20.青薔薇の蕾 ―ティメオの昔話③―
それから、トゥールーズ家にはいくつかの苦難が訪れた。
アリエノールが第一王子の婚約者に選ばれ、王の暴挙によってアリエノールの母が国を離れた。
ティメオはトゥールーズ領で兄姉と共に学びながら、年に一度のアリエノールの訪れを心待ちにし、成長していた。
そんな彼が伯爵の執務室に呼ばれたのは、十三歳の夏――すぐ上の兄が学園の入学試験対策に追われ始めた頃のことだった。
「え。僕も兄様と一緒に試験を受けるのですか?」
「あぁ」
「でも、僕はまだ十三歳です。通常、学園の入学は十五歳になる春からでは……」
「そうする者が多いというだけで、学園の規則に受験年齢の下限は明記されていない……と、兄上が仰っていてな」
「侯爵様が……?」
伯爵曰く、来年は第一王子にして国王唯一の子であるレーモン、その婚約者であるアリエノールの他、国境伯と王姉の間に生まれたジュディットなど、錚々たる面々の入学が予定されている。
レーモンがアリエノールを冷遇していることは貴族の間では周知の事実であり、トゥールーズ家としては同族の子女を一人でも多く同学年に送り込み、アリエノールを守りたいと考えているのだが……。
「息子は私に似て学問はさほど得意ではなくてな。努力を重ねてもせいぜいBクラス止まりだろう」
「兄様もがんばっておいでなのですが……」
「こればかりはな。私も在学中はBクラスとCクラスを行き来していたのであまり強くは言えん」
現時点でアリエノールはAクラス確実、レーモンは入学すら危ぶまれているが、こちらは王家が何かしら圧力をかけても捻じ込むだろうと噂されている。
「二人のクラスは分かれるだろうが、殿下の取り巻きがアリエノールを害することも考えられる。アリエノールと同じく、確実にAクラスを維持できる者を送り込みたいというのが、一族の総意だ」
「なるほど」
「そこで、お前の名が挙がった」
ティメオを気に入っている兄姉は、自分達の勉強の時間にもティメオを参加させ、机を並べていた。
結果、ティメオは兄姉と同じところまで学習を進め、早熟ぶりを遺憾なく発揮していた。
「家庭教師も、今から息子の尻を叩くよりも、ティメオに飛び級で受験させる方が確実だと断言している」
「ありがたいお言葉ですが、僕にできるでしょうか。もし失敗したら、トゥールーズ家の皆様にご迷惑をおかけするのでは……」
「その程度で揺らぐトゥールーズ家ではない。それにこれは、何も入学に限った話ではない」
「と、仰いますと?」
「今回は我が家だけでなく、分家からも数名の子女が受験を予定している。彼らは本家――トゥールーズ侯爵家の後継者候補であり、アリエノールの婿候補でもあるのだ」
「っ……」
レーモンとアリエノールの婚約は早晩破棄される。いや、破棄させるというのが、すでにトゥールーズ一族の総意となっている。
そうなれば、侯爵夫妻の一人娘であるアリエノールが婿を取り、侯爵家を継ぐこととなる。
「あの美貌にあの才知だ。婿入りを狙う家は多いし、学園に入ればあの子に懸想する者はますます増えるだろう。それに、隣国の公爵家も動くだろうしな」
「チェルーストカ公爵家、ですか」
チェルーストカ家の兄弟については、ティメオもアリエノールから度々聞き及んでいる。
第一王子の婚約者という立場から異性との交流には慎重なアリエノールにとって、親戚筋のトゥールーズ家とチェルーストカ家の子息達は最も近しい異性になる。
「チェルーストカ家はおそらく現当主の末の五男をアリエノールの婿候補とするつもりだろう。若いながらもやり手の外交官で、自国のみならず、各国の有力貴族からも縁談を持ちかけられているが、全て断っているそうだ」
「アリエノール姉様の婚約が破棄されるのを待っている、ということですね」
「そうだ。アリエノールを守るという点においては同志と呼べるが、あの子の婿候補となれば厄介な対立候補となる」
伯爵はがしがしと荒い所作で髪をかき混ぜると、改めてティメオと向き合った。
「ティメオ。お前はアリエノールのことをどう思っているんだ」
「心からお慕いしています。あの方のお傍で仕えられるよう、精進したいと思います」
「では、あの子と結婚したいと望むか」
「それは……」
「身分だとか年齢だとかの条件は置いておけ。私はお前の正直な気持ちが聞きたい」
ティメオは強面の養父をじっと見据え、目を逸らすことなくはっきりと伝えた。
「僕にとっては至上であり、最愛の女性です。夫として共に歩める道があるのであれば、これ以上の幸せはありません」
「ははは。まさかお前が愛を語るようになるとはなぁ」
伯爵はなぜか目を潤ませながら、大きく頷いた。
「で、あれば話は早い。アリエノールは我がトゥールーズ家の至宝。あの子を望むのであれば、お前の持てるものを全て武器として、勝ち抜いて見せろ」
養父の叱咤激励を受けたティメオは、まずトゥールーズ一族の同世代を相手に知と魔法を競い合った。
さすがに背丈の伸び切らない年齢の二歳差は大きく、剣では後れを取ったが、ティメオは母から受け継いだ水魔法を駆使し、侯爵領の城で行われる模擬戦で勝ちを重ねていった。
学園内での私闘や暴力は停学や退学などの処分対象となるため、論戦についても徹底的に叩き込まれた。
ティメオは表情や所作で相手を揺さぶることも上手く、年上の少年達を次々と論破していった。
家庭教師からもAクラス入りは堅いとのお墨付きをもらい、ティメオは兄や従兄らと共に、学園の入学試験に挑んだ。その結果は――
「やはり首席合格はアリエノール様でしたわね」
「才色兼備とはまさにあの方のためにある言葉ですわ」
「新入生代表で挨拶されるアリエノール様、お美しいだろうなぁ」
「トゥールーズ家からは飛び級での入学者もいるらしいな。ほら、例の神童……」
「母親を救うために夜道を駆けたっていうあの? さすが、代々宰相や大臣を輩出されてきた名家だな」
「二位のキリアン・ラシュレーって、ラシュレー伯爵家の三男か?」
「たぶんな。今まであまり名前を聞かなかったが、留学でもしてたのかな」
「ティメオ」
「はい。アリエノール姉様」
合格発表の日、少年少女の歓喜の声や悔しそうな呻き声が溢れる中、ティメオは隣に立つ美しい少女に名を呼ばれ、顔を上げた。
「制服の型紙は屋敷に届けていただくよう手配したそうよ。私達は帰りましょうか」
「そうですね」
支給品の制服を希望する学生はこれから採寸に向かうが、自家で制服を作製するアリエノール達は入学に関する書類などを受け取るだけでいい。
少し離れたところには、取り巻きを引き連れた金髪の少年の姿が見える。
先ほど形ばかりの挨拶を交わしたアリエノールの婚約者・レーモン一行だ。
馬車に乗り込んでドアを閉めると、外の喧噪は遠のく。
アリエノールは馬車が動き出すと、向かい側に座るティメオに柔らかい笑みを浮かべて見せた。
「改めて、合格おめでとう、ティメオ。十三歳での合格は百年ぶりの快挙だそうよ。本当に素晴らしいこと」
「アリエノール姉様も、首席合格おめでとうございます。侯爵様もお喜びなられますよ」
「ふふふ。あなたと同じクラスになれそうで心強いわ。春からもよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします」
最愛の女性と和やかに語らいながら、ティメオの目は馬車の外にも向けられる。
金色の髪と真紅の目は、太陽にもなぞらえられるネウストリア王家の色だが、それを纏う王子の振る舞いは、未来の為政者として相応しいとは到底思えないものだ。
アリエノールの婚約者という座にありながら、彼女を罵り、虐げるレーモンに、ティメオは内心で強い怒りを感じていた。
二人の婚約解消は既定路線だが、それだけで済む話ではない。
レーモンの王位継承は、アリエノールという理想の国母を正妃とするからこそ成り立つものであり、二人の婚約がなくなれば、レーモンの即位も遠のくだろう。
もっとも、本人は未だにそのことに考えが及んでいないようだが。
ティメオは楽しそうに学園生活に想いを馳せるアリエノールへと視線を向け、決意を新たにする。
今度こそ、大切な人を守ってみせる。
アリエノールの心も身体も守り通し、必ず幸せにしてみせる。
もしも抗い切れない何者かがアリエノールを害そうとしたら……その時は逃げればいい。
愚か者の両親のように手を取り合って逃げ、誰かに助けを求めればいい。
ティメオの両親は愚か者だった。
だが彼らは、周囲の人に助けを求めることができる素直さと、受けた恩を懸命に返そうとする誠実さを持ち合わせていた。
彼らが積み重ねたものは巡り巡って、遺されたティメオを救ってくれた。
ティメオはアリエノールと語らうことで、両親を認めることができるようになっていた。
――僕を救ってくれた人。僕の最愛。今度は僕が、あなたを救ってみせますからね。




