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1、理想のタイプ

「いつか出会うんだ。運命の人。王子様みたいに何もかも完璧な、私の理想の男性に……」


   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


「バッカじゃないの?」

 高校二年生のとある教室で、そんな声が響き渡った。

「ちょっと、奈美。声大きい!」

 そう言って制止しようとしているのは、中島佳代子。この物語の主人公である。

「バカはバカじゃない。今時そんなこと言ってるなんて、信じらんない」

 そう言ったのは、冷めた目で佳代子を見つめる、同級生の佐々木奈美である。

「なによ。理想は理想じゃない」

 佳代子がムスっとして言う。

「なに? 何の話?」

 そこに割り込んで来たのは、山下亮輔だ。誰にでも人当たりが良く、お調子者で通っている男子生徒。今も至って自然に、二人の会話へと割り込んで来た。

「理想論よ、理想論」

 奈美が言う。

「は? 理想論?」

「そう。この子、なんて言ったと思う? いつか出会うんだ。運命の人。王子様みたいに何もかも完璧な、私の理想の男性に……だって。王子様よ、王子様! 高二にもなって、こんな夢見がちだなんて思わなかった」

 奈美が、軽蔑するように言った。

 言われている佳代子は悲しそうに、また悔しそうに口を尖らす。

「じゃあ、奈美の理想の人って、どんな人よ」

「私は、心が通い合ってれば誰でもいいわよ。たとえブ男でもね。現に、私の彼は容姿端麗とは言わないけど」

「でも、カッコイイよ。バスケうまいし」

 佳代子が言う。

 奈美は隣のクラスに、中学の時から付き合っている、バスケ部部長の彼氏がいる。

「まあね。それより佳代子。あんた、そんなんだから、未だに彼氏の一人も出来ないのよ」

 そんな奈美の言葉に、山下が苦笑した。

「女の会話ってくだらねえのな。じゃあ中島の描く、“理想の王子様”ってのは、どんな王子様なんだよ」

 山下が尋ねたので、佳代子は理想の男性像を、頭に思い描いた。

「ええっとね……頭が良くて、背が高くて、足が速くて、お金持ちで、優しくて、カッコ良くて、私のこと一番に考えてくれて……」

「ああ、もういいわ」

 呆れ顔で山下が言う。

「あとね、眼鏡掛けてる人!」

 構わず、続けて佳代子が言った。

 そんな佳代子に、奈美が笑う。

「はあ? なんで眼鏡……どんな王子よ」

「だって。なんか眼鏡掛けてる人って、知性的だしカッコイイじゃん?」

「わかんない。あんたのそのツボ……」

「眼鏡フェチってやつだな……」

 その時、授業開始の予鈴が鳴った。

「次は英語か。じゃあね。授業なんだから、現実に戻りなさいよ、佳代子」

 奈美は席へと戻っていき、山下も無言で離れていった。

「……そんなにおかしいかな」

 去っていく山下の耳に、力ない佳代子のそんな声が聞こえていた。


 次の日の朝。登校のチャイムが鳴る。

「おわ! ギリギリセーフ!」

 チャイムが鳴り終わる直前に駆け込んで来たのは、山下であった。その目には、普段はない眼鏡が掛けられている。

「あれ? 山下。なんだよ、その眼鏡」

「おえー。似合わねえよ」

「ちょっと、頭良さそうに見える」

 クラスメイトのそんな声が飛び交う。

「あはは。昨日、コンタクト流しちゃってさ……仕方なく」

 少し照れて、山下が言う。

「へえ。おまえ、コンタクトだったんだ? それすら知らなかった」

「え? 俺、結構、目悪いよ」

「頭もだろ?」

「うるせえ」

 そんなやりとりを見つめていた佳代子と一瞬、山下の目が合った。しかし、お互いすぐに逸らす。

 佳代子は、いつもと違う山下に、戸惑いを感じていた。


「はあ……」

 昼休み。食事中の佳代子が、溜息をついた。

「なによ。溜息なんかついちゃって」

 一緒にいた奈美が言う。

「いや。なんか、私って単純だなと思って……」

 佳代子の言葉に、奈美が首を傾げる。

「なにが?」

「……眼鏡」

「眼鏡?」

「眼鏡掛けてるだけで、気になるなんて……」

「……って、それって、山下のこと?」

 奈美が驚いて言った。

 それを聞いて、佳代子は頬を赤く染めている。

「へえ、ありえない。本当に単純だね……なによ。眼鏡掛けて来ただけで、好きになっちゃったの?」

「奈美。声大きいってば! ああ、もうどうしよう……」

「ふうん……まあ、悪いことは言わない。諦めなさい」

 小刻みに頷きながら、奈美が佳代子の肩を叩く。

「え、どうして……」

「あんた、山下のこと知らないわけじゃないでしょ? あんな節操ない男……高校入ってから、何人の女と付き合ってると思ってんの。次から次へ食いまくってるのは有名じゃん」

