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12.悪役令嬢の幸福を祈る人

「……さすがに疲れたわね」


 その夜、メイド達の手によって湯浴みと心身のケアを終えたアリエノールは、自室の寝台に横たわり、安眠効果があるという香に癒されていた。


 護衛や不寝番のメイドは続きの間に控えているが、呼ばない限りは声もかけて来ないだろう。

 常に人に傅かれている高位貴族の令嬢が一人きりになる時間は、案外少ないのだ。


 長く息を吐くと、昨夜からの怒涛の展開が頭を過っていく。


 そう遠くない未来に訪れると覚悟していた婚約破棄はさておき、その後の婿候補達とのやり取りは少々心臓に悪かったし、自身をヒロインと名乗る男爵令嬢との駆け引きには心身を削られた。


 最後の最後には、己の未熟さ、至らなさを痛感させられることもあった。


「……クローヴィス様、椿の宮で心安らかに過ごされていればいいのですけど」


 離宮からの帰り際、馬車に同乗して行かないかとクローヴィスを誘ったところ、なぜか彼の肩をがっつりと捉えたバルナバーシュが断りの返事を返してきた。


『ラスペード侯爵家はクローヴィスがいないと困るからな。恐らく婿入りの話も断ってくるはずだ。それどころか、家に戻れば監禁されて外部との接触も絶たれかねない。というわけで、こいつはしばらく椿の宮で預かる。マクシム殿下や俺が接待役に望んだことにしておけば、侯爵も無下に断れないだろうからな』


『そんな顔をしないで、アリエノール嬢。これは私自身が望んだことだし、向き合うべきことなんだ。“過去を清算して身綺麗にしなければ、トゥールーズ家には迎え入れられない”……そうだろう?』


「……情けないこと。クローヴィス様を巻き込んでおきながら、守ることさえできないなんて」


 クローヴィスと家のことについて深く話したことはないが、漏れ聞こえてくるラスペード侯爵家の評判から、あの家がクローヴィスの不在や婿入りを歓迎するはずがないことは容易に想像できたはずだ。


 そこまで考えが至らなかったのは、己のことだけで手いっぱいになっていた未熟さ故。

 思い返しても恥ずかしく、地面に埋まりたくなる。


 とはいえ、バルナバーシュの言う通り、隣国の大公世子と外交官がクローヴィスを気に入り、賓客として離宮に招いているという体を取れば、ラスペード侯爵といえども容易に手は出せまい。


