない。
そんな奈美を見て、三田は静かに口を開いた。
「じゃあ、今度の試合が終わるまで待つよ。俺、優勝狙うから。もし決めかねてたら、優勝出来たら付き合ってよ」
「三田……」
「じゃあな!」
三田はそう言うと、恥ずかしそうに笑いながら、家のほうへと去っていった。
「な、なによ、急に……勝手なことばっかり……」
そう言いながらも、奈美は初めての告白に胸躍らせ、小さい頃からの三田との思い出を、思い返していた。
次の日。奈美は、美沙にも冴子にも、三田のことを話すことが出来なかった。
そんな浮かない顔の奈美に、冴子が首を傾げて尋ねる。
「どうしたの? 奈美。具合でも悪い?」
「え? う、ううん。べつに……」
慌てた様子で、奈美が答える。
「じゃあ、何かあった? もしかして、恋煩いとか!」
「えっ!」
もちろん本気で言ったわけではない美沙の言葉にも、いちいち奈美は反応してしまう。
「え、マジ?」
「ううん。違う、違う。ただ、ちょっと……バスケの試合があるから、緊張しちゃって……」
奈美は、誤魔化しながらそう言った。
「へえ。奈美が試合で緊張するなんて、初めて聞いた。まあ、これで引退でしょう? 寂しくはなるよね……これから受験一色になるんだし。奈美は高校決めた?」
「う、ううん。美沙と冴子は?」
「私は、海栄行こうと思う……」
冴子が言った。
「え! 頭いいとこじゃん。言ってくれればよかったのに。決めてたの?」
奈美と美沙が、驚いて尋ねた。冴子が言った志望校は、全国でも有数の進学校である。
「うーん……漠然と希望はあったんだけど、今までの成績じゃ危なかったんだ。だけど、三年入ってから少し頑張ったら、なんとか道は見えてきたかなって……」
冴子が言った。
「もう決めてたんだ……でも、なんで海栄?」
「ううん。水泳続けたいから……それより、二人はどうすんの?」
自分の話もそこそこに、冴子が尋ねる。
冴子は水泳部に所属しており、志望校は水泳部が強いことでも有名である。
「なるほど。水泳あるからか。うちは母親が女子高出身だから、同じ女子高に行けって言われてるんだよね……まあ、まだ分からないけど」
美沙が言う。
それを聞いて、奈美は眉を顰めた。
「ええ? じゃあ、みんなバラバラになっちゃうね……」
「奈美は?」
「う、うん。私は、天南か……安高かな」
奈美が答える。一瞬、三田の顔が脳裏に浮かんだ。
「じゃあ、安高のがいいんじゃない? 確か、バスケ部強かったよね」
「そうだよね。それに安高は近いから、うちの中学から行く率も高いし。高校行っても、続けるんでしょ? バスケ」
興味津々といった様子で、冴子と奈美が尋ねる。
そんな二人に、奈美は苦笑しながら口を開いた。
「うーん……まだ、決めかねてるんだ……」
週末――。バスケットボールの大会が、近くの学校で行われた。男女共に行われ、三年生にとっては最後の大会となる。
男子バスケットボール部には、もちろん三田の姿もあったが、三田は奈美の顔を見ようともしない。先日の告白が夢ではないかと思うくらい、いつも通りの三田であった。
そんな中で、早速試合が行われた。会場では、もちろん男子と女子は別々のコートなので、互いに意識している暇もない。
奈美も最後の試合を掛けて、試合に参戦していった。
数時間後。奈美のいる女子バスケットボール部は、三回戦で敗退した。
三年生の中では、悔しくて泣いている選手もいる。そんな同志を慰めながら、奈美は隣のコートを見つめた。
隣のコートでは、同校の男子バスケットボール部が依然、試合を続けている。気付けば、決勝戦である。
「男子バスケ、応援しに行こう」
部員達に促され、奈美も男子バスケ部の応援に駆けつけた。三田の真剣な眼差しが、格好良いほどに見える。
「五点負けてる? もう時間ないじゃん。頑張れ!」
女子達が懸命に応援する中、奈美は食い入るように試合を見つめていた。
そんな時、一瞬、奈美の目が三田と合った。
「三田!」
そんな声とともに、三田のもとにボールがやってくる。三田はその場から、ゴール目掛けてシュートを放った。
ボールは綺麗な弧を描くとともに、声援が湧き上がる。
「キャー! さすが三田部長。スリーポイントシュート! 二点差、いけるよ!」
女子達の応援にも、熱が入る。
試合は白熱するとともに、空しくも試合終了の笛が鳴った。
男子バスケットボール部も、惜しくも優勝は出来なかった。
落ち込み気味の電車を降りて、奈美は一人、家路へと歩き出した。
引退試合に花を添えられなかったのも残念だったが、三田が優勝出来なかったことも、なぜか悲しく感じられる。
「佐々木……」
奈美はそこで、後ろから声を掛けられた。三田だ。
「三田……」
気まずい空気が、二人を包む。
「……残念だったな。お互い、優勝出来なくて……」
静かに笑いながら、三田が言った。
「う、うん……」
「俺も……カッコ悪いな。優勝して、佐々木と付き合う気満々だったのにさ」
「……」
「まだ、決められないかもしれないけど……答え、聞いてもいい?」
三田の言葉に、奈美は小さく頷いた。
しかし、何も考えられなかった。自分がどうしたいのかも分からず、言葉も出て来ない。
そんな奈美に、三田が苦笑する。
「やっぱ、急だったか。じゃあ、いいや。またの機会に……ごめんな。急に変なこと言ってさ」
そう言って、三田は引きつりそうな笑顔を寂しそうに変え、奈美に背を向けた。
「三田!」
去りかけた三田に、奈美が駆け寄って声を上げた。無意識でもあった。
「三田。私で、良かったら……いいよ」
奈美の言葉に、三田は目を丸くした。
「え、マジで?」
なるようになると思った。奈美も、三田の性格は分かっているつもりだ。スポーツマンで誠実で優しい。なにより、たった今笑っていたはずの三田の悲しそうな顔が、奈美の胸を締めつける。そして奈美も、離れていく三田を見たくなかった。
奈美の答えが出た瞬間であった。
「優勝は出来なかったけど、スリーポイントシュートは、カッコ良かったよ」
そう言った奈美に、三田は白い歯をむき出しにして笑う。
「やったー!」
次の日。学校へ行った奈美は、美沙と冴子に、三田と付き合い始めたことを報告した。
「うっそー! なによ、急に。びっくりした!」
普段は冷静な冴子も、驚いて声を上げる。
「う、うん。こっちも急だったんだけどさ。三田ならいいかなって……」
奈美が、少し照れながらそう言う。
「そうなんだ。三田と……びっくりしすぎて声出なくなっちゃったよ! でも、おめでとう、奈美。よかったね。ああ、置いてかれちゃったなあ」
美沙も言った。
「もう、美沙ったら」
「いや、本当に。よかったよかった」
いつものように大声で笑いながら、三人はお祝いムード一色になった。
それから奈美は、三田と同じ高校へ進学する。
同級生。幼馴染みの友達から、恋人に変わる瞬間……ひとつの恋のカタチ。