65 はじめての遠征・霧の奥に潜むもの
樹海ダンジョンに入るなり異変に気付いた。
ただ、それに気付いているのは最後尾にいる俺たち3人だけだったが。
(空間が拡張されているな)
前を行く地元の冒険者チームに聞かれないようにヒソヒソ声で並び歩く英花や真利に話しかける。
(我々のダンジョンよりも拡張率は低いか)
(そこまではわかんないけど引き延ばした感じがするのはわかるよ)
空間魔法に対する慣れの差で英花と真利の間で感知力に差があるようだ。
(どうする)
(どうもしないだろう)
(教えてあげないの?)
(どうやって拡張されていることを知ったのか問われたらどうするつもりだ?)
(うっ、そこまでは考えてなかった)
(それにダンジョン内が広くなっているだけで実害はそんなにない)
英花はそんな風に言うが探索範囲が広がるのは救出に向かう上でマイナス材料でしかない。
場合によっては脱落者を出してしまいかねないのだが身内ではないので考慮していないのだろう。
今のところは様子見するしかないのだが。
(念のためだ。ミケに先行させよう)
(妥当だな)
(ここは初めてだもんね)
『お仕事ですかニャ』
霊体モードでついて来ていたミケが念話で話しかけてきた。
ウキウキしているのがこれでもかと言わんばかりに伝わってくる。
仕事がしたくてたまらないといったところか。
(奥の様子を探ってきてくれ。道中に危険な要素がないかもチェックを頼む)
『心得ましてございますニャン』
返事をしたミケはシュバッという音が聞こえそうなほどの勢いで飛んでいった。
(さて、何が出てくるかな)
(奥まで行けば霧が出てくるだろうな)
(どうしてそう思うの?)
(血まみれの兵士がそう報告していただろう。あれはおそらくダンジョンの特性か魔物の能力だ)
いずれにしても勝手に効果が切れることはないってことだな。
(単なる自然現象の線は?)
(可能性としてゼロではないが、我々が想定すべきはより悪い方だ)
楽観視して良いことなど何もないから俺も英花の意見に賛成だ。
(その霧って普通じゃないんだね)
(どうかな。実際に見てみないとわからない)
(ミケちゃんならわかるかな)
(ほぼ確実にな。ミケを欺けるほどのものならば我々は撤退すべきだ)
(その場合、遭難した人たちは?)
(その場合でなくても結果はほぼ見えている、というやつだ)
ダンジョンであれ魔物であれ特殊な状況に人を引き込んでおいて何もしないなんてことがあるだろうか。
普通に考えれば状態異常で動けなくしてからトドメを刺してしまうと思う。
ある種の魔物は生者の血や精気を吸い取るために生かさず殺さずの状態にすることもあるけどね。
とはいえ、そういうのは例外の部類だ。
英花がほぼと言ったのはそういうことである。
故に拘束されたナントカ少尉の命令でダンジョンに入った兵士たちはすでに死んでいると考えるのが妥当だろう。
(それって捜索する意味あるのかなぁ)
(誰かが生き残っている可能性はゼロじゃない。いま案内している兵士が脱出できたことでそれが証明されている)
あれは何かしらの呪術的な魔法をかけた状態で意図的に解放されたんだとは思うけどね。
運が良ければ術者の影響範囲から逃れた所で気を失って倒れているなんてこともあるかもしれない。
確率的には皆無に等しいだろうけど。
(そっか。行かない訳にはいかないんだ)
(それに、あの大尉は生存者にこだわるところがあるからなぁ)
(そう言えば、そうだったな)
俺の言葉に英花も大尉が率いる部隊がうちのフィールドダンジョンに調査に来た時のことを思い出したらしく苦笑しながら同意する。
(そうなの?)
