01.悪役令嬢の婚約破棄
ありがたい感想をたくさんいただき、恐る恐る連載を始めました。
しばしお付き合いいただければ幸いです。
「アリエノール・トゥールーズ! 貴様のような悪女は国母に相応しくない! 今この場をもって、貴様との婚約破棄を宣言する!」
国内の貴族の大半が集まる王家主催の夜会。
華やかなその席で、壇上に立ち、愛らしい容姿の令嬢の肩を抱きながら高らかに宣言したのは、国王唯一の子である第一王子。
太陽の光を集めて織ったと称えられる王家特有の不思議な風合いの金の髪を長く伸ばし、同じく太陽の紅玉と呼ばれる王家の血筋にのみ現れる真紅の目を持つ王子は、「内劣りの外めでた」などと国内外で揶揄されるように、外見は大変立派な貴公子然とした青年である。
そんな彼が指差した先にいたのは、黒椿の異名で知られる侯爵令嬢だった。
王国では珍しい艶やかな黒髪と、氷山の裂け目から覗く光のような白緑色の瞳に、冷たい雪を思わせる白く澄んだ肌。
紺色のドレスには銀糸と隣国産の真珠が惜しげもなくあしらわれており、銀と真珠で椿を模した髪飾りも彼女の髪色によく映えた。
母親譲りの美貌は、数多の令嬢の中にあっても一際目を惹く。
緩く波打つ黒髪に囲まれた小さな顔の中に、整ったパーツが品良く並ぶ様は見る者のため息を誘う程に美しい。
婚約者である第一王子から名指しで悪女と罵られ、幼い頃から結んでいた婚約を一方的に破棄されたにも拘わらず、彼女は花の顔を曇らせることはなく、凛とした立ち姿で王子と令嬢を見上げていた。
「レーモン殿下。両陛下と国賓の皆様もいらっしゃる場で、このような振る舞いは慎まれた方が……」
「黙れ! 今は貴様が説教を垂れる場ではない! 私が! 貴様を! 断罪する場であると心得よ!」
「断罪、ですか。私に罪があると仰るのでしょうか」
広げた扇で目許以外を隠したアリエノールを見たレーモンは、相手が怯んだと見たのか怒涛の勢いで畳みかけた。
「そうだ! 貴様は私の心が自分から離れたことに焦り、この愛らしいペトロニーユに嫉妬し、陰湿ないじめを繰り返していた! 貴様のような性根の腐った悪女に、我がネウストリア王国の栄えある王妃の座など渡すものか!」
「レーモン様、素敵! 私、とっても怖かったわぁ……」
「おぉ、可哀想なペトロニーユ! 私が守ってやるから安心しろ」
壇上で愛を囁き合う二人に、傍に控える王子の側近は虚無の表情で紙吹雪を振り撒き、会場全体は凍り付き、王族の席に着いたばかりの国王夫妻も何事かと固まっていた。
しかし悪女と呼ばれたアリエノール本人は、目を細め、笑みを浮かべているようにさえ見える。
「恐れながら殿下。私はそちらのご令嬢とは面識がございませんの。ご紹介してくださいますか?」
「白々しいことを……ペトロニーユは学園に編入してきた時から注目の的であっただろう! そのせいで嫉妬に狂った貴様や、他の女達から謂れのない中傷やいじめを受け、繊細なペトロニーユがどれほど傷ついたことか……!」
「くすんくすん。レーモンさまぁ」
「ペトロニーユ……ブシャール男爵家のご令嬢でしょうか」
「はっ! ほら見ろ! やっぱりお前がペトロニーユをいじめていたのではないか!」
「いじめてはおりませんし、面識もございませんが、彼女の名前だけは学友の皆様から聞き及んでおりますわ。皆様、殿下のことを案じてくださっていますから」
「は? 私を?」
訝しむレーモンに、周囲を取り囲む学友――これから国を支え、繁栄させていく貴族の子女達――が大きく頷く。
「はい。聞けばブシャール男爵令嬢は数年前に男爵家に引き取られた養女で、元は平民の出でいらっしゃるとか。そんな方に王子は、王太子妃の……いえ、将来の王妃の座を約束されたと、複数の方が教えてくださいました」
がたりと立ち上がる音がした方に誰も視線を向けないのは、高貴なる方をじろじろと見つめることが不敬だと理解しているからである。決して、王妃の形相に恐れをなしたのではない。
しかしそんな王妃の怒りも、肝心の王子には全く伝わっていないようだった。
「ふん。なるほどな。貴様が私の婚約者の座を追われ、怒り狂うことを心配した私の忠臣が、貴様を諫めていたというわけか。それなのに貴様は凶行に走った。臣下の言に耳を傾けられない女など、やはり王妃の器ではないな!」