 今のうちに対策を……と考えを巡らせていくと、辿り着く先には予言がある。


 ただしそれは、ペトロニーユが語った荒唐無稽なものではなく、アリエノールが知る別の予言のことだ。


「まさかとは思いましたが……このままいけば、教えていただいた通りになりそうですね」


 幼い頃、幾度となく聞かされたのは、お伽話にも似た残酷で美しい未来の話だった。


『あらゆる力と知識はあなたの道を切り拓くための剣となり、美しい容姿と所作はあなたを守るための鎧となるでしょう』


 だから学びなさいと言われた。限られた者にしか使えないいくつかの魔法は、アリエノールの武器になると同時に、往く道を変えてしまうからと。


『例え運命があなたを暗い道へ押しやろうとも、決して負けてはなりません。あなたは幸せになるために生まれてきたのです。どうかそのことを忘れないで。アリエノール』


 そう言って抱き締められた腕の温もりを、片時も忘れたことはない。


 レーモンに冷遇され、幸せになることを諦めてからも、せめて暗闇に飲まれることはないようにと、凛と背筋を伸ばして生きてきた。


 けれど光り輝く王城の大広間のシャンデリアの下、婚約者から謂れなき罪を問われ、人々の好奇の目に晒されたあの瞬間、足元に広がっていたのは絶望という名の暗闇だった。


 いっそこのまま堕ちてしまった方が楽になれるのではないか。そういう考えが過らなかったといえば嘘になる。


 だが、ひたひたと足元から這い上がってくる暗闇を払い除けてくれたのは、真っ直ぐ差し伸べられた四つの手だった。


「幸せになってもいいと、言ってくれた」


 家族以外にそんなことを言ってくれる人がいるとは、思いもしなかった。


 自身の幸福よりも国の発展と平和を。

 そう信じて耐えてきたのに、あの四人はそんなものとばかりにあっさり横に避けてしまったのだ。


『もちろんだよ、アリエノール嬢』


『お前が幸せになるのが最優先だ。しっかりしろよ』


『俺もがんばるから、一緒に幸せになろうねー』


『姉様には僕達がついてますから!』


 思い出すだけで胸がほんのりと熱を帯び、鼓動が早くなるのを感じる。


 国のことも、家のことも、自分自身のことも、考えなくてはならないことは山ほどある。


 そもそも、四人も婿を取るというのは前例はあれど慣例とはいえず、彼らの実家や他家の貴族との兼ね合いなども考慮すれば、決して平坦な道のりではないだろう。


 けれど今だけは。一人きりで夢現の狭間を揺蕩う今だけは、彼らがかけてくれた甘い言葉に酔い痴れ、彼らとの幸福な未来を夢見ていたい。


 アリエノールはそんなささやかな願いを胸に、そっと目を閉じた。




 その夜、夢を見た。


 石と鉄とガラスでできた大きな建物の間を、鉄の塊が馬車よりも早く駆け抜けていく世界。

 大きな建物の一室には、光る石板を睨みながら、手元の石板を指先で素早く叩き続ける女性の姿があった。


『あーもう……やっぱり私の推しが可哀想過ぎる……。アリエノールばっかり悪者扱いされるけど、よく考えなくてもあの子にはどうしようもないことばっかりじゃない。両親の不倫とかどうしろってのよ。てか、両親の不倫ってゲーム内にも公式設定資料集にも出てないからな!? ノベライズ版のみの設定だからな!? あれ考えた作者とOK出した編集部と公式関係者、全員ハゲ散らかせばいいのに。いや、制作会社はとっくに潰れてるから、ある意味散らかってるけど』


 呪いにも似た言葉を吐きながらも、彼女の手は止まらない。


 よく見ると、彼女の指の動きに合わせて光る石板に次々と文字らしきものが浮かび上がってくる。


『えーっと、もうちょっとで来月のイベント合わせの原稿が上がるから、次はwebオンリー用の原稿か。明日は仕事帰りに本屋だな。アリエノールの黒髪に合うドレスと宝飾品のデザインを練りたいんだよね。表紙も外注するから、それ用に資料のコピーも取ってー……』


 いつの間にか、女性の口から呪いの言葉は零れなくなり、代わりに鼻歌が混じり始めた。


『公式がアリエノールを大切にしてくれなくても、世間があの子を悪役令嬢代表なんて呼んでも、私だけは推しの幸せを祈ったっていいじゃない。ううん、悪役令嬢上等。悪役令嬢にだって幸せになる権利はある。あんなに美人でハイスペックで、女王になるために一生懸命がんばったんだもの。愛されて、幸せになったっていいのよ』


 その時、光る石板から何やら音がして、女性の指が止まった。


『ん? メール? 何だろう。印刷所さんかな。えーっと……株式会社……は? これ、ティアみちの権利買い取った会社じゃない。続編シナリオ執筆のご依頼って……はぁ? どんな手の込んだ迷惑メールだよ! てか、明らかに無差別攻撃じゃなくてピンポイントに狙い撃ちしてるやつ! いくら同人誌の奥付に載せてるアドレスだからってこれはないわ! 最っ低! オタク舐めんな!』


 何やら突然怒り出した女性は、『削除削除!』と、呟くと、再び高速で指を動かし始めた。


 アリエノールには何一つ身に覚えのない記憶。


 だが、何かを呪いながらもアリエノールの幸せを祈ってくれるその女性からは、どこか懐かしい気配が感じられた。


「あなたはもしかして……」

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