 奈美が言う通り、山下の女癖が悪いことは、学年中の誰もが知っている話である。

「それに、何かのバツゲームで、好きでもない子に告白したり、やってること小学生以下だよ? あいつ……というか、うちのクラスの男子たちは」

 続けて奈美が言う。

「知ってるけど……あ、今はフリーみたいだよ? この間、三年の先輩と別れたって噂になってたもん」

「じゃあ、あんたの理想はどこ行っちゃったのよ。大して頭も良くないし、背も低い方だし、足も速いかどうか微妙だよ? なにより、あんたのことを一番に考えてくれるような男じゃないって。あんな女ったらし……」

「誰が女ったらしなの?」

 そこに入って来たのは、噂をしていた山下である。

「山下……」

 動じることなく、奈美が冷めた目で山下を見つめる。

「なんだよ、佐々木。その氷のような目は。あれ、もしかして俺の噂してた? いやあ光栄だな。何、二人とも、俺のことが好きになっちゃったとか?」

 そんな山下の言葉に、奈美が溜息をついた。

「違う。あんたが、いかに女ったらしかっていう、ウ・ワ・サ」

「俺が女ったらし? 心外だなあ」

「じゃあ言ってごらん。高校入ってから、何人食ってんのよ」

「ええ? そんなの数えてないよ」

「数えられないくらい、食っちゃってるってことでしょうが!」

「食っちゃってるなんて、言葉が汚いですわよ、佐々木さん」

「山下……てめえ、喧嘩売っとんのか」

 じゃれるように言い合っている奈美と山下を見ながら、佳代子は茫然としていた。

「山下。ちょっと来て」

 そこに、山下が同性の友達から呼ばれた。

「何――?」

 山下はそう言いながら、その場から去っていく。

「はあ……分かったでしょ? あんなタラシ、あんたの理想と正反対じゃない。無茶は言わない。やめときなさい」

 黙り込んだままの佳代子に、奈美がそう言った。

 佳代子は悩んだまま、机に伏せる。

「奈美、仲いいね。山下と……」

「はあ? あんた、どこ見てたのよ」

「ふう……」

 すっかり元気を失くし、佳代子は相変わらず溜息をついている。

 そんな態度の佳代子に、奈美も小さく息を吐いた。

「……本気ならいいよ。でも、佳代子があいつと付き合っても、遊ばれるだけだと思う。幸せなんてなれないよ」

「うん。そうかな……」

 佳代子は、遠くで笑っている山下を見つめた。


 数日後。最後に話したあの日から、佳代子は山下と特に話す機会もなかった。ただ、あの日から佳代子の気持ちは変わらず、目線はいつも、山下の姿を追いかけている。

「……そんなに好きなら、告れば?」

 放課後、立ち寄ったファーストフード店で、奈美が佳代子にそう言った。

「えっ?」

「あいつ、今フリーなんでしょ? 噂を聞いてる限りじゃ、女ったらしでオススメ出来るような男じゃないと思うけど、あんたの気持ちが本物なら、一度付き合ってみればいいじゃない」

「こ、告白なんて出来ないよ。私、付き合うとかってしたことないし……」

 弱腰の佳代子に、奈美は顔色一つ変えずに口を開く。

「でも、好きなんでしょ? ずっとあいつのこと見てるじゃん」

「……ここ数日、考えてみたんだ。確かに山下は女癖悪いし、付き合うとかって考えられないかもしれないけど、でも気になるばかりで……」

「じゃあ、さっさと告白しちゃいなよ。二股、三股は当たり前っていうあいつがフリーなら、今しかないじゃん」

 奈美は、ここ数日の佳代子を見て、佳代子の気持ちが本気になっているのだと知っていた。未だ彼氏が出来たことのない佳代子にとって、女性関係で良い噂を聞かない山下と付き合うのはどうかと思ったが、友達の恋は応援したいと思った。

「告白って……どうやってすればいいの?」

 佳代子が尋ねる。

「どうって……どこか二人きりになれる所に呼び出したりして、好きだから付き合ってくださいって言えば、何かしら反応あるでしょ。まあ、あんたの恋なら、私も応援するから」