(俺たちがフィールドダンジョンから出てくる前にそういう事件があったんだよ)
(へえー)
こんな感じでヒソヒソ声の雑談を続けながら樹海ダンジョンの奥へと歩を進めていると……
『ただいま戻りましたニャ』
戻ってきたミケが目の前で宙に浮いたまま片膝をつく。
(御苦労)
『いやいや。苦労だなんてそんなことないですニャ、魔王様』
上半身をくねらせながら照れまくるミケ。
(いいから、報告)
英花のドライな呟きにミケはピシッと姿勢を正す。
『もう少し進むと霧に偽装した敵の結界に入り始めますニャ』
入り始めるとは微妙な表現に思えるかもしれないが、これは結界の種類によっては普通にあり得る話だ。
一般的に考えられる結界は外界との完全な遮断であろう。
だが、術者を中心に放射するタイプの結界というものがある。
たき火をした時に感じる熱のように徐々に影響を受けるものだ。
効果範囲へ入ったことに気付きにくく、気付いた時には結界の影響下にあるという面倒な結界だ。
結界の効果が忌避であるなら近寄りたくなくなるだけだが、毒や麻痺だと撤退もままならず命に関わる事態に陥ることだろう。
『結界には認識阻害と幻惑の効果がありますニャ』
(面倒な)
毒のように直接的なダメージを受けるものではなかったが英花は渋面を浮かべた。
気配をつかみにくくなる上に視覚も惑わされるとなると被害が出やすくなるからね。
『魔王様たちは、あの程度で惑わされることはありませんニャ』
(他の冒険者たちに被害が出かねないだろう)
他人にはドライな方である英花だが間近で死なれたりするのは、さすがに看過できないようだ。
『では、奥にいる守護者を何とかするしかありませんニャー』
(守護者の仕業か。そいつは近いのか?)
英花の問いにミケは首を横に振る。
『全然ですニャ。霧の結界がなくても今のペースじゃ今日中に遭遇するのは到底無理ですニャー』
ずいぶんと用心深い守護者だ。
さほど強くないのだろうか。
『それに途中で敵の罠が待ち構えていますニャ』
(それを先に言わないか)
『心配御無用ですニャ。それも、まだまだ先ですニャン』
(それでもだ)
『失礼しましたニャー』
(それで、どんな罠なんだ)
『兵士の死体を操ってますニャ』
(それはまた……)
先程以上に顔をしかめる英花。
(死体を操るって同士討ちを狙ってるってこと?)
黙ってしまった英花に変わって真利が問う。
『それがもっとも効率よく死体を増やせますニャ』
(死体を増やしてどうするの?)
『手駒を増やすか肉壁を増やしたいといったところでしょうニャー』
知能を持つ魔物であれば収集するのが目的ということもあり得る。
悪趣味な話ではあるが。
(守護者はどんな奴だ)
それを聞いてみないことには判断できない。
『鬼面の大きなクモでしたニャ』
(知らない魔物だな)
(異世界では見たことがないの?)
(ああ、魔物の図鑑にも載っていなかった)
(おそらく鬼面蜘蛛だろう)
「っ!?」
英花がその答えを持っていたことに危うく大声を出してしまうところだった。
幸いにして前を行く地元の冒険者たちには短いうめき声は気付かれなかったようだ。
(知っているのか、英花)
(ああ。私の世界の日本で伝承されている妖怪だ)
異世界の呪いは吸収した世界の要素まで取り込んでいたってことか。
(どんな妖怪なんだ)
前の世界のことを聞くことに罪悪感が湧いてくるが、知らないことで危機に陥ってしまっては本末転倒である。
(鬼の角と顔を持ち大きさは十尺を越えると言われる大蜘蛛だ)
十尺ということは3メートル超えか。
オークキングに匹敵するな。
続いて聞かされた伝承はふたつ。
霧深い山奥に旅人を惑わせて誘い込み蜘蛛の巣に絡め取って殺し食らう。
死体を集め充分な数に達すると見えない糸で操り周辺の村を襲う。
伝承通りの性質を持ち合わせているのであれば放置はできないな。
元より仕留めるつもりだったが、活動が活発化しているようなので急いだ方が良さそうだ。
読んでくれてありがとう。
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