鏡に向かって罵倒しているかのような言葉に、場の空気はさらに冷え込むが、それに反してレーモンの勢いはますます加速していく。
「貴様のように家柄と血筋しか誇るもののない悪女の血など、一滴たりとも我が王家には入れぬ! 私は聖女のように清らかで心優しいペトロニーユと共に、この国をさらなる栄光の時代へ導くことを誓おう!」
「きゃー! レーモンさまぁ! 私、一生懸命レーモン様を支えて、優しい王妃様になりますね!」
「ペトロニーユ!」
抱き合う二人。
やけくそのように投げつけられる紙吹雪。
困惑とじわじわと湧き上がる怒りから言葉を失う貴族達。
国外からの来賓の中には従者を走らせて何事かを外に知らせる者もいるが、とにかく、場は混迷を極めていた。
そんな中、広い会場の中にぱちんっと扇を閉じる音が響き渡った。
「承知いたしました。王家と我が侯爵家の間で結ばれた婚約につきましては、両陛下と侯爵家当主によって然るべき手続きを踏む必要がございますが、私個人といたしましては、殿下のご意向に添いたいと存じます」
アリエノールの桜色の唇からすらすらと綴られる言葉に、レーモンは我が意を得たりとばかりに胸を張った。
「ふん! ようやく貴様も自身の罪と、置かれた立場を理解したか。愚鈍な女め。ではこれより、貴様の罪を贖うための罰を……」
「つきましては!」
「なっ……」
仮にも王族の言葉を遮るなどという侯爵令嬢らしからぬ不作法に王子が絶句している間に、彼女は壇上の二人にくるりと背を向け、会場に揃った貴族達に向けて美しい礼を執って見せた。
「皆様、王妃陛下主催の夜会をお騒がせし、申し訳ございません。ご迷惑ついでに、もう少々私の我儘と茶番にお付き合いいただければ幸いでございます」
アリエノールが視線でお伺いを立てたのは、息子の愚行に怒り心頭の王妃その人だった。
彼女は今にもへし折りそうだった扇を広げ、アリエノールの申し出に対して了承の意を表した。
「格別のご高配を賜り感謝申し上げます。改めまして、トゥールーズ侯爵家が娘、アリエノールでございます。父は外務大臣の任を拝しておりますトゥールーズ侯爵、母は隣国トランシルヴァニア大公国の公爵家の出身であり、私の髪の色は母譲りです。皆様がご覧になった通り、只今レーモン第一王子殿下より婚約破棄を言い渡されました。まだ正式な手順は踏んでおりませんが、王家が主催される会で、国を支える皆様の面前での宣言ですので、おそらく覆ることはないでしょう」
がたがたと、またもや立ち上がる音がしたが、すぐに鋭い打撃音と共に音は止んだ。
椅子に沈み込んだ国王の広い額が赤くなっていることも、王妃が無惨に折れた扇を侍女に交換させていることも、貴族達は気付いていない。いや、気付いてはいけないのだ。
「私は侯爵家の一人娘として、婿を取る立場となります。つきましては、私と共に侯爵家を盛り立ててくださる志ある方を募りたいと思います」
「ハハハッ! 婚約破棄された直後に婿を募集とは、気でも違ったかアリエ……」
「条件は三つ!」
「聞けよ!」
「一つ、現在配偶者および婚約者がいらっしゃらない方。ただし、婚姻後数年を経た後には愛妾を持って頂いても構いません。お二人の間に生まれた子には侯爵家が所有する財産や爵位を継ぐ権利はございませんが、子が学園を卒業する年齢までの生活については保証いたします」
「その言い方であれば、過去に婚姻歴のある者でも資格があるように聞こえるが、どうなのかな」
手を挙げて口を挟んだのは、アリエノールの実家とは異なる侯爵家の次男。
昨年浪費家の前妻との離婚で社交界を騒がせた彼は、アリエノールより十ほど年上である。
「婚姻歴は問いませんが、過去の配偶者や婚約者の方とのトラブルを当家に持ち込むわけにはまいりませんわ」
「……なるほど。過去を清算して身綺麗にしなければ、トゥールーズ家には迎え入れられないということだね。正論だ」
彼の元妻が未練がましく復縁を迫っていることは、社交界でも知られている。
離婚で気力を使い果たしたこともあって逃げに徹していたのだが、明確な目標があるとなれば話は変わってくる。
実家の実務を取り仕切る名補佐役が浮かべる意味深な笑みに、近くにいた元妻と弟に頼りきりの侯爵家現当主が青褪めていたのだが、アリエノールは気付かぬまま話を続けた。