 そんな奈美の言葉に、佳代子は嬉しくなった。

「よし、やる! 告白する!」

 意を決して、佳代子が言った。

「マジ? よし、応援する。じゃあ、作戦考えよう」

「作戦?」

「まず、呼び出す所だけど……」

 二人は、佳代子の告白の作戦を立て始めた。


 次の日。緊張しながら、佳代子は学校へと向かっていった。

 告白のシュミレーションは家でバッチリしてきたが、頭の中も体も、緊張でガチガチになっている。

「大丈夫? なんか、すごい顔が強ばってるんだけど……」

 歩きながら、奈美が心配そうに尋ねる。

「だ、大丈夫。緊張して、ほとんど寝てないんだけどね……」

「もう。本当に大丈夫?」

 二人はそんな会話をしながら、教室へと向かっていった。

「マジかよ!」

 二人が教室に入るなり、数人の男子グループが、大声で話している。

「どうしたの?」

 そこに、登校してきたばかりの男子が輪に加わる。そんな様子を、佳代子と奈美も見つめていた。

「聞けよ。山下のやつ、昨日四組の堀内さんに告られたんだってよ」

 その言葉に、佳代子は固まった。

「マジかよ。堀内さんって、あの堀内さん? 天然美少女キャラの? 羨ましい……」

「なんだよ、山下ばっかりモテてよー。少しは分けろよな」

「返事はもちろんオーケーだよな。あれ、肝心の山下は?」

「まだだよ。万年遅刻魔だからな、あいつ」

 男子生徒たちが、朝からそんな大盛り上がりを見せているが、山下の姿はまだないようだ。

 佳代子は小さく溜息をついて、無言で席へと着く。

「佳代子……」

 そんな佳代子を心配しながらも、奈美はなんと声を掛けたらいいのか分からなかった。

 噂でしか山下のことは知らないが、手当たり次第に女性と付き合ってきた遍歴からすれば、フリーの時期に美少女から告白されて、山下が断らないはずがない。

 告白する前の玉砕というものは、いかに辛いものだろうと察し、今の奈美には慰めの言葉も見つからなかった。

 しばらくして、チャイムの音とともに、山下が駆け込んできた。

「山下。またギリギリかよ」

 男子たちが声を掛ける。

「セーフ……なんだよ。最近、遅刻はしてないじゃん」

 眼鏡を正しながら、山下が息を切らしてそう答えた。

「それよりおまえ、噂だぞ」

「そうだよ。四組の堀内さんに告られたって、本当かよ。もう食っちゃったか? この野獣が!」

 男子たちが、構わず囃し立てる。

 山下は、顔を顰める。

「なんで知ってんだよ……」

「たまたま見えてしまいました。四階の階段のトコでさ」

「あのなあ……」

 その時、担任が入って来たので、話は一旦打ち切られた。

 佳代子は、そっと山下を見つめた。四組の堀内という女子は、女子の間でも可愛いと有名である。佳代子と比べられたら、ひとたまりもない。

 山下に告白しようとしていた佳代子だったが、その気はすっかり失せていた。


 昼休み。

「元気出しなよ。良かったじゃん。告白する前でさ……」

 未だ沈んだ様子の佳代子に、奈美が必死に慰める。

「うん……」

 生返事の佳代子に、奈美も小さな溜息をついた。

「もう。本当に元気出してよ」

「ん……ごめん。ちょっと、トイレ行ってくる……」

 生気のない佳代子は、フラフラと廊下へ出ていった。

「中島!」

 そこで佳代子に声を掛けたのは、悩みの原因である山下であった。ここしばらく、話す機会もなかったので、佳代子は驚いて山下を見つめる。

「山下……」

「ちょっと、話したいことあんだけど」

「……何?」

 山下を前にしても、まるで魂の抜け殻のように、佳代子は返事をした。

「……どうかしたのか? なんか元気ねえな」

 突然、山下が佳代子の顔を覗き込んで言う。

「え。べつに、そんなことないけど……」

「ええっと、じゃあ……これ、読んで」

 そう言って、山下が徐に小さく畳んだメモを渡した。

 佳代子は怪訝な顔をして、無意識にメモを開く。

 中に書かれていた文字を見て、佳代子は飛び上がるほど驚いた。

『オレとつきあってください』

 メモに書かれた文字を何度も追って、佳代子は瞬きをする。

「えっ、ええっ!」

 言葉にならずに、佳代子は山下を見つめた。

「だから、そういうこと……」

 異様な光景の二人に、廊下を行き交う生徒たちが、ちらちらと二人を見つめる。

「か、からかわないでよ! どうせ男子の間でやってる、バツゲームかなにかでしょ!」

 大声で佳代子が言った。混乱して、何も考えられない。

「べつに、そんなんじゃ……」

「だってあんたには、堀内さんがいるじゃん!」

 佳代子はそう言うと、その場から走り去っていった。

 山下の行動は、佳代子には理解できなかった。信じられなかった。悲しみが込み上げ、佳代子は一人、泣いていた。


 放課後。なんとか最後の授業には出た佳代子は、奈美にすべてを打ち明けた。

「……嘘だって、言い切れるの? そりゃあ、一時期そういう、好きでもない子に告白するバツゲームは流行ってたみたいだけどさ……」

 奈美が、また今にも泣きそうな佳代子の話を聞きながら、そう尋ねる。

「だって……堀内さんからの告白、断ると思う? 確かに山下、今まで遊んでたの有名じゃん。顔もいいからよりどりみどりだろうし、私なんか……」

「ああ、もう。わかった。とにかく、学校出てどっか行こう。気分転換しようよ」

「うん……」

 重い腰を上げて、佳代子は奈美とともに、教室を出て行った。

 すると、教室の前の廊下では、山下が待っていたかのように立っていた。

「山下……」

「……話は終わった?」

 山下が、佳代子と奈美に言った。

「何の用よ」

 佳代子を守るように立って、奈美が尋ねる。

「告白タイム。手紙じゃ分かってもらえなかったみたいだから」

「あんた……」

 二人の目には、いつになく真剣な顔の山下が映っていた。

「中島。俺、堀内とは何でもないから……断ったから」

 山下は人目も憚らず、佳代子に想いをぶつける。

「……俺、頭も悪いし、背もそんなに高くないし、叶えられるとしたら眼鏡掛けてるところくらいしか、おまえの理想には合ってないと思う。でも、気持ちは本気だ!」

 必死の顔で訴える山下に、いつの間に集まって来た生徒たちが、賞賛とからかいの拍手を浴びせる。そんな拍手にもろともせず、山下は佳代子を見つめていた。

「返事は? 中島。へーんーじ! へーんーじ!」

 教室から顔を出しながら、男子たちが囃し立てる。

「うるせえな! どっか行けよ!」

 野次馬たちに、真っ赤になった山下が、本気で怒鳴り立てる。

 そんな山下を見て、佳代子も山下を見つめた。

「な、なんで、こんな目立つ所で……」

 やっと、佳代子がそう言った。

「だっておまえ、さっさと帰りそうだったから……」

 山下の言葉に、佳代子が苦笑する。そしてもう一度、佳代子は山下を見つめた。

「……本当に? なんで私なんか……」

「理由なんかないよ。もちろん、バツゲームなんかじゃない。気付いたら、好きになってたんだ。気になって……意識してた。おまえの理想論聞いて、面白いやつだなって思ったし、なんか意識し過ぎてしゃべりづらくもなっちゃうし……あ、言っておくけど、自分から告白したの、おまえが初めてだからな」

 そんな山下の告白に、佳代子はこれ以上ないというほど、真っ赤になった。

「佳代子。答えてあげなよ」

 黙ったままの佳代子に、少し後ろで聞いていた奈美が、そう言った。

「わ、私なんかでよかったら……」

 やっとのことで、佳代子はそう言った。山下も嬉しそうに微笑む。

「こちらこそ。よろしくお願いします!」

「おめでとう!」

 山下の言葉に、その場に居た全員が大きな拍手をして、大盛り上がりを見せた。


「理想とはちょっと離れちゃったけど、王子様はいたんだなあ」

 それから数日後、にんまりとした佳代子がそう言った。

「ハイハイ。それで? その王子様は、今どうしてんの?」

 話を聞いていた、奈美が尋ねる。

「進路相談室。なんか成績ヤバくて、進級危ないみたい……」

「あはは。とんだ王子様ね」

「うん。でも、幸せだからいいんだ」

「ずいぶん変わったなあ……」

 二人は笑った。

「じゃあ私、部活行くね。佳代子は山下待ってるんでしょ?」

「うん」

「じゃあね」

「うん。また明日」

 佳代子を残して、奈美は教室を後にした。

「お待たせ」

 しばらくして、進路相談室から山下が戻ってきた。

「どうだった?」

 佳代子が尋ねる。

「んー、今度の中間がヤマ。遅刻ももう出来ねえし」

「げっ。じゃあ、勉強しなくちゃ」

「教えてくれる?」

「もちろん」

「じゃあとりあえず、勉強は放課後デートの後ってことで……」

「違うよ。勉強デートでしょ」

「そうだな」

 二人はそのまま、学校を後にした。


 理想と現実は、必ずしも合わないこともある。むしろそっちのほうが多いのかもしれない。

 だけど、それでも幸せを感じられたなら、そこが私の居場所。その人が、私の理想……。

 はがゆくて甘酸っぱい、ひとつの恋のカタチ